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オダサクと太宰、芥川と漱石……話題のゲーム「文豪とアルケミスト」が描く、キャラクター同士の絆。

実在する文豪をモチーフとしたキャラクターが登場するゲーム、「文豪とアルケミスト」。ゲームで描かれているキャラクター同士の交流を、史実をもとに解説します。

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実在する文豪をモチーフとしたキャラクターが登場する漫画、『文豪ストレイドッグス』が火付け役となって以来、若い女性のたちの間で「文豪」への注目が集まっています。文豪に興味を持った女性たちは「文豪女子」と呼ばれ、2016年に東京都北区の田端文士村記念館、兵庫県芦屋市の谷崎潤一郎記念館で行われた『文豪ストレイドッグス』とのコラボレーション展示には、多くの人が押し寄せました。

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そんな『文豪ストレイドッグス』の人気が冷めやらないなか、文豪を題材とするブラウザゲーム「文豪とアルケミスト」(通称:文アル)が2016年11月、配信されました。

この「文アル」の舞台は、どこか近代的な雰囲気を持つ日本。突如起こった、文学書の存在が人々の記憶から失われていく異常事態に対処すべく、プレイヤーは特別な力を持ったアルケミストとして、実在する文豪がモデルとなったキャラクターたちを転生、強化していきます。そうして得た文豪の力を使い、本の世界を破壊する侵蝕者を討伐する……という目的のゲームです。

「文アル」には芥川龍之介や太宰治、宮沢賢治など40人を超える個性豊かな文豪たちが登場するだけでなく、それらの関係をていねいに描いています。プレイヤーはいずれも史実を元にした会話や設定から、交友、師弟といった関係を読み解くことができるのです。今回はそんな「文アル」に登場するキャラクター同士の関係を、史実とともに紹介していきます。

無頼派の仲間、オダサクと太宰の交友関係。

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出典:http://amzn.asia/coPooHj

「文アル」では冒頭から登場する文豪、織田作之助。大阪に生きる人々の何気ない日常をユーモアたっぷりに描いた『夫婦善哉』、『青春の逆説』などは今も多くの人に愛されています。

織田は太宰治坂口安吾とともに、第二次世界対戦直後の混乱の中で、反俗の姿勢を貫いて時代を象徴する作品を描こうとした「無頼派」(新戯作派しんげさくはとも呼ばれていました。「文アル」でも同じ無頼派作家であることから、太宰と織田は親友という間柄として描かれています。ゲーム中でふたりが「一緒にバーで飲んだ時」について思い出話を咲かせる場面では、銀座のバー、ルパンで写真家の林忠彦に写真を撮影されたエピソードのことが元ネタとなっているように、史実においてもふたりは親しい関係にありました。

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写真:林忠彦写真集 日本の作家(小学館) 撮影/林忠彦

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しかし、織田が亡くなった際に太宰が書いた『織田君の死』によれば、実際にふたりが会ったのはたった2回。それでも太宰は「織田君の哀しさを、私はたいていの人よりも、はるかに深く感知していたつもりであった。」と、織田の死を深く悲しんでいました。

はじめて彼と銀座で逢い、「なんてまあ哀しい男だろう」と思い、私も、つらくてかなわなかった。彼の行く手には、死の壁以外に何も無いのが、ありありと見える心地がしたからだ。
こいつは、死ぬ気だ。しかし、おれには、どう仕様もない。先輩らしい忠告なんて、いやらしい偽善だ。ただ、見ているより外は無い。

「織田君の死」より

織田は34歳という早すぎる死を迎えていますが、太宰は初対面から織田に死の影を感じていました。そんな織田に何を言っても「いやらしい偽善」だと悔やみながらも、「織田君! 君は、よくやった」という一文で締めくくっています。直接会って言葉を交わしたのはわずか2回ですが、織田と太宰の間には強い絆が生まれていたといえるでしょう。

 

師弟関係だと思ったら、中傷し合う関係だった?穏やかではない佐藤春夫と永井荷風。

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出典:http://amzn.asia/f0hzcei

「門弟三千人」と称されるほど、数多くの門下生を持っていた文豪、佐藤春夫。彼を師とする門人は井伏鱒二吉行淳之介遠藤周作など、そうそうたる顔ぶれが揃っています。

そんな数多くの文豪たちから慕われていた佐藤が師と仰いでいたのは、永井荷風でした。佐藤は10代の頃に荷風の作品に惚れ込んだ結果、荷風が当時教授を務めていた慶應義塾大学に入っています。

一方で荷風は、佐藤のことを日記『断腸亭日乗』において名指しで中傷しています。ある日、国語の浄化を目指す日本詩人協会から参加を求められた荷風は、会員名簿のなかに佐藤春夫の名前を見つけます。そこで荷風は詩人協会と言いながらも和歌や俳諧、漢詩などの作者を除外していることを指摘し、弟子であるはずの佐藤について「佐藤春夫の詩が国語を浄化する力ありとは滑稽至極といふべし。」とまでこき下ろします。

「文アル」では、佐藤が日記での中傷をもとに、「俺のことが嫌いだったんだな」と投げかけていますが、史実での佐藤はそれを知っていたうえで、自叙伝『詩文半世紀』で荷風への文句を書き連ねています。

しかし荷風の死後、晩年荷風に接近していた一人物の口から荷風の言として、わたくしに関して許しがたい言葉が流布しているのを伝聞して以来、わたくしの荷風崇拝ともいうべきものが、一時に根底からひっくりかえった。
(中略)わたくしは五十数年来、築きつづけて来た我が崇拝像の粉砕して行くのを惜しいことに思ったが、この幻滅がわたくしに荷風その人から学んだものよりも、更に一段と多くの厳しいものを教えてくれたような気もしている。

「詩文半世紀」より

この自叙伝には金銭面や女性関係でだらしがなかった荷風への恨みつらみとともに、それでもすべてを嫌いになれない複雑な思いが込められています。多くの弟子を抱えていた佐藤と、そんな彼が師と仰いでいた荷風。ただの師弟関係と簡単に言い表せない関係に萌える「文アル」プレイヤーも少なくないことでしょう。

 

日本文学史上、最も重要な出会いを果たした芥川と漱石。

原稿用紙

『羅生門』『鼻』を代表作に持つ芥川龍之介は、言わずと知れた日本を代表する文豪のひとりです。そんな芥川は「文アル」においてメインキャラクターとして登場しており、人気を集めています。

芥川が作家の道を志したのは、ある文豪との出会いがきっかけであると言われています。大学生の時に『羅生門』を書くも、世評にものぼることはありませんでした。それどころか、見ず知らずの相手から「小説を書くのはやめたらどうか」という意見の手紙を受け取った芥川は筆を折ることさえ考えます。自分の書きたいものは評価されない……、苦悩を抱えた芥川を救ったのは、夏目漱石との出会いでした。やがて漱石の門下生となった芥川は、仲間とともに創刊した、同人誌第四次「新思潮」『鼻』を掲載。この作品を漱石は手紙で絶賛します。

あなたのものは大変面白いと思います。落ち着きがあって巫山戯ふざけていなくって、自然そのままの可笑味おかしみがおっとり出ている所に上品な趣があります。それから材料が非常に新らしいのが眼につきます。文章が要領を得てよく整っています。敬服しました。ああいうものをこれから二三十並べて御覧なさい。文壇で類のない作家になれます。しかし「鼻」だけでは恐らく多数の人の眼に触れないでしょう。触れてもみんなが黙過するでしょう。そんな事に頓着しないで、ずんずん御進みなさい。群衆は眼中に置かない方が身体の薬です。

漱石からの手紙にあったのは、作品の評価だけでなく、「群衆は眼中に置かない方が身体の薬です」というアドバイスでした。この手紙は、それまでただの文学青年だった芥川に大きな自信をもたらし、新進作家としての地位を築いていくこととなるのです。

その後も芥川は生涯漱石のことを「先生」と呼び、さまざまな作品の中でも登場させるほど慕います。時に芥川の身の上相談にも優しく耳を傾ける様子を芥川は後々まで忘れることはできなかった、と語るほどでした。

そこまで漱石を師と仰いでいたからこそ、「葬式で泣くやつは偽善だ」とまで言い張っていた芥川が、漱石の葬儀で号泣したのは不思議ではありません。後の文学の世界をリードしていく才能を発掘した漱石と、一度は諦めかけた創作の世界に導いてくれた師を仰いでいた芥川との間には、強固な絆が築かれていたのです。

 

目指すものは違えども、親友だった堀辰雄と中野重治。

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『風立ちぬ』『聖家族』など、西欧文学の影響を受けた純度の高い作品を数々残した堀辰雄は、「文アル」で描かれているように芸術的叙情性や生活実感にあふれた作品で有名な中野重治と友人関係にありました。

堀と中野は、当時文学を志す若者たちが集った田端で開かれた会合をきっかけに出会います。初対面よりも前に堀は「昨日は面白い男が来たよ」と室生犀星から聞かされ、中野は堀を見るなり「やあ、君が堀君かね」と声をかけてきたといいます。

ふたりはやがて仲間とともに雑誌「驢馬」ろばを創刊しますが、そのタイトルを決める際の思い出を堀は『二人の友』という随筆で語っています。

雜誌の題は、とうとう「驢馬」といふのに決つた。これは僕がフランシス・ジャムの詩から思ひついた名だつた。僕が最初それを云ひ出した時は「何? 驢馬か? はツはツは」と中野が眞先になつて笑つたが、みんなはいつかこの名前に愛着を持つやうになつた。そして最後にこれにしようかと云ふことに決まりかけた時、中野は最もそれに贊成した一人だつた。

『二人の友』より

後にこの雑誌の関係者の多くはプロレタリア文学運動に参加し、雑誌は12号を出して終刊。中野もまたそのうちのひとりでしたが、堀は「僕はさういふ自分をひどく悲しみはしたが、それでもとうとう自分の立場を守り通した。」とあるように、たったひとりになろうとも自分の信念を貫き通しました。

しかし、堀の死後に開かれた座談会で中野は「いつ頃から堀さんとは道が分かれましたか」と質問されたことに対し、「堀とは道が分かれたというようなことはない」と答えています。そして堀も、中野からの手紙を大切に持ち歩いていました。目指すものがそれぞれ違えども、ふたりはお互いを理解しようとする親友として想い合っていたのです。

 

「文アル」は文豪同士の絆に注目した、関係に萌えられる作品

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出典:http://amzn.asia/c26QPxQ

「文豪とアルケミスト」はひとりのキャラクターの魅力だけにとどまらない面白さを持った作品です。力を合わせて技を繰り出し、かつての思い出を語りながら食事をする……これはふたりでなければ、見えてこないものです。

そんな関係に萌えるとともに、史実を調べてみれば、新たな発見があるかもしれません。ぜひ、あなたもこのゲームを通し、各キャラクターが、仲間との間に見せたであろう、文豪としての素顔を発見してみてはいかがでしょうか。

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