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アメリカ人研究者がおススメする、日本の小説は?【教えて!モリソン先生・第1回】

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はじめまして、ライアン・モリソンと申します。アメリカのアリゾナ州出身で、今は名古屋外国語大学で日本文学を教えています。

そんな私がオススメする日本の小説は?というこのコラムのタイトルですが、先に結論を言ってしまいましょう。私が小説をオススメすることは、基本的にはありません。

「そんな答えはズルい、逃げだ」と思われるかもしれませんが、これは私なりの、100%誠実な答えなのです。

それでも納得がいかない、という人のために、先日スタバでヒマ潰しをしながら、我が愛しのガラケーで以下のスピーチを書いてみました。

文学について大雑把に(TEDトーク的に)話すことは根っから大嫌いなのですが、これは実際の講義の導入として、200人の学生を前にして話した内容です(学生がちゃんと聞いてくれたかどうか分かりませんが)。

どうぞ、ごゆっくりお読み下さい。

 

「文学との出会い」を決めるのは”内発性”

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私は文学研究者であり、文学の翻訳家であり、文学の宣教師ではありません。文学を広げたいとか文学好きを増やしたいとかは、全く思っていません。君たちの中で文学が好きになる人がいるかどうかは私にとってはっきり言ってどうでもいいことです。

このようなことを言うと、きっと誰かが聞くでしょう。「ねえねえ、モリソン先生、どうして文学の普及にそれほど関心がないの?」と。

そのような質問にはすぐ答えることができます。ざっくりといえば、「文学(ひいては芸術・哲学など)というものに自分が関わるかどうかは、運命が決めることである」というのが私の答えなのです。

誰かに推奨されて、あるいは押し付けられて文学が好きになったという前例は一人もいません。だから私はここに立って「文学は本当に面白いよ、文学作品の楽しみ方を教えてあげるから、是非君たちも文学の愛読者になってね」みたいなおねだりなんぞは断じてしません。

文学(ひいては芸術など)を好きになるかどうかは、必ず何か個人の内面的な必然性により決定されるものであって、誰か他人の指示や強制によるものではない。

では、どういう人が自発的に文学を好きになるのかと言えば、端的に言うと、眼前の世界に対して何らかの不満・物足りなさを抱いている人たちです。

「人生ってこれしかないのか?」

「生まれて学校へ行って、その後どこかのブラック企業に勤めて、社畜扱いされながら長年働いてから退職して間もなく死ぬ、そんなつまらない生き方は人間の本来性ある生き方といえるのか?」

「昔に誰かに作られた生き方・考え方に盲目的に従って生きていくということでいいのか?」

「それとも他に違う生き方・世界はありうるのか?」

このような根本的な疑問・不満から、文学というものが生まれてくるのです。よって、このような疑問を持つ人でなければ文学とは縁がないと言っても過言ではないでしょう。

 

「世界のあり方」を疑う文学

私の専門は近代日本文学です(特に昭和初期の小説だが、私の授業では明治から現代に至るまでのさまざまな作品を課題にしています)。

近代日本文学の文豪たち、夏目漱石、森鴎外、永井荷風、谷崎潤一郎、幸田露伴、芥川龍之介なども皆、先ほど述べた不満・物足りなさから出発したと言えます。

彼らは、自分たちの生きた時代やその社会・政治・価値観・イデオロギー・考え方などに対して、批判的精神をもって、物語世界にその疑問・不満を生かすことにより次々の名作を生みだしてきたました。

つまり、明治時代のスローガンであり基礎理念であった「文明開化」に対して懐疑的な視点を持ち、その影に潜むものに焦点を当て、いわゆる「文明批判」としての文学を刻んできたのです。

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村上春樹の文明批判

現代の作家たちについても全く同様のことが言えます。たとえば皆さんも名前はよく知っている村上春樹もそうです。彼は、現代社会に対する深い不満・疑問から出発し、今の時代の支配的な考え方・思想・生き方を批判的に捉えてたくさんの物語を描いてきました。

村上の多くの作品を貫いているのは、一つの構造です。即ち、一方には「平凡な現実世界」があり、そしてそれとは別に、もう一つの「まだ実現されてはいないがありうる世界」が示唆される、という二項対立的な構造です。

前者は、多くの人々が乗っている軌道、つまり我々が生きているつまらない現実世界ですが、後者は、それとは違う、現実世界で生かされていない人間の潜在的可能性が生かされるような、「あり得る世界」です。

そして、言うまでもなく、前者(現実世界・既成の生き方)を悪とし、後者(まだ実現していない潜在的な世界)を善とする。村上の作品のメッセージは常に同じなのです。

つまり、我々が生きているのとは違う、世界・生き方・価値観・考え方・社会・人間関係・男女関係・政治などが有りうるのだ、そして努力すれば我々がその世界を造れるのだ、という極めてラディカルで革命的なメッセージなのだといえます。

村上春樹の作品は、その「もう一つの世界」の姿を明確に提供してはいませんが、少なくとも手がかり・考えさせるきっかけにはなっているでしょう。

 

「違和感」がスタートライン

とにかく今日、私が強調したいのは、文学(ひいては芸術・哲学など)というものは、何か眼前の世界に対する違和感・不満・物足りなさから始まるものであるから、そもそもそういった不満を持っていないなら、文学は君には無縁のものであるでしょう、ということです。

しかし、今の現実世界に不満を持ち、それとは違う世界があり得ることを信じ、そしてその世界を創ることに関わりたいと思うならば、文学は君には運命的存在かもしれません。

この連載コラムでは、日本近代文学は世界の中の現象としてどういうものなのか、その作品をどう読むか、それに関してもう少し詳しく見ていくことにしましょう。

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[執筆者プロフィール]
Ryan Shaldjian Morrison(ライアン・シャルジアン・モリソン)
名古屋外国語大学 外国語学部 世界教養学科 専任講師
アリゾナ州立大学、上智大学で修士号を得る。その後、東京大学博士課程で石川淳などの昭和文学を研究。
石川淳・古川日出男・高橋源一郎・松田青子・早助よう子など、日本人作家による小説の英訳も多数手がけている。

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