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【著者インタビュー】芦沢央『夜の道標』/人間の尊厳や誇りをめぐる新たな視座へと読者を誘う、慟哭のミステリー

「匿う側と匿われる側の関係性や、それを歪ませる密室空間への興味」から着想されたという、傑作長編ミステリー! 作家デビュー10周年目の集大成となった本作について、著者にお話を伺いました。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

「何を書くか」から「どう書くか」に挑んだ作家生活10年の集大成! 慟哭の傑作長編ミステリー!!

夜の道標どうひよう

中央公論新社 
1815円
装丁/坂野公一+吉田友美(welle design)

芦沢央

●あしざわ・よう 1984年東京都生まれ。千葉大学文学部史学科卒。高校時代に創作や投稿を開始し、出版社勤務を経て、2012年『罪の余白』で第3回野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビュー。『悪いものが、来ませんように』『許されようとは思いません』『貘の耳たぶ』『火のないところに煙は』『カインは言わなかった』『汚れた手をそこで拭かない』『神の悪手』など話題作に事欠かず、直木賞や本屋大賞等でもノミネートが相次ぐ、今年デビュー10周年目の実力派。156㌢、A型。

子や人を思うがゆえに起きた悲しみを描きかき消された声なき声に耳を澄ませたい

 芦沢央氏の作家デビュー10周年作品『夜の道標』は、あらゆる予断を覆す結末と、人間の尊厳や誇りをめぐる新たな視座へと読者を誘う、3つの風景から構成される。
 1つは相鉄・二俣川駅の程近くに住む小学6年生で、同じミニバスのクラブチームに所属する〈仲村桜介〉と〈橋本波留〉がいる風景。
 1つは夫と離婚し、今は駅前の惣菜屋で働きながら実家に1人で住む30代女性、〈長尾豊子〉がいる風景。
 今1つは2年前、横浜市旭区内で学習支援業を営む〈戸川勝弘〉が殺され、35歳の元教え子〈阿久津弦〉が姿を消した事件を、旭西署強行犯係の刑事〈平良正太郎〉とその相棒が追う風景。
 物語の舞台は98年。桜介が『SLAM DUNK』の影響でミニバスを始めたり、豊子や正太郎の職場が喫煙に鷹揚だったりと、「あえて今回は固有名詞や時代性を強調した」と芦沢氏は言う。
 そのたった20年の違いが、物語の鍵をも握るのである。

「本という長く残るものを書いている私自身、人々の価値観が20数年で変わってしまうなんて、物凄く怖いことだなあと思うんですね。
 特にここ数年、それまで正しいとされてきたことが全然そうじゃなかったと、逆に糾弾されたり、自分で自分を許せなくなることが、いろんな場面で増えているような気がするんです。
 例えば豊子がお笑い番組を視るシーンがありますが、お笑いって時代の倫理観を如実に映すものだと思っていて、今だったら差別的だったりセクハラだったりで笑えない話も、昔は普通に笑えていたわけですよね。
 喫煙者に甘いのも当時はそういうものだったからで、僅か20数年の違いで生じる違和感を積み重ねることが、この物語には必要でした」
 まずはある夏の放課後、ミニバス用も含めてゴールが3基あるいつもの公園で波留と落ち合い、彼の小学生離れした身長とテクニックに改めて見惚れる、桜介の視点から物語は始まる。
 数か月前、元実業団選手の父親に3歳から英才教育を受ける波留が転入したことで、チームは来週勝てば関東大会進出というところまできていた。だがこの日、いつもの丁字路で波留を見送った桜介は妙な別れ難さを感じ、後を追う。そして道路際に立つ彼を見つけ、声をかけた瞬間、ブレーキ音と共に宙に舞う友の姿を目撃することに。波留は前腕骨を骨折し、関東大会出場もほぼ絶望的となった。
 かたや惣菜店と家との往復を日常とする豊子の視点。社員が帰った後は15分ずつ休憩を取ることが〈伝統〉化し、廃棄分を持ち帰っても〈言わなきゃバレない〉遅番を好む彼女は、自身を蝕む閉塞感をこう表現する。
〈喫煙所に居続けていると、錆びたベンチと同化していくような感じがする〉〈人が来る。帰る。人が来る。帰る〉〈それは、遅番のアルバイトの間に流れる停滞感とどこか似ていた。働く人間は入れ替わっても、ささやかな罪を許し合う億劫さは留まり続けている〉
「感情を素直に出す桜介と、父親に十分な食費も貰えないまま放置され、感情を押し殺すことに慣れた波留は、全くタイプが違う。それでも彼らはまだ小学生だけに、動きも若さもあるんです。
 対して豊子のパートではエンタメとしての展開を優先すると損なわれるものがあると思ったので、起伏を抑制して日常や感覚を丁寧に描写しようと。そして被疑者の足取り1つ掴めない未解決事件を追う正太郎のパートは、地道な捜査に組織の軋轢が絡む警察小説風味をめざしました。
 実はこの作品では、一度書いたものを視点人物毎に分けて手直しする中で、新しい描写の手法に挑戦したんです。以前は『何を書くか』で精一杯だったけれど、10年やってきて『どう書くか』にも挑む余裕が出来たというか。様々な手法や工夫を盛り込んだ作品になりました」

表題は道路標識への違和感から

 驚くことに作品の着想は、「匿う側と匿われる側の関係性や、それを歪ませる密室空間への興味」に始まったという。そこから桜介と波留の境遇や、手配中の阿久津が東北道を疾走する、ロードムービー風のイメージが映像で浮かんだのだと。
「結局、私は関係の歪みやズレに興味があって、毎日一緒にいる桜介と波留にもわかりあえないものは当然ある。誰に聞いても人格者だった戸川が殺されたのも、『何か悪いことをしたから殺された』という、単純な構図では全くないわけです。
 ただ、一時的な逃げ場や隠れ家を提供する側の人間と、その子の一生に責任を持つ親を同列視し、『毒親より疑似家族』と安易に礼賛する風潮も、私はフェアではないと思う。それよりはその子を思うがゆえに起きた悲劇や、良かれと思ったことが招いてしまった不幸や悲しみを描き、その渦中でかき消された声なき声に、耳を澄ませたいんです」
 しかもその驚愕の真相や背景には、フツウに安住し、どんなニュースもただ消費するだけの、社会全般への痛烈な問いが見え隠れし、
「答えは出なくても、その問題をせめて知ることは、できたんじゃないかなって。
 実は表題を道標どうひようと読ませたのも道路標識への違和感からで、免許のない私にも標識の意味は漠然とわかる。でも誰もがわかるとされていること自体、暴力的で、世間的な規範の埒外にいる人を排除する点で象徴的だったのと、この人についていけば大丈夫と思える道標の安心感とを兼ねました」
 その安心感が功罪どちらにも転じる危うさを私達もまた生き、まずは知ることからと、思わずにいられない。何しろその規範自体が今は過渡期にあるのだから。

●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光

(週刊ポスト 2022年9.9号より)

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