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【没後50年】小説家・演劇人 獅子文六を知るための4冊

昭和を代表する流行作家・獅子文六の作品が、『コーヒーと恋愛』の復刊を契機にふたたび注目を集めています。没後50年を迎えた獅子文六のおすすめの小説を4作品ご紹介します。

昭和の時代に小説家・演劇人として活躍した獅子文六。『悦ちゃん』などの新聞連載小説で人気を博しましたが、没後は多くの作品が絶版となり、一時は忘れられかけた作家となっていました。しかし、2013年に復刊された『コーヒーと恋愛』を契機に若い人の間でもそのモダンさやユーモアのある文章が話題となり、じわじわと再注目されつつあります。

2019年には没後50年を迎え、神奈川近代文学館では「没後50年 獅子文六展」も開催(※2020年3月8日まで)されています。今回は、いま“熱い作家”とも言うべき獅子文六を知るためのおすすめ作品を、4作品ご紹介します。

サニーデイ・サービスの曲にもなった都会的な物語──『コーヒーと恋愛』

コーヒーと
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4480430490/

『コーヒーと恋愛』は、1962年から63年にかけて読売新聞で連載された、獅子文六による長編小説です。原題は『可否道』でしたが、1969年、文庫化の際にこのタイトルに改題されました。

本作は、まだテレビが真新しいものだった1960年代を舞台に、お茶の間の人気女優・坂井モエ子という女性の恋愛をユーモラスに描いています。特筆すべきは、50年以上前に書かれたとは思えない文章の軽妙さです。たとえば、主人公のモエ子のキャラクターについては、このように描写されています。

女性の間に、人気が高いのは、彼女の容貌や年齢が、家庭の風教をおびやかす心配が、少いせいでもあろう。そして、彼女の芸風も、大マカで、自然の愛嬌があって、決して、捨てたものではない。早くいえば、番茶の味であって、飲み過ぎて、眠れなくなる作用もないから、いよいよ、夜の茶の間向きである。

彼女のいれたコーヒーは、まったくウマい。色といい、味といい、香りといい。絶妙である。そのくせ、彼女は、コーヒー豆や、道具にこらないし、いれ方にも、煩いことをいわない。ほんとに、無雑作である。まず、生まれながらのコーヒーの名手というのであろう。

そんな“コーヒーの名手”であるモエ子は、ベンちゃんという8歳年下の男と同居をしています。モエ子は演劇に情熱を注ぐベンちゃんと仲睦まじく暮らしていましたが、ベンちゃんは若い舞台女優に惹かれ、家を出ていってしまいます。傷心のモエ子は、ベンちゃんの心を再び自分に向けさせるべく、コーヒーの腕に磨きをかけようとします──。

タイトルのとおり、“コーヒーと恋愛”がテーマのストーリーはとてもシンプル。しかし、50年前のコーヒーを取り巻く状況、そしてテレビや演劇業界に漂っていた華やかな雰囲気が、軽やかかつユーモアたっぷりに伝わってくる作品となっています。

実は、獅子文六の没後、彼の作品の多くは絶版となってしまっていました。再び獅子文六に注目が集まるきっかけとなったのが、2013年に本作が復刊されたことです。復刊を企画した編集者は、ロックバンドのサニーデイ・サービスが1996年に発表したアルバムの中の1曲「コーヒーと恋愛」から本作を知り、その魅力に感動したことが契機になったと語っています。復刊された文庫版の解説はサニーデイ・サービスのボーカルである曽我部恵一が務めており、同バンドのファンにとっても必読の1冊です。

戦後間もない愛媛の豊かな暮らしと風土を描いた『てんやわんや』

てんやわんや
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4480431551/

『てんやわんや』は、1948年から49年にかけて毎日新聞で連載されていた長編小説です。

本作の主人公は、臆病で気が小さいもののどこか憎めない、犬丸順吉という人物。彼は太平洋戦争の終戦直後、戦犯として逮捕されることを恐れた社長・鬼塚の助言により、愛媛県・宇和島市の「相生あいおい町」という町に疎開して身を隠すことになります。敗戦後に荒廃しきっていた東京とは異なり、そこには穏やかで豊かな自然が手つかずのままで残っていました。順吉は食客としてもてなされ、それまでに経験したことがないような贅沢な暮らしを経験します。

貧しい漁夫の浦島太郎が、竜宮へいった時の感想は、たぶん私と同じものではなかったろうか。
この美々しい座敷へ、女中が三度の食事を運んでくる。午飯は三種。夕飯は五種のオカズがついてる。極めて新鮮な鯛の刺身、サヨリの椀盛、甘鯛の照焼、伊勢海老の具足煮──というような、ご馳走である。

ストーリーの軸となるのは順吉がこの地で送る、笑いあり淡い恋ありのまさに“てんやわんや”な生活。戦後間もない四国の風土や文化を知ることができるのはもちろん、本作の最大の魅力は、相生町で順吉とともに暮らす個性豊かな面々です。たとえば、饅頭を30個食べられるかどうかを賭けるシーンでは、“饅頭食い”として知られる越智善助という人物が登場します。

「一つ……」
やっと、越智が口へ入れると、勘左衛門氏が、数を読んだ。
極めて、悠々と、越智は五個を平げて、
「どうも、饅頭が眼に映ると、胸が閊えていきまへんけん、その新聞、貸してやんなせ」
と、傍の毎日新聞を拡げて、菓子器の上に被せ、その下から手を差し込んで、次ぎなる饅頭を抓み出した。(中略)
「いや、ほんに、今日はいけんのよ」
そういいながらも、越智は、十個目に手を出した。

このように、本作には飄々としながらもエッジの効いた人物が代わる代わる出てきます。癖のある人々の姿をユーモアたっぷりの筆致で綴りつつ、戦後の都会の貧しさと田舎の豊かさを対照的に描いてみせた、獅子文六の代表作です。

おませな10歳の女の子が活躍するハートフルストーリー、『悦ちゃん』

悦ちゃん
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4480433090/

『悦ちゃん』は、1936年から37年にかけて報知新聞で連載された、お転婆でおませな10歳の女の子・悦ちゃんを主人公とする長編小説です。1937年に映画化、その後は幾度もテレビドラマ化されたこともあり、獅子文六の代表作としても広く知られています。

悦ちゃんの父親は、レコード歌詞の作者をしている“碌さん”こと柳碌太郎というのんびり屋の男です。

かりに世の中に、“碌さん面”というものが存在すれば、彼の顔なぞまさにそれだ。一口にいうと、盥の水に映した日食みたいな顔である。元気はないが、善良な顔だ。好男子ではないが、好感がもてる顔だ。碌々として一生を送るかも知れないが、ロクでもない真似をするような顔ではない。

碌さんは数年前に妻を亡くし、男手ひとつで悦ちゃんを育てていました。そんな碌さんに再婚話が突如持ち上がったところから、物語は動き出します。人はいいものの優柔不断で決断力に欠ける碌さんは、とびきり美人でブルジョアな女性・カオルとの見合いの場を設けさせられたことをきっかけに、彼女に夢中になっていきます。しかし、カオルは“なんだか生意気で、子どもらしく無邪気じゃない”という理由で、悦ちゃんのことを嫌っています。

そんなとき、悦ちゃんはデパートに勤める鏡子という感じのよい女性と友達になり、いつしか鏡子と本当の母子のような関係になっていきます。悦ちゃんは大好きな父親・碌さんに幸せな再婚をしてもらうため、東京中を奔走するのです──。

後年、獅子文六がこのハートフルな物語を執筆したきっかけが、彼の実の娘・千鶴子への思いであったと私小説の中で明かしています。

世間には継母子関係の家庭が、沢山ある。そういう人々に、千鶴子にいうのと同じ言葉を聞かしてあげたい。ママハハなんて言葉に、拘泥する必要は、少しもない。気持の持ちようで、立派に幸福になれる。実の母子とはちがうが、それに劣らない、愛情の結びつきようが、できないことはない。そういうことを、私は、書いてみたかった。日本古来の暗い、不快な継母物語を、粉砕するような、明るい、快活な小説に、仕立ててやろうと、考えた。
──獅子文六『娘と私』より

獅子文六が目指したとおり、本作は“日本古来の暗い、不快な継母物語”ではなく、終始ユーモラスでほろりと泣ける“快活な小説”となっています。だらしのない碌さんとしっかり者の悦ちゃんという対照的なキャラクターが愛らしく、疲れたときにそっと読み返して勇気をもらえるような1冊です。

相場師「ギューちゃん」の破天荒な一生を痛快に描く──『大番』

大番
出典:https://www.shogakukan.co.jp/books/09408494

下
出典:https://www.shogakukan.co.jp/books/09408495

『大番』は、1956年から1958年にかけて雑誌『週刊朝日』で連載された長編小説です。現在は、書評家・北上次郎による「北上次郎選 昭和エンターテインメント叢書」シリーズとして小学館文庫より発売されています。本書は、実在した戦後の相場師、「ブーちゃん」こと佐藤和三郎をモデルとする主人公・赤羽丑之助(通称「ギューちゃん」)が若くして東京の証券界に飛び込み、その度胸と賭け事の才を生かしてのし上がっていく様子を描いています。

愛媛県・宇和島の農村に生まれた丑之助は、幼いころから大食いで親を困らせたものの、アルバイトをさせると熱心に働き、お金を稼ぐ才能は人一倍ある子どもでした。

人夫の日当は二円だが、丑之助は臨時なので、土運びのモッコ一荷で、十銭もらうことに話がきまった。(中略)
三日目頃から、彼はメキメキと、成績を上げた。専門の人夫と負けない収入をもらって帰るので、
「この餓鬼は、インチキしよるな」
と、彼等から罵られたが、べつに悪いことをしてるのではなかった。人夫たちが、午休みに、一時間以上も遊んでる間に、丑之助は、セッセと働いたのである。

10代になった丑之助は、村に伝わる習わしのひとつである“ヨバアイ”(夜這い)を経験したことをきっかけに、女遊びや酒、煙草にしだいに夢中になっていきます。

そしてある日、男女が出会う大切な機会である村の祭り、“盆相撲”でどうしても恋人が作りたいと考えた丑之助は、仲間の長十郎を巻き込み、ガリ版(昔の印刷技術。謄写版)で大量にラブレターを刷って女性に無差別に配りまくるという作戦に出ます。

二人は、夜更けまでかかって、ガリ版の恋文を刷った。文章を書くことは、丑之助の一番の苦手であって、これは、長十郎が、脳髄を絞った。それを、原紙に書くことも、彼の受持ちだった。書き始めてから、彼は、疑問を起した。差出人は、赤羽丑之助と、明らかに印刷してもいいが、宛名人の方は、そうもいかなかった。(中略)
「宛名は、その時々に、ペンで、書き入れたら、ええやないかい」
丑之助の方は、いささかも、懸念の色がないのである。

この作戦が功を奏すかと思いきや、丑之助は祭りの当日、ラブレターを村一番の資産家令嬢・可奈子にもうっかり手渡してしまいます。このできごとが広まったのが仇となり、丑之助は村を夜逃げせざるを得なくなってしまうのです。

その後、丑之助は逃れ逃れて辿りついた東京・日本橋兜町で、株の仲売店に就職します。相場師となった丑之助は一夜にして富を築いたり、取引で大きな失敗をして財産の多くを失ったりと、まさに波乱万丈な生涯を送ります。

丑之助の破天荒な生き様を楽しむことができるとともに、宇和島の文化・風土や大正時代から昭和初期にかけての活気ある証券界の空気を生き生きと体感することのできる、痛快な1作です。

おわりに

家族や恋人同士のさまざまな関係性をエスプリとユーモアたっぷりに描いた獅子文六の作品は、いま読んでも決して古びていません。むしろ、20~30代の若い読者にとっては、ポップで軽やかなその作風が非常に新鮮なものとして感じられるかもしれません。

『悦ちゃん』の再ドラマ化(2017年にNHKで放送)や没後50年展の開催などで獅子文六に再びスポットライトが当てられているいま、その個性豊かな作品たちに手を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

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