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文豪が本気出してエンタメ書いたらこうなった!—推理小説編

坂口安吾、福永武彦、マーク・トウェイン、ウィリアム・フォークナー。これらの錚々たる作家たちが、「推理小説」を書いていたというのはご存知ですか? 独自の文学性に満ちた、偉大な文豪たちによる超上質な推理小説の世界についてご紹介します。

文豪が本気出してエンタメ書いたらこうなった! 推理小説編

 問題です。坂口安吾、福永武彦、マーク・トウェイン、ウィリアム・フォークナー。これらの作家に共通する要素はなんでしょう。
正解は、すべて「推理小説」を書いたことのある作家だということ。錚々たる大作家たちの名前が並ぶだけに、ちょっと意外ですよね。どうせ小遣い稼ぎか手慰みでしょ、と侮るなかれ。アガサ・クリスティやエラリー・クイーンに負けず劣らずの本格派で、「推理小説」という形式と作家独自の文学性の見事なハイブリッド。これってめちゃめちゃエンタメじゃん! 偉大な文豪たちによる超上質な推理小説の世界、ぜひご堪能あれ。

無頼の戯作者の真骨頂!安吾の本格・歴史推理小説

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 一口に「推理小説」と言っても、その定義は人によって様々です。たとえ犯罪が行われないとしても、作品の序盤で「謎」が提示され、それが物語を通じなんらかの解決を見るというプロットさえ備えていれば、それは十分「推理小説」として成立する、という論者もいるほど(最終的にはほとんどすべての小説を包括してしまいそうな定義ですが……。)その中でも、謎が解決される以前に必要十分な手がかりが作中で提示され、読者自身に謎を解くことを迫る知的パズルの要素が強いものを「本格推理小説」と呼びます。推理小説マニアの中には「本格」であることにこだわり、重箱の隅をつつくような議論に精を出す人たちも少なくありません(笑)。

 そんな保守的なマニアも思わず納得の超本格作品を著した日本の文豪といえば、『堕落論』、『白痴』で有名な坂口安吾。自ら「戯作者」を称し、生涯にわたって既存の文学形式への反抗を続けた彼は、「純文学」、「大衆文学」という雑なくくりにとらわれることなく、己の興味の向くまま様々な文学ジャンルに挑戦しました。そんな彼がとりわけ力を入れたのが、歴史小説と探偵小説。織田〜豊臣〜徳川という稀代の英傑たちの下、虎視眈々と天下を狙い続けた戦国のトリックスター・黒田官兵衛(如水)の生き様を描いた歴史小説『二流の人』が前者の代表作だとすれば、後者には、あの江戸川乱歩や松本清張など日本推理小説界の巨人が絶賛し、後に映画化もされた本格推理長編『不連続殺人事件』をまずは挙げなければならないでしょう。

 しかし意外と知られていないのが、安吾がこの2つのジャンルを融合させ、「歴史推理小説」をシリーズ物として発表していたこと。その名もずばり、『明治開化 安吾捕物帳』。文明開化の香り華やかなりし明治中期の日本を舞台に、次々と巻き起こる怪事件。そんな事件の数々が持ち込まれる先は、江戸城を無血開城に導いた旧幕府最高の知性にして坂本龍馬の師としても名高い天才、勝海舟。政治の表舞台から退いた彼はいわゆる安楽椅子探偵よろしく、家から一歩も出ることなく難事件の数々を解き明かしていく……、とはいかず、自信満々で披露する推理はもっともらしくもことごとく的外れ。代わって登場する洋行帰りのハイカラ探偵・結城新十郎が見事に謎を解き明かした後、「俺にゃあチャンとわかってたのさ」と負け惜しみを吐くのがお決まりのパターンなのです。
 「天下稀代の頭脳、利剣の冴え、飛ぶ矢の早読み、顕微鏡的心眼」を備えた超人として描かれることの多い勝海舟を、見栄っ張りだけど憎めないワトソン役として描きつつ、旧徳川重臣の家に産まれながらヨーロッパ流の洗練を纏う名探偵・結城新十郎が活躍する軽妙洒脱な構成には、「戯作者」としての安吾のエンタメ精神が存分に現れていますが、同時に注目すべきは1つ1つのトリックの緻密さ。決して借り物ではないアイディアの数々には、欧米に遅れをとる日本の推理小説のレベルを引き上げんとする安吾の心意気が感じられます。また各話が「事件の概要と手がかり→勝海舟の(ヘボ)推理→結城新十郎による解決編」という厳密な「本格推理」の形式を備えており、知的パズルとしての楽しさも十分。安吾一流のユーモアと歴史ロマン、上質な謎解きが短い物語に凝縮された、コスパ抜群の逸品です。

 

推理小説マニア・福永武彦の矜持が光る「加田伶太郎作品集」

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 代表作『草の花』における繊細かつ叙情的な作風から、堀辰雄(『風立ちぬ』)に並ぶ「サナトリウム文学」作家としてのイメージが強い福永武彦ですが、実は様々なジャンルのエンターテインメント小説に挑戦しています。映画化もされた平安歴史恋愛小説『風のかたみ』や、「船田学」名義で著されたSF小説群、さらには中村真一郎、堀田善衛と共に映画『モスラ』の原作を執筆するなど、同世代には類を見ないマルチタレントっぷり。そんな彼が推理小説に目をつけないわけもなく、「加田伶太郎」の筆名の下、8編の短編推理小説を残しています。
 文化大学古典文学科の助教授・伊丹英典が活躍するこれらの物語は、精緻な論理性と厳密な構成が持ち味の本格派。中でもシリーズ第1作、その名も「完全犯罪」は名作の呼び声も高い逸品です。マルセイユから日本に向かう貨物船に集った4人の日本人。その内の一人が語るのは、少年時代の彼が遭遇した怪事件でした。洋館に住まう資産家に繰り返し届く英文の脅迫状。密室の中で発見された絞殺死体。現場から発見されたメモ書きには、殺された被害者自身による殺人計画が……。ついに迷宮入りとなった過去の殺人事件をネタに、乗り合わせた4人が繰り広げる多重推理。安楽椅子探偵・伊丹英典が見出した驚くべき事件の真相とは。

 と、あらすじを並べると地味でありきたりな設定に見えなくもないのですが(笑)、そこは「本格物がかくも退潮時にある時、一つこちこちの本格探偵小説を物すというのは、痛快でもあれば野心的でもある」と語る福永武彦の矜持あればこそ。奇抜な設定や外連味のある演出に頼ることなく、トリックの新規性一本で勝負する姿勢こそ潔しというべきでしょう。また、推理小説マニアであれば、エラリー・クイーンを始めとする先達たちに捧げられたオマージュにニヤリとさせられるはず。また、巻末に添えられた「素人探偵誕生記」では、架空の作家・加田伶太郎に扮した福永が「完全犯罪」の制作秘話に寄せて自身の推理小説論を展開しているのも面白いところ。純文学作家としての福永武彦と推理小説家としての加田怜太郎を意識的に使い分ける彼の筆致は、作家にとって小説の「ジャンル」が持つ意味を考えさせます。
 推理小説マニアの遊び心に彩られた珠玉の掌編。本格志向のあなたには『加田伶太郎全集』がおすすめです。

 

欲望、暴力、因襲が渦巻く異界へようこそ——ウィリアム・フォークナーのゴシック推理小説

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 第一次世界大戦後のアメリカにおいて、フィッツジェラルドやヘミングウェイなどとともに失われた世代(ロスト・ジェネレーション)の一人として活躍し、1949年にはノーベル文学賞を受賞、中上健次や大江健三郎にも多大なる影響を与えた大作家でありながら、日本では今ひとつ認知度の低い文豪ウィリアム・フォークナー。文学研究の業界では今やもっとも研究者の多いアメリカ作家の1人と言われながら、一般読者に敬遠されがちなのは、とにもかくにも「難解」であるというイメージが一人歩きしてしまったせいだと思われます。確かに、ドライで簡潔なヘミングウェイの文体や、流麗絢爛な表現を駆使するフィッツジェラルドなどに比べると、フォークナーの語りは重厚複雑。前衛的・実験的な表現も多く、一文一文を丁寧に読めば読むほど、一体何が起きているのかわからなくなるということもしばしばです。

 しかし、難解な文体に尻込みしてフォークナーを読まないのは、臭いにビビって納豆を食わずに人生を終えるようなもの!(笑)
 実はエンタメ小説好きの人にこそ読んでほしい作家なのです! 彼の最高傑作とされる『アブサロム、アブサロム!』は、因習と怨念の渦巻く旧アメリカ南部で起こった殺人事件をめぐって展開される、息をもつかせぬ「ゴシック推理小説」

 時は1909年、ハーバード大学への入学を控えた没落貴族の跡取りクエンティン・コンプソンは、孤独な老嬢ローザ・コールフィールドから、大富豪サトペン一族の繁栄と没落の物語を聞かされます。冷酷非道な初代領主トマス・サトペンの息子ヘンリーは、南北戦争から復員して間もなく、自身の大親友にして妹ジュディスの婚約者チャールズ・ボンを銃殺して出奔します。彼はなぜ最愛の友を殺したのか? その動機を解明すべく、友人とともに推理ゲームに興じるクエンティン。その中で見えてきたのは、近親相姦と人種混淆に彩られたサトペン家の歴史と、アメリカ南部という社会に巣食う呪い。一方、すでに主人を失ったはずのサトペン屋敷に跋扈する不気味な人物の影。アメリカ文学史上の大傑作とされる『アブサロム』ですが、プロットだけを取り出せば、センセーショナルな要素を複雑に絡み合わせながらどんでん返しの結末へと疾走する超弩級のエンターテインメント! と言えなくもないのです。

 あまり知られていませんが、実はフォークナーほど「推理小説」という形式に意識的だった作家も珍しく、ハードボイルド探偵映画の傑作『三つ数えろ』の脚本執筆を担当したり、自作の推理小説だけを集めた短編集『駒さばき』を出版したりもしています(そのうちの一編は『エラリー・クイーン・ミステリ・マガジン』の第1回コンテストで堂々の第2位を獲得しました)。彼の作品の特徴は、「推理小説」的な形式を通じて、アメリカ南部にはびこるイデオロギー的な問題、とりわけ黒人に対する人種差別の問題をあぶりだしたこと。作品内で起こる事件の動機を調査するうちに、探偵役となる主人公たちは自らがその一員である共同体の因習が、どれだけ人々を抑圧しているかに直面します。犯人は常に日1人、しかし彼らを生んだ社会の罪に対しては、探偵そのものでさえ潔白ではいられないのです。「エンタメ」「ブンガク」融合として結実したアメリカ小説史上の奇跡、先入観を持たず、ぜひ一度体験してみてください。

 

なんとあのマーク・トウェインも推理小説を書いていた……!

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 フォークナーと同様アメリカ南部に生まれ育ち、『トム・ソーヤーの冒険』や『ハックルベリー・フィンの冒けん』で、その自然や文化を鮮やかに描き出したマーク・トウェインもまた、「推理小説」によって南部の闇をえぐり出した一人です。「血の呪い」、「先祖の怨念」なんて言葉に反応してしまうゴシック好きのあなたに是非おすすめなのが、トウェイン晩年の問題作『まぬけのウィルソン』。南部名門貴族ドリスコル家の屋敷でひっそりと行われた、領主の息子と奴隷の息子のすり替え事件。10数年後、領主の遺産を巡り殺人事件が発生。先進的すぎる思想や捜査方法のため「まぬけ」とあだ名される弁護士ウィルソンは、ドリスコル家に取り付く呪いの正体を暴くことができるのか……。

 アメリカ南部の負の歴史に鋭く切り込む社会派小説でありながら、世界で初めて「指紋」をトリックに取り入れた革新的推理小説でもある本作。一見大衆的な設定の中でトウェインが追求したのは、「自分が自分であるとはどういうことなのか」というアイデンティティの問題です。舞台となる旧アメリカ南部では、人は肌の色がどれほど白くても、先祖から一滴でも「黒い血」を受継げば奴隷の身分に落とされてしまいました。自分がいつ黒人と認定されるかわからない恐怖の中で、白人たちが唯一絶対不変のアイデンティティ証明として発見されたのが「指紋」だったのかもしれません。それは皮肉にも「人種」という枠組みがいかに脆弱で、曖昧なフィクションに過ぎなかったかを我々に伝えます。

 彼特有の一流ギャグセンスを基調としながら、人種差別というあまりに大きな罪への忸怩たる思いが滲んだ『まぬけのウィルソン』は、晩年のトウェインの葛藤を反映するかのように、歯切れの悪い、苦い結末を迎えます。『トム・ソーヤー』の児童作家としてトウェインしか知らないあなたに、ぜひ味わっていただきたい問題作です。

おわりに-どうして「推理小説」なのか?

 文豪たちの本気(・・)の推理小説、いかがだったでしょうか。なぜ彼らは推理小説に惹かれるのか。理由は一口には言えませんが、彼らに共通するのは、戦争を通じて社会の大変化を経験しているということ。青春期を通じて第一次世界大戦、第二次世界大戦をそれぞれ経験したフォークナーと安吾が、それぞれ南北戦争と戊辰戦争を経て社会体制が180度変わってしまったアメリカ南部と日本を探偵小説の舞台に選んだのは、決して偶然ではないでしょう。巨大な世界大戦ののち、目まぐるしく変化していく社会のうねりに対応できず、時代に打ち捨てられていった者たちのルサンチマンや、安定しない経済状態への不安が、1つの殺人事件を通じて象徴的に描かれ、またそこに再び安定した秩序を回復したいという願いが、並外れた知性を以って事件を解決する探偵というキャラクターに込められているのかもしれません。

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