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乙一=中田永一=山白朝子=安達寛高。多様な作風とそれぞれの魅力。

1996年にデビューして以来、多くの作品を発表し続けてきた乙一。その他にも別名義で活動を行い、ひとつのジャンルにとどまらない才能を発揮しています。乙一の作品に見られる特徴とともに、別名義である中田永一、山白朝子の活動を紹介します。

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1996年に鮮烈なデビューを果たして以来、切ないジュブナイル小説(※)や後味の悪いミステリーなど、ひとつのジャンルにとらわれない作品で読者を驚かせ続ける作家、乙一。数々の作品が映像化されていることから、その名を目にしたことがある方も多いのではないでしょうか?

乙一は、2017年7月より放送を開始した特撮作品「ウルトラマンジード」のシリーズ構成、脚本を担当しています。人気作家が50年の歴史を誇るウルトラマンに携わる……そんな発表はファンの間ですぐに話題となりました。

注目すべきなのは、脚本は乙一、シリーズ構成は本名の安達寛高あだちひろたかという名義になっていること。映像作品には安達寛高として携わることが多い彼ですが、この他にもふたつの名義で活動していることが明らかになっています。

今回はそんな数々の顔を持つ作家、乙一とそれぞれの名義による作品を紹介します。

※少年少女を対象とした小説

 

作家生活21周年。乙一の人気の秘密はどこにある?

乙一は1996年、『夏と花火と私の死体』で第6回ジャンプ小説・ノンフィクション大賞を受賞したことをきっかけにデビューしました。

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この作品の特徴は、主人公の少女、五月を殺害してしまった弥生と、その兄、健が死体を隠蔽しようとする四日間の出来事が死体となった五月の目線によって語られる点にあります。

最後に、踏み台にしていた大きな石の上に背中から落ちて、わたしは死んだ。
鼻の穴や耳の穴、いつも涙が出てくる部分など、体中の穴から赤黒い血が流れ出している。それはほんの少しの量だったが、そんな顔を健くんに見られるのかと思うと悲しくなってきた。

「あなたたちの布団を畳みにいくんですよ。それから蚊帳もね。あなたたちじゃあ天井から下がっている蚊帳に手が届かないでしょう?」
話を聞いて、怯えたように弥生ちゃんが健くんのほうを見る。いつも布団をしまっている押し入れには今、わたしが入っているのだ。おばさんがあそこを開けてしまうと、自分たちのやったことがばれてしまう。そんな不安が顔に浮かんでいた。

側溝や押入れに隠しては、あわやというところで見つかりそうになる「わたし」の死体。度々迎えるピンチをすんでのところで切り抜ける描写をスリルたっぷりに描いたこの作品は、栗本薫や我孫子武丸あびこたけまる、小野不由美といった多くの作家たちに大きな衝撃を与えました。

文庫版の解説で小野不由美はこう述べています。

「さて問題は、『わたし』の死体の一人称なのだが。ーーこれがすごく変。そう、変なのだ。これは五月という殺された少女の一人称ではない。死体を抱えて右往左往する子供につきまとった亡霊の視点ではない。これはむしろ、『わたし』という自称を持つ神の視点なんだと思う。五月という少女の一人称、彼女の視点は、死を契機にして神の視座へと昇る、ーーそう考えたほうがいいのではないだろうか」

『夏と花火と私の死体』 解説より

死体の処理に奔走するふたりの様子や絶体絶命の危機を、淡々と見守る五月の視点はどこか神をも思わせます。その一方で、押入れの布団で死体を隠そうとするシーンでは「もし生きていれば、この暑苦しい季節、死ぬほど辛い思いをしたことだろう」と皮肉めいた表現がどこかコミカルにも見えます。

その後も乙一は次々と作品を発表していきます。ある作品で残酷な描写が多いグロテスクな印象を与えたかと思えば、別の作品では繊細でどこか切なさを感じさせるなど、その作風は多種多様。そんな振れ幅の大きい作品はいつしかファンの間で猟奇的な作品は“黒乙一”、物悲しさを含んだ作品は“白乙一”と呼び分けられるようになります。

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そんな黒乙一のひとつ、『ZOO』はホラー、サスペンスなどを中心とした短編集です。収録作品は双子の妹だけが可愛がられ、自分だけがひどい扱いを受ける「カザリとヨーコ」、何者かに拉致監禁された姉弟が脱出を試みる「SEVEN ROOMS」、言霊を支配する能力を手に入れた主人公の悲劇を描いた「神の言葉」など、どこか陰湿なものばかり。コミカルなものやポップなものもありますが、いずれも「死」を題材にした作品は私たちに言いようのない恐怖を与えます。

黒乙一には、読んだ後に嫌な後味が残る作品も少なくありません。『死にぞこないの青』は、小学生のマサオがクラス内のいじめの標的となりますが、それを先導したのは、なんとクラス担任の羽田。羽田に同調したクラスメイトから暴行を受けたマサオは、精神的にも肉体的にも追い詰められていきます。

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小学生にとって、教室という小さな世界では教師が絶対的な存在。そんな教師に嫌われ、クラス中から敵対されるのは、絶望的ともいえるでしょう。どこにも味方がいない教室で、マサオがじわじわといたぶられる描写は「もうやめてくれ」と叫びたくなるはず。

とはいえ、乙一の作品では主人公がただ痛めつけられるだけではありません。『死にぞこないの青』でも後半からマサオの復讐劇が始まるように、主人公にひどい扱いをする相手は報いを受けます。そう聞くとスカッとするような印象を持ちますが、復讐を果たしたところで相手の真意を知るといたたまれない気持ちになることも。登場人物の心理描写が巧みな乙一の作品は、たとえ嫌な後味が残る黒乙一であったとしても、続けて読みたくなってしまう不思議な魅力を持っているのです。

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一方で白乙一とされる作品、『失はれる物語』には、優しくもどこか物悲しさを感じさせる作品が収録されています。

映画化もされた短編小説『Calling You』は、クラスで孤立していた女子高生、リョウの意識下に携帯電話が現れたところから始まります。

イメージの世界にある自分の手で、本来は実在しない携帯電話を操作した。さきほどから続いていた音楽を止め、躊躇ちゅうちょした後、頭の中で電話に問い掛けた。
「あの……、もしもし……?」
「あ! ええと……」若い男の子の声だった。嘘の携帯電話の向こう側から聞こえてくる。

リョウは戸惑いながらも、存在しないはずの携帯電話で見知らぬ少年、シンヤと交流を深めていきます。お互いに遠い場所に住んでいたふたりはやがて直接会おうとしますが、約束の当日、思いがけない出来事が待っていました。

「他人の社交辞令を真に受けて周りから苦笑される」ことを恐れるばかり、人と関わることを怖がるリョウを、シンヤは「真剣に人の言葉と向き合っているのだと思う」と評します。同じくシンヤも人と関わることを避け、両親にはあたかも友達と楽しい時間を過ごしているかのように見せようと近所のゴミ捨て場で時間をつぶしていることを明かします。リョウとシンヤは、心ない言葉があふれる世界に対して臆病になっていたのです。

人付き合いを諦めかけていたふたりでしたが、イメージ中の携帯電話を通して人と関わりを持つことに喜びや希望を見出していきます。そんなふたりの行く末が、読む者の涙を誘うのです。

白乙一はただ「心洗われる話」にとどまりません。『失はれる物語』の主人公は、事故で全身不随になったうえ、五感のすべてを失います。わずかに残されたのは、右腕の皮膚感覚のみ。音も無い暗闇の中、妻が手をピアノに見立てて演奏することだけが希望でしたが、やがて主人公は自分の存在が妻にとって負担であることに気がつきます。

「ただのいい話」であれば、主人公の容態が回復し、純粋なハッピーエンドを迎えることでしょう。しかし、『失はれる物語』では容態が回復せず、主人公は永劫とも思われる闇の中に閉じ込められ続けます。妻が見舞いに来た時の表情がわからないどころか、事故に遭う前はまだ話せなかった幼い娘の声を耳にすることが叶わないのです。

そんな主人公が妻のために下した決断は、あまりにも切ないものでした。ただのいい話にとどまらないからこそ、乙一の作品はいつまでも記憶に残り続けるのかもしれません。

このように、両極端の作品を書き分けられる乙一の登場は読書家の間で大きな注目を集めることとなります。そして、後に名義も異なる形で乙一はさらに別の作風を見せていくのでした。

 

みずみずしい恋愛や青春を描く“中田永一”。

2011年、乙一はTwitterにて別の名義で活動していたことを明らかにします。その名は中田永一山白朝子。恋愛小説を中心とした中田永一と怪談を得意とする山白朝子、どちらも乙一だったという事実に驚いた人は少なくありません。

中田永一は2005年に出版された恋愛小説アンソロジー『I LOVE YOU』の収録作品『百瀬、こっちを向いて。』で一躍有名になった作家です。

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クラスでは薄暗い電球のようであり、学力も運動能力も平均以下で見た目もダサい底辺だと自覚する相原ノボル。ノボルはある日、先輩で幼馴染の宮崎瞬から百瀬陽ももせようという女子を紹介されます。同学年の神林徹子と交際している一方で、百瀬とも付き合っていた瞬は浮気の疑いを晴らすため、ノボルに百瀬と付き合っているふりをするよう依頼します。最初はタイプの違うことから度々衝突をしていたふたりでしたが、次第にノボルは百瀬への恋心を自覚していくのでした。

ノボルはそれまで、他人を外見と精神の良し悪しを総合した“人間レベル”で評価していました。バスケットボール部のエースである瞬や、校内で1番の美人とも言われる徹子を「人間レベル90以上」と見なす一方、自分は「自分が最下層グループに位置していることを自覚しているぶん、レベル1よりはマシな人間レベル2」としていたのです。

ノボルは当初、自分と同じ薄暗い電球のような気配を漂わせていたクラスメイトの田辺と“同レベル”の人間同士、高レベルのクラスメイトのじゃまにならないように生きるしかないと考えていました。

しかしノボルは、誰に対してもずけずけとものを言い、堂々と生きる百瀬との擬似的な恋愛関係を経て、それまで味わったことがない気持ちを持っていたことに気がつきます。

「あんなやつ、知らなけりゃよかった。ずっと他人だったならよかったのに」
彼女はなんてことをしてくれたんだろう。ほんとうにひどいことを百瀬はしてしまったのだ。僕と手をつないで、母と話してくれて、髪を切ってくれるなんて、罪深いにもほどがある。思い出のひとつひとつが、後で僕をどん底につきおとすにちがいない。ぼくにとっては猛毒だぞ。僕はもう弱くなってしまった。一人でいることが普通であたりまえのはずだったのに。

ノボルは「人間レベルが低いのなら、上げてみせればいい」と努力するのではなく、最初から「人間レベルの低い自分は、それに見合った人生をおくらなければいけない」と諦めていました。そんなノボルは、人間レベルを定めていなかった百瀬との出会いで大きく変わります。

クライマックスで明らかになるタイトルの意味を含め、切なさと青春の甘酸っぱさを感じられるこの作品に続き、中田永一は小さな中学校の合唱部を舞台にした作品『くちびるに歌を』で高い評価を得ることとなります。

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出典:https://www.shogakukan.co.jp/books/09386317

産休に入る音楽教師に代わり、長崎県五島列島にある中学校へやってきた美人ピアニストの柏木。合唱部の顧問となった柏木を目当てに、それまで女子部員しかいなかった合唱部に男子部員たちが多数入部しますが、彼らは練習に真面目に打ち込まない有様でした。

そんな男子部員と対立を深める女子部員たちに対し、柏木はNHK全国学校音楽コンクールの課題曲、「手紙〜拝啓 十五の君へ〜」の歌詞にちなんで15年後の自分へ手紙を書く課題を提案。その手紙には、各々の気持ちがありのままに綴られていました。

拝啓 十五年後の自分へ。

いつもひとりですごしていました。
友だちが、できませんでした。
このコミュニケーション障害は、何が原因なのでしょう。
無意識のうちに、相手を避けていたのかもしれません。
自分は決定的にみんなとちがうのだ、という自覚が昔からありました。
自分のことが、人間の村に入りこんだモンスターのようにおもえるのです。
クラスメイトに話しかけられたとしても、どこかで線をひいて、距離をおいてしまうのです。

『くちびるに歌を』は中学生という多感な時期を、合唱部を舞台に鮮やかに描ききった作品です。これから自分はどんな道を歩むのか、今この瞬間をどう生きるべきなのかを課題曲を通じて見つめ直す部員たち。そんな彼らの等身大の姿に、かつて中学生だった大人たちも感動するに違いないでしょう。

『百瀬、こっちを向いて』と『くちびるに歌を』から読み取れるのは、優しさや幸福感。中田永一の作品は、白乙一にあった要素を大切にしながらも、読んだ後に幸福感が味わえるようになっているといえるのです。

 

美しく、幻想的な作品が多い“山白朝子”。

2005年に怪談専門誌「幽」に掲載された『長い旅のはじまり』でデビューした山白朝子やましろあさこは、ヒヤリと背筋が寒くなる恐怖を幻想的に描く特徴を持った怪談作家です。

山白朝子は「1973年大分県生まれ。出版社勤務を経てフリーライターになった経緯を持ち、趣味は焚き火」という経歴の持ち主。「1978年福岡県生まれ。16歳でデビュー。以降、著書多数。」というプロフィールの乙一と同一人物であることは一見、あまり考えられないことでしょう。

山白朝子のデビュー作を収録した『死者のための音楽』には、物取りに襲われるも一命を取り留めた娘が父親の生まれ変わりである子供を宿した『長い旅のはじまり』や、父を亡くした少女と不気味な鳥の交流を描いた『鳥とファフロッキーズ現象について』など、さまざまな形で「家族」を描いている作品が収録されています。

語り手の周辺で起こる不可解な現象はどこかぞっとさせますが、乙一が『死者のための音楽』の帯に「これは愛の短編集だ」という言葉を寄せているように、家族への愛が詰まった作品集となっています。

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また、『エムブリオ奇譚』は旅本(※)を専門とする作家・和泉蝋庵いずみろうあんとそのお付き、耳彦が旅先で出会う奇妙な出来事をもとにした作品です。

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出典:http://amzn.asia/bpCOSa9

耳彦は給与を十分に貰っていながらも、蝋庵に対してある不満を持っていました。それは、旅作家でありながら幾度となく道に迷う彼の悪癖。うんざりしながらも、耳彦は博打による借金の返済のために蝋庵の旅への同行を余儀なくされるのでした。

他の旅本に書かれていない情報を探し求めるうち、ふたりは思いもよらない出来事に巻き込まれていきます。

ある日、旅先の河原で「小指くらいの大きさで、蛙や芋虫のような白くて小さなもの」を目にした耳彦。何気なく耳彦が持ち帰ったものを見た蝋庵は、それがどんなものなのかを告げます。

「そいつはエムブリヲというやつだよ。」
明け方になり、目をさました和泉蝋庵は、私の手のひらにのっている青白いものを見て言った。
「エムブリヲ?」
「人間の胎児だ。しらないのか、人間は赤ん坊になる以前、母親のおなかの中で、そういう姿をしてるんだ。」

「そいつは埋めてやったほうがいいだろうね」という蝋庵の言葉を受けた耳彦が宿の庭先に埋めようとした矢先、エムブリヲは動き出します。「生き埋めにしたら、殺人と同じだ。せめて動かなくなってから埋めても遅くはないだろう」と考え直し、エムブリヲとともに日々を過ごすようになった耳彦は少しずつ愛情を持ち始めるのでした。

やがて耳彦は博打の元締めから借金のかたとしてエムブリヲを奪われかけますが、蝋庵の仲介によってそれを回避。エムブリヲは心優しい裕福な夫婦のもとに引き取られていきます。

その数年後、耳彦は道端で出会った見ず知らずの少女に「ひさしぶりだね」と話しかけられて……。

山白朝子の作品に猟奇的な表現は目立ちませんが、美しくもぞっとする怪談が多く見られる点では、恐怖を感じさせる黒乙一と共通しています。読んでいるうちにひたひたと迫ってくる恐怖は、奇妙な後味とともに癖になること間違いありません。

※旅路の宿駅や距離、名所などについて説明がされている本のこと。

 

白と黒。どんな作品も書ける、“乙一”という人物。

かつて雑誌「ダ・ヴィンチ」では乙一と中田永一、山白朝子の3人の対談という企画が行われました。そこには「白乙一が好きな中田永一」「『ZOO』をきっかけに乙一作品を読み始めた山白朝子」が登場しています。そこからは、どちらも全く違う作家に見えながらも、底の部分は大きく変わらないことが読み取れます。「乙一はさまざまな顔で読者を楽しませ続ける作家」なのです。

作家生活21周年を迎えながらも、今なおひとつの枠にとらわれない乙一。その豊かな才能を感じられる作品の数々に触れてみてはいかがでしょうか。

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