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日本の文豪たちの泥沼エピソードまとめ【不倫・盗作・殺人など】

恋愛事件から盗作、さらには殺人に至るまで……明治から昭和にかけての、時代を代表する作家たちのスキャンダル報道を通じて見えてくるのは「ゲスの極み」の文学史!

殺人犯の作家

そして、人と人との関係が最悪の結末を迎えるとき、殺人事件が起こります。

1968年、19歳の時に無差別にピストルで4人を射殺する事件を起こした永山則夫は、獄中でマルクス主義を独学で学び、数々の手記や小説を書き始めます。1971年、手記『無知の涙』『人民をわすれたカナリアたち』を出版。ここに、ひとりの殺人犯の書き手が生まれました。のちには、日本文学賞受賞作品である『木橋』(1984)をはじめとする多くの小説も刊行しました。

1979年には東京地裁で死刑判決が下されます。この判決は2年後に覆り、東京高裁で無期懲役になるのですが、結局、再度死刑判決が出て、1997年、48歳で処刑されました。

1990年には、この永山をめぐって、日本文芸家協会の入会に関する揉め事が起きます。理事会で入会を認めるかどうかについて、賛否両論が出たことが事の発端です。結局、永山は入会できず、これに抗議した柄谷行人、中上健次、筒井康隆らが協会を退会。「殺人犯である作家」の社会的な立ち位置をめぐる問題が問われました。

なお、殺人事件の犯人が小説作品を執筆したその他のケースとして、パリでオランダ人の女性を殺してその人肉を食べた佐川一政、スパイ粛清事件を起こし、獄中で『天皇ごっこ』を執筆した見沢知廉などがいます。

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芸術かワイセツか? 裁判沙汰に

2014年、女性器をテーマに活動していたアーティストのろくでなし子が、自分の女性器を3Dプリンタ用データにして、男性たちにダウンロードさせたとして警視庁に逮捕されるという事件が起こりました。これに対して、ろくでなし子は容疑を否認。彼女をサポートする膨大な反対の署名が集まります。芸術か、猥褻かという問題は、いまだに決着のついていない問題として現在も問われ続けています。

過去にも米軍の占領下、D・H・ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』を翻訳した伊藤整と、出版社小山書店の小山久二郎が、刑法175条違反で起訴されるという事件が起きました。作品のなかに、性的な描写があることが問題視されたためです。この事件が決着を見るのは、1957年です。最高裁の判決は、ふたりの上告を棄却し、『チャタレイ夫人の恋人』を猥褻文書と認めるものでした。したがって、そのままのかたちで刊行することはできず、1964年に該当箇所を伏字にしたものが出版されることになったのです。この事件をもとに伊藤整は、『裁判』という著書を発表します。

伊藤整は文芸評論家、小説家として有名であり、近代日本を代表する知性のひとりであったといえます。事件が起こったのは占領下であり、戦後の新憲法下で争われたこの裁判は、「表現の自由」「公共の福祉」という戦後の価値観をめぐる言論裁判としても注目されたのです。

 

「泥沼」から倫理を考える

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いかがでしたでしょうか。明治から昭和にかけての、時代を代表する作家の泥沼エピソードは、つねにスキャンダル・ジャーナリズムの話題でした。当時の作家の社会的な地位は、今よりもはるかに大きかったとも言えます。

それと同時に、こうした文学をめぐるスキャンダラスな逸話のひとつひとつが、当時の権力や風俗の価値観をあぶりだす、リトマス試験紙のようなものでもありました。豆知識として楽しみながら、その倫理的な意味についてしっかりと考えて行くことが大切なのではないでしょうか。

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