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モーリーが語る、「ぼくたちは何を読んできたか」②その青春の軌跡 モーリーのBOOK JOCKEY【第3回】

国際ジャーナリストからミュージシャンまで、幅広く活躍中の「モーリー・ロバートソン」が、その青春時代を振り返る!ここだけで語られる、破天荒な学生時代に惹きつけられる!

     

ぼくたちは何を読んできたか②

蒲田黎子は14歳で終戦を迎えた。北陸、富山県高岡市の大地主の娘だった。高岡の奥まったところにある水田地帯の屋敷に生まれ、長男と次男にはさまれた長女であり、戦前はそれぞれの子どもたちが下女にかしずかれて育った。黎子の兄が舶来の子供向け足漕ぎ式ゴーカートを父にプレゼントされ、得意気に乗ってカメラの方を見ているセピア色の写真が高岡市・能町の実家に保存されている。

帝国陸軍がシンガポールを陥落させた後、黎子の父・蒲田實(みのる)は高岡市議会で、

「日本は身の丈にあった植民地政策をするのが良い。勝機がまだあるうちに、拡大はいったん止めてはどうか」

と演説した。その日、議会を監視していた憲兵が色をなして抜刀。

「不忠者!この場で叩き斬る!」

と叫んだが、市長の仲裁で事なきを得た。

戦局が悪化するにつれ、能町の屋敷の樹齢100年を超える巨木が兵隊によって次々と伐採され、「軍艦用」として持ち去られた。それらの「軍艦」が出陣する間もなく大戦は終わった。玉音放送は屋敷の大きな庭で聞いた。家族や使用人たちがラジオから流れる声を聞きながら声を上げて泣くさまを黎子は不思議に思った。

黎子は東京外国語大学に入学するも1年で中退し、改めて早稲田大学の政経学部を受験する。主席で合格した。政経学部を卒業後、進歩派の毎日新聞に応募。

「女子社員の採用はない」

と門前払いを受けるも、

「試験だけでも受けさせてください」

と受験。最高点を取ったため、特例を認められ、初の女性ジャーナリスト候補生として入社した。仙台支局で警察回りをした後、外信部に配属。当時のライシャワー米大使へのインタビューを行う。その後フルブライト・プログラムに応募して合格、米ヴァージニア大学に留学、医学生のトーマス・ロバートソンと出会い、後に結婚。

黎子が毎日新聞で初めての女性ジャーナリストとして華々しいデビューを飾り、ライシャワーや三島由紀夫へのインタビューを重ねていた頃、出版大手・S社に入社した同級生のOがいた。Oは若き黎子に恋い焦がれ、「結婚しよう」と持ちかけたこともあったそうだ。だが家柄が異なり過ぎる上、Oは黎子のタイプではなかった。叶わぬ高嶺の花だった黎子はアメリカに留学。国際結婚して故郷に錦を飾り、第一子モーリーの出産を前に円満退社。

一方、野心家のOは雑誌畑のやり手として功績を重ね、芸能週刊誌「M」の副編集長に上り詰めた。芸能界で知らない者がいない影響力の持ち主とも言われた。だがOの手法には様々な問題があり、当時一世を風靡した美貌の女優Wに関して、

「大麻パーティーへの参加疑惑」

という見出しで特ダネ記事を発表。Wのキャリアに相当なダメージを与え、提訴された。法廷での争いは数年間続いた。

昭和47年(1972年)、東京高裁の裁判長は、女優Wの記事で名誉棄損罪に問われた週刊「M」のO副編集長に対する公判で1審の有罪判決(懲役6月、執行猶予2年)を支持し、被告の控訴を棄却した。絶世の美貌を誇る女優Wは大麻パーティーなどには参加していないことが晴れて司法の場で確認され、Oは社内で更迭された。

1983年5月、ハーバード大学2年生の最終学期を終えて夏休みを迎えようとするモーリー・ロバートソンは、日本文学の博士号過程にある先輩に大麻を提供され、それを吸引した。その大麻はハーバード大学の近くにあるマサチューセッツ工科大学(MIT)の植物学研究者がグリーンハウスで極秘に品種改良した株で、当時は世界最大級のTHC含有量とされるものだった。闇市場での末端価格は1オンス(約28グラム)あたり400ドル以上、当時の為替レートでは9万5000円以上だった。なお、THCとは「テトラヒドロカナビノール」の略称であり、精神に作用する成分を指す。

モーリー・ロバートソンは当時、ハーバード大学の東アジア研究学部で教鞭をとる講師・板坂元のゼミでこの先輩に出会った。板坂は昭和35年(1960年)、ハーバードの教授となったライシャワー元駐日大使に招かれて同大学へ赴任し、日本文学や日本語を講じていた。そのゼミは数名の大学院生を対象に日本語でディスカッションが進められるもので、日本文化の裏事情や知られざる性風俗、江戸時代の牢屋、果ては芸能界とヤクザの関係まで、当時日本国内では表に出なかったような話題で占められた。東京にいたなら周りをきょろきょろ見回して話すようなテーマを、日本語ネイティブではない大学院生たちが快活に討論するのだった。モーリーにとってこのゼミは、過酷過ぎるハーバードの教養課程からしばし一息つける憩いの場だった。なにしろ配られる記事のフォトコピーが漢字も含めてそのまま読めるため、予習も復習も必要なかった。モーリーに初めての大麻をくれた先輩などは徹夜で和英辞書と原文を読み比べて予習してくるのだった。その勉強の合間に自らも吸引する濃縮バージョンの大麻を、日本産の小型車の中でモーリーに提供した。

モーリーはTHCがてんこ盛りに含まれた大麻を木製の扁平なパイプから吸引した。タバコも吸ったことがなかったので、その煙には違和感があった。先輩の指示通り、肺にためてひとつ、ふたつ、みっつ…と数えてから青い煙を吐き出す。別に何も起こらなかった。そこで、

「これ、うまくいってないですよ」

と木製のパイプを再度手にとり、同じ手順で吸引した。

「おいおい、もうすでに200ドルぐらい吸ってしまったんじゃないのかい?」

と先輩にからかわれる。煙が気管に入り込んでヒリヒリと違和感を覚える。だがやはり、何も起こらない。そのまま学生寮まで日本車で送ってもらった。寮の部屋に帰り、ベッドで仰向けになった頃合いで不意に強烈なめまいのような感覚に襲われた。

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