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新刊『夜を聴く者』の魅力について作者自身に批評してもらった。【坂上秋成インタビュー・前編】

2016年に新刊『夜を聴くもの』を発表した坂上秋成氏。かつてはあの東浩紀のもとで批評家としての訓練を積んだ坂上氏の歩みを探ります。

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「愛撫」と「触診」はまったく性質の異なるものだ。フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスはそう言います。さりげないスキンシップ(「愛撫」)が深い感情的なつながりを生み出してくれるのとは対照的に、「ええか、ええのか、ええのんか」というようなボディタッチ(「触診」)は、相手をなかば暴力的に分析の対象にしてしまいます。

「何の話だかサッパリわからない」というあなた! ここはひとつ、坂上秋成氏の第二作『夜を聴く者』から次の一節を読んでみてください。

ミハイは親指の腹で正確なツボの位置を探りながら、鍼を打ちこんでいく。仙腸関節に打つ際の響きは他の箇所よりも強く、患者の身体は刺激によってビクビクと跳ねる。八本の鍼を刺す間、綾鳥こずえは先ほどよりも大きく甲高い声を上げる。刺した箇所にライトを当て温熱効果を高めた後、運動鍼を行わせる。それじゃあいつもみたいによつんばいになって、とミハイは命じる。

『夜を聴く者』より

鍼灸師である主人公・ミハイと、その長年の親友であるトウヤ、トウヤの恋人である綾鳥こずえという三人の関係をめぐって、「青春」のさまざまな悶えをポップかつ端正に描きあげた『夜を聴く者』。人と人とのつながりは、「親友」「恋人」「患者」というような一つの呼び名で単純に割り切ることができるものなのだろうか……?そんな問いを読者に投げかけます。

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出典:http://www.amazon.co.jp/dp/4309024513

高橋源一郎、千葉雅也、中森明夫など錚々たる作家・批評家からの激賞をもって受け入れられた『惜日のアリス』でデビューを飾った坂上氏。レズビアンのカップルが営む疑似家族の風景、インターネットや新宿二丁目の匿名のコミュニティーのありかたを扱った『惜日のアリス』から、坂上氏は一体どのような変遷を経てこの『夜を聴く者』の執筆にたどり着いたのでしょうか。

過去には東浩紀のゼロアカ道場(※)にも参加し、ミニコミ誌『BLACK PAST』で責任編集を務めるなど、批評家としての側面もあわせ持つ坂上氏に、ご自身の作家デビューまでの道のりから、ご自身の作品に対する批評的な分析まで伺いました。

(※)「ゼロアカ道場」….東浩紀のゼロアカ道場。講談社BOXが主催した、新人批評家セレクションプログラム。2008年春から2009年夏にかけて第6回関門まで開催された。坂上氏は第4回選考から道場破りとして参加、最終2名まで勝ち抜いた。

 

14歳で小説と出会い、24歳で批評と出会った

—まず、坂上さんの文学のルーツについてお伺いできますか?

坂上:中2の時の国語の先生の影響が大きいですね。横光利一の『御身』や志賀直哉の『剃刀』を扱って、それについて考えたことを自由に書かせるというスタイルの授業だったんです。そうすると、一読して全然分からなかった小説の魅力が、自分の思考を言葉にすることでくっきり浮かび上がってくる。そこから文学に興味を持ち始めました

その先生が夏休み入る前にお薦めの読書リストをくれたんです。有名なところだと村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、カミュの『異邦人』、カフカの『変身』などが入っていました。夏休みにそのリストの小説をひたすら読んでいるうちに、いつの間にか小説家になろうと考えていましたね。

—予想以上に優等生だったのですね。

坂上:そこから一気にドロップアウトしていったんですけどね(笑)。中2の頃までバリバリの進学塾に行ってたから、成績もすこぶるよかったんですが、先生といざこざがあって学校行かなくなったんです。塾もタバコでクビになったし。高校の頃は、教室の後ろで寝袋広げて寝てたくらいやさぐれてましたね。退学になるのはほとんど確定していたので、教師に自衛隊のパンフレットを渡されたりもしました(笑)。

それから大検を取って大学受験をしたんですが、失敗して浪人生活に入りました。けどほとんど勉強しないで、雀荘でのアルバイトに全力でしたね。だけど、その雀荘が潰れたので受験勉強を再開して、早稲田の法学部に入りました。東大の文三に受かっていればそっちに行っていたと思うんですが、当時、僕は自分に社会や政治に関する知識がないことに凄くコンプレックスを感じていたので、これも運命かなと考えて法学部に進みました。今では素直に文学部に行っておけばよかったとも思いますけど(笑)。

—やさぐれても作家への夢はぶれなかったんですね。実際に小説を書き始めたのはいつ頃でしょうか。

坂上: 初めてまとまった作品を完成させたのは19歳の時ですね。原稿用紙100枚ほどの作品を書いて、「文學界新人賞」に応募しました。当時はだいぶ調子に乗っていたので「まあ通るだろう」くらいの気持ちだったんですが、一次すら通過できませんでした。

それで、流石にこれはまずいと思って、2年くらいかけて250枚の作品を書き上げました。こちらは運よく「群像新人文学賞」の最終選考にまで残ったんですが、受賞には至りませんでした。僕の場合、調子に乗ってる割にメンタルが弱いので、当時はもの凄く落ち込みましたね。

—そこから、「ゼロアカ道場」、そして東浩紀さんとの出会いがあるのですね。

坂上:そうですね。落選のショックからメンタルをようやく回復できた夏にゼロアカ道場が「道場破り」を企画してたので、それに応募しました。

最初はリハビリのようなつもりだったんですけど、参加しているうちに東浩紀さんの哲学や世界の見方に惹かれ、どんどんのめりこんでいったという感じです。

—「批評」と出会ったのもその時になるのでしょうか。

坂上:ゼロアカに携わるまで、自分で批評を書くことは考えていませんでした。それまではひたすら文献を読むので精一杯という感じでしたし、アカデミックな文章と批評の文章の違いというようなことを意識することもなかったですね。

ただ、ゼロアカ道場を通じて、批評とは世界の見取り図を作る、言い換えればマッピングする作業だとわかったんです。本来だったら繋がらないはずのものを繋げていく。例えば、ノベルゲームと純文学だったら全く関係ない感じがするけど、その二つを繋げている文脈を見つけて自分なりに整理することで、新しい物語の可能性を探り出すというような仕事こそが大事なんです。そうしたことを意識するようになってからは、小説や批評の読み方自体が変わりましたね。

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(次ページに続く)

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