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『コンビニ人間』で芥川賞受賞・村田沙耶香が語る、中上健次作品の“不思議な感覚”

『コンビニ人間』で芥川賞を受賞した作家・村田沙耶香が、中上健次作品との出会いや、作品から受けた”不思議な感覚”、そして熊野の地への思いを綴ります。彼女が考える、中上文学の神髄とは?

さる6月20日に発表された第155回芥川賞を、『コンビニ人間』で受賞した村田沙耶香が、中上健次の作品の出会いと、そこから受ける”不思議な感覚について、赤裸々に語ります。

純文学に導かれたきっかけは「中上健次」と語る、作家・佐藤友哉。その神髄とは?の記事で、「中上文学の神髄を語る(1)」を公開しています。
第2回目となる今回、村田氏による寄稿を、ぜひご一読ください。

村田沙耶香が「女ではない何か」になって見つめた作品『鳳仙花』

毎年、8月第1週目の週末に、中上健次が生まれ育った和歌山県新宮市で開催される中上文学の夏期セミナー「熊野大学」。

生前の中上を知らない気鋭の女性作家・村田沙耶香は、今年の「熊野大学」へ3度目の参加となりました。

第155回芥川賞受賞で現在最もホットな作家である村田氏が、中上文学との出会いと、作品から受けた”不思議な感覚”、そして熊野の地への思いを、”短編小説”のように紡いでいきます。

必読の一文です。

村田沙耶香写真 撮影:永瀬沙世_
撮影:永瀬紗世

中上文学の神髄を語る(2)

「女」という生きものと出会うとき    村田沙耶香

熊野に行きませんか、と声をかけてもらったのは、数年前の夏の出来事だった。

中上健次に対する私のイメージは、「神様」だった。大学生のころ、文学の勉強会のような場所に通っていた私は、自分より何十歳も年上の先輩たちに囲まれて、皆が身を乗り出して文学の話をしているのを聞いていた。中上健次の話になると、皆、特に熱っぽくなるのをどこかで感じていた。それぞれが述べたい言葉が疼いて、一人の言葉が途切れるとほかの誰かが身を乗り出して喋り出し、その横で別の人が口を半開きにしながら言葉が途切れるのを待っている。その名前があがるだけで、場の温度が上がるような気がした。私が初めて中上健次の作品を読んだのも、先輩たちの影響だった。

中上健次の作品は、とても不思議な感覚を私に与えた。最初に手に取ったのは『蛇淫』だった。「女」と「彼」が登場する短編を読むとき、私は「女」ではなく「彼」に強く自己投影をした。そういう読み方で読むことがいいとは思わないが、そのときの私は、どうしてもそういう読み方しかできない状態だった。「雲山」は特に好きな短編だが、女房ではなく「彼」が、自分の内面を掻き毟るのだった。まだ、自分が触ったことのない、覚醒させたことのない一部分が、疼いてしょうがないのだった。自分と「彼」にどう共通点があるのかと問われれば、うまく説明はできない。私には女房も娘もいないし、誰かを殺そうとして躊躇したこともない。主人公と違ってその頃の私はビールも飲めなかった。けれど、私には「彼」が、実際に生きている私よりも、私のなかの「ある部分」に近い人物である気がした。勉強会の先輩たちは中上健次の話なら何時間でもできるような、全ての作品を読み込んでいる人ばかりだったので、私はなかなか自分の稚拙な感想を述べることができなかった。皆に比べればずっと幼稚な、けれど鮮烈な読書体験を抱えながら、中上健次が「神様」と言われているのを、じっと聞いていた。

熊野は遠いよ。熊野大学に誘ってくださった方には、そう教えられていた。とても緑が多い場所だと聞き、私は小さい頃あそんだ祖父の田舎をぼんやりと思い浮かべ、きっと似たような場所だろうと想像していた。

遠いと言われていたのに、電車の窓から外を眺めていると飽きることがなかった。一緒に電車に乗っている方に、自分の祖父の田舎は雪国だと言うと、たぶん、生えている木の種類が違うから、よく見てごらんと教えてもらった。確かに、自分が知っている山々に比べると木々は丸みをおびていて、緑にも、土にも、水にも、温度があるように感じられた。海が見えると、私は立ち上がって窓に近付き、光る水面を眺めた。海のせいだけではなく、山も緑も濡れているように艶めいて見えた。

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『鳳仙花』を読んだのは、熊野に行ったあとのことだった。自分が目にした熊野の情景を思い出しながら、生き抜いている「女」であるフサの姿をひたすら見つめ、夢中になった。フサの肌も、髪も、あの窓から見た木々のように、水を含んで、しっとりと濡れているように感じられた。

この巻には、中上健次が女性を主人公にした作品が集められている。このエッセイの執筆依頼書には、「女性作家の視点から、中上作品に登場する女性像等につきまして……」と書いてあり、その一文がどうしても消化できなくて、うまく言葉を紡ぐことができずにいる。私は女だけれど、中上健次の作品を読むとき、「女ではない何か」になって「女」を見つめているような感覚があるからだ。乳房や尻、性器などは、自分の身体にもあるものなのだが、中上健次の作品の中で「乳房」「性器」という言葉が出てくると、私は自分にはない神秘的なもの、なにか不可解な力を宿している動物的なものと出会った気持ちになった。幼いころ、まだ自分の身体に性別がほとんどなかったとき、銭湯で眺める女の身体は、自分とは違う生物のようで、一匹一匹ちがう形をしていて、つい眺めてしまうことがあった。その感覚とまったく同じわけではないが、中上健次の小説を読むとき、これが「女」という生きものなのか、という不思議な、感動という言葉よりもっと切実な、温かい痛みと共に胸に迫る感覚が自分から湧きあがってくるのだった。

『鳳仙花』を読んだときもそうだった。私は男でも女でもない「何か」になり、フサを見つめていた。冒頭ではまだ十五歳の少女のフサが、女としてどんどん花開いていき、子宮に子供を宿し、新宮の街を生き抜いていく。物語が進むにつれて、フサはどんどんその身体の中に「女」という生きものの神秘を宿していくように見えた。その姿はどこか動物的でもあり、性愛というものの原点を見ているような気持ちにさせられた。自分自身の身体にある乳房や子宮がどこか記号的に感じられているのと対照的に、フサの身体の中のそれらは、動物としてとても正しい、一匹の「女」の肉体の一部なのだった。どこか懐かしいその「女」の姿を、私は必死に見つめ続け、その美しい生々しさに強烈に引き寄せられるのだった。

それは、熊野の光景を窓から見たときの感動にも、どこか似ているものがあった。「緑」と聞いて私が思い描いたものが、一旦まっさらに崩壊し、想像よりずっと瑞々しく鮮烈な光景としてそこに立ち上がってくるのだ。「女」としてのフサも、同じように、胸を打つ姿で、物語の中をすっと立っているのだった。


村田沙耶香

Sayaka Murata

1979年生まれ。千葉県出身。小説家。玉川大学文学部芸術文化学科卒。2003年、デビュー作『授乳』で群像新人文学賞(小説部門・優秀作)受賞。2009年『ギンイロウタ』で野間文芸新人賞、2013年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島由紀夫賞受賞。2016年『コンビニ人間』で第155回芥川賞を受賞。主な著書に『マウス』『星が吸う水』『ハコブネ』『タダイマトビラ』等。

コンビニ人間書影

おわりに

村田沙耶香の中上文学への熱い思いが伝わってきたのではないでしょうか。

中上健次の作品を読むとき、「女ではない何か」になって「女」を見つめているような感覚がある

という彼女の感覚は、中上作品のもつ”特別な力”に起因しているのかもしれません。
『鳳仙花』は、中上の実母ちさとに捧げた物語でもありました…。

中上健次電子全集5 「紀州熊野サーガ3 女たちの物語」

南紀(なんき)和歌山の古座から新宮へ、十五歳の春に奉公に出た私生児フサの半生記。『鳳仙花』は、中上健次の母・ちさととその母系一族に贈られた美しい讃歌でもあった。南紀の風土の恩寵によって少女から女へと成長するフサは、やがて子を宿し、母となって女性としての業を背負うことになる。兄の死に次いで襲いかかる夫の死、食糧難の戦時下を四人の子供を抱えて生き延び、敗戦直後には秋幸という私生児を産み、他に女を作った男を捨てるフサ。やがて彼女は、もう一人の男と出会い秋幸一人を連れ子にして新世帯を持つ。紀州熊野サーガの主人公・秋幸誕生の原点がここにある。
『紀伊物語』は、大島生まれの佐々木道子をヒロインとした一連のサーガの周縁に位置する作品。『ほかに、短編連作『水の女』を収録する。

中上-5

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