1934年11月17日~2010年4月9日
小説家、劇作家、放送作家。本名/井上 廈(いのうえ ひさし)。
山形県川西町出身。5歳の時に父親と死別し、経済的困窮から弟と共にカトリック修道会の児童養護施設「光が丘天使園」に預けられる。1950年宮城県の仙台第一高等学校へ進学し、孤児院の神父の勧めで1953年上智大学文学部ドイツ文学科に入学するもドイツ語に興味が持てず2年間休学。休学後、医学部を志したこともあったが、上智大学外国語学部フランス語学科に復学。在学中から、浅草のストリップ劇場フランス座を中心に台本を書き始める。戯曲『うかうか三十、ちょろちょろ四十』が芸術祭脚本奨励賞を受賞。放送作家として活動しながら大学へ通い、1960年上智大学を卒業。1964年に山本護久と共に『ひょっこりひょうたん島』を手がける。同作は5年間放映され、国民的人気番組となる。1969年『ひょっこりひょうたん島』の声優でもあった熊倉一雄が主宰する劇団テアトル・エコーに、戯曲『日本人のへそ』を描きおろす。これをきっかけに本格的に戯曲の執筆を始め、小説・随筆などにも活動範囲を広げた。翌1970年『ブンとフン』で小説家デビューし、1972年江戸戯作者群像を描いた『手鎖心中』で直木賞受賞。1981年『吉里吉里人』で日本SF大賞、読売文学賞、星雲賞を受賞。1986年には『腹鼓記』で吉川英治文学賞受賞。以降、戯曲、小説、エッセイ、批評など幅広く活躍を続ける。筆名は、内山 廈(うちやま ひさし)、遅筆堂(ちひつどう)を名乗ることがあった。2010年4月9日に死去。享年75歳。