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五七五七七に萌えをぶっこめ!「#BL短歌」が広げる腐女子の世界。

腐女子×短歌=BL短歌!Twitterを中心に花開いた「萌え」の新ジャンル、BL短歌について、短歌誌『共有結晶』同人でもある文学研究者・岩川ありささんにお話を伺いました。

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長らく「オタク」といえば男性が主体となった文化でしたが、インターネットを中心にこの10年間メキメキと存在感を示しつつあるのが「腐女子」たち。

ときにエロティック、ときにプラトニックな「ボーイズラブ(オトコ同士の恋愛)」に対する腐女子たちの想像力が、独自の創作ジャンルに実を結んだことをご存知でしたか?

そのジャンルとは、ずばり「短歌」。今回は、Twitterを中心に花開いている「#BL短歌」の奥深い世界について、BL短歌誌『共有結晶』同人であり、クィア批評(※)の若手研究者でもある岩川ありさ氏にお伺いしてきました!

(※)「クィア批評」‥‥‥性、身体、欲望の規範的なあり方を問い、今は見えない欲望や身体、性の可能性を見出そうとする批評のこと。ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』やイヴ・セジウィック『クローゼットの認識論』などの1990年代初頭の著作に影響を受けている。異性愛中心/男性中心の作品批評自体を問い直す領域でもある。

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BL短歌の「基本原則」とは。

 

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— まず、「BL短歌とはなんぞや?」という核心の部分をお聞きする前に、岩川さんとBL短歌との関係について教えていただけますか?

岩川: BL短歌がTwitterで火がついたのは2012年の2月頃のことだったのですが、私自身もちょうど同じ頃にBL短歌と出会っています。面白そうなハッシュタグがあり、はじめてみようかと思ったのがきっかけです。最初に詠んだのは、「指先が触れて謝る君がいて謝ることではないよと思う」という歌でした。

 

これが第1作かなと思うのですが、詠みはじめた頃はボーイズラブであることと、口語で詠むことを心がけていました。いわば、俵万智さんや穂村弘さんの口語短歌のスタイルに寄せていく形で、少年同士の恋愛を詠もうとしていました。Twitterを遡って見ていると、かなりハマったようで、かなりの量を詠んでいます(笑)

また、2013年2月9日には、「渡せずに残しておいたチョコレート 君にたむける地震(なゐ)の次の日」という歌を詠んでいるのですが、次第に東日本大震災など現実の出来事や歴史的な文脈をふまえた内容を短歌の中に詠みこむようになりましたね。

 

フェミニストの歌人やアバンギャルドな創作者と出会う機会が増えるにつれて、既存の価値観を問い直すようなBL短歌を成立させたいという気持ちが強くなったように思います。

— ストレートな胸キュンから、社会的な広がりを持つ短歌まで、いろんな表現が可能なんですね。岩川さん以外のBL短歌の詠み手は、どんな題材に関してどんなアングルから創作を行っているのでしょうか。

岩川: 今では思いもよらなかったほど多くの人が詠んでいるので、題材にもアングルにも無限の組み合わせが存在していると思います。たとえば、マンガやアニメに関するものでも、『進撃の巨人』について詠んだ「#進撃短歌」や、「おそ松さん」について詠んだ「#おそ松短歌」など様々ですし、石原ユキオさんらの手がける#BL俳句も充実しています。ですので、詠み手によってかなり視点が異なるのが現状です。

しかし、共通しているのは、「五七五七七に萌えをぶっこむ」ということ。

この「基本原則」は、TwitterでBL短歌というタグを考案し、世界初のBL短歌合同誌『共有結晶』の編集人である佐木綺加(谷栖理衣)さんが提唱したものです。

— すごいシンプルだけど、それでいてBL短歌という表現方法のすべてが言い表されているような原則ですね。

 

「萌え」の距離感

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— 素人ながらも、短歌という表現形式と「萌え」という感情は非常に相性がいいように感じているのですが、岩川さんはこの「萌え」という言葉をどのように分析していますか?

岩川: 「萌え」という言葉は現在でも様々な意味で使われますが、少し距離を確保しながら、何かに恋することを可能にする言葉なのかなと思っています。「かわいい」とか「かっこいい」だと、眼差しの先にある相手の性質を表すことになりますが、相手を眼差している自分が「萌えている」といえば、その存在によって自分のなかにふくれあがる感情を一人称的に表現することができるんです。

— 「○○はかわいい・かっこいい」というのではなく、「○○に私は萌えている」というような内から湧き立つような感情を表現するのに、短歌はぴったりな形式だったということでしょうか。

岩川: おっしゃる通りです。さらにいえば、BL短歌は純粋に一人称的な表現でもないというのが、面白いところだと思います。

— というと?

岩川: むずかしい話にもなりますが、従来の短歌は、詠み人の「我(われ)」から自由になりきれなかったのではないかと思うんですね。詠み人自身が実際にどんな人で、実人生のなかでどんな経験をしているのかという観点から離れられないところがあったというか。

たとえば、「お父さんが死んだ」というような短歌を詠んだのにお父さんが生きていたというような場合、「これはアリなのか?」という論争になるということもあったと思います。

— なるほど、従来は、「短歌は詠み手本人のリアルな人生経験を反映するもの」という認識が前提としてあったけれども、BL短歌の場合は詠われている内容が詠み手のファンタジーであっても問題ないわけですね。

岩川: そうですね、BL短歌は、萌えの対象にも、詠み手の実人生にも、ワンクッション置いて表現できるジャンルなのだと思います。ボーイズラブの題材になる「彼ら」にたいして、それを見ている「私」が距離を保ちながら没入するというところが違いかな、と。

「ボーイズラブの世界を、ある種の外部から眼差している」という腐女子の立ち位置に、この距離感が由来すると言う人もいます。つまり、詠み手は女性だけれども、その対象となっているボーイズラブは男性同士の恋愛であり、創作されたキャラクターであることも多いという「リアルからの距離」がすでに存在しているということですね。ただし、近年では男性の詠み手も増えてきているので、そのときにどう表現の幅が広がっていくのか、気になっています。

(次ページに続く)

 

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