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【著者インタビュー】雫井脩介『クロコダイル・ティアーズ』/一家を蝕んだ疑念の連鎖を描く戦慄のサスペンス

孫にも恵まれて、将来は安泰に思われた矢先、一人息子を嫁の元交際相手に殺されてしまった夫婦。しかも公判で黒幕は当の嫁だという、犯人の驚くべき告白を聞き……。一家を蝕む疑心暗鬼の闇を描く、ミステリー長編!

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

一家を蝕む疑心暗鬼の闇 妻は夫の殺害を企んだのか―戦慄のミステリー長編!

クロコダイル・ティアーズ

文藝春秋 
1760円
装丁/大久保明子 装画/粟津泰成

雫井脩介
●しずくい・しゅうすけ 1968年愛知県生まれ。専修大学文学部卒業後、出版社勤務等を経て、2000年に第4回新潮ミステリー倶楽部賞受賞作『栄光一途』で作家デビュー。05年『犯人に告ぐ』で第7回大藪春彦賞。同作は04年の週刊文春ミステリーベスト10第1位にも選ばれ、その後シリーズ化。その他にも『火の粉』『クローズド・ノート』『ビター・ブラッド』『検察側の罪人』『仮面同窓会』『望み』『引き抜き屋』等、ベストセラー及び映像化作品多数。160㌢、55㌔、A型。

嫁という異分子に入りこまれた家族も立場によって疑念の形は変わってくる

〈俺は別に逆恨みとかそういう理由でやったんじゃない。想代子そよこと会ったとき、彼女から頼まれたんですよ。旦那のDVがきつくて、毎日が地獄だって〉〈何とかしてくれないかって〉
 東鎌倉で美濃発祥の老舗陶磁器店〈土岐屋ときや吉平きつぺい〉を営み、跡継ぎや孫にも恵まれて、将来は安泰に思われた矢先、〈久野貞彦〉と〈暁美〉は一人息子〈康平〉を嫁の元交際相手〈隈本〉に殺される。しかも公判で黒幕は当の想代子だという、犯人の驚くべき告白を聞くことになる―。
 雫井脩介著『クロコダイル・ティアーズ』は、以来一家を蝕んだ疑念の連鎖を、貞彦と暁美、さらに彼女の姉〈東子はるこ〉の視点から描く戦慄のサスペンス長編だ。表題はワニが捕食時に流す涙には感情が伴わないことから〈噓泣き〉を意味し、息子を悼む嫁の涙は果たして本物なのか。また隈本の証言は単に恋人を奪われた腹いせなのかなど、疑心も不信も一つ屋根の下に住む家族だからこそ、実は取りとめがないのかもしれない。

 それぞれ映像化もされた『火の粉』や『望み』など、一見幸せで理想的な家族が小さな綻びから瓦解し得る光景を、著者は描いてきた。
「今回で言えば、嫁が長男の死に関与したかどうかが、彼らの生活を確実に脅かしていきますし、その身に迫る恐怖は誰もが共有できると思ったんです。ましてその人が100%潔白な証拠もなく、疑いだしたら切りがないだけに、それは身近で究極のサスペンスになり得ると。素性をはっきりつかんでいない相手に、自分の懐に不用意に入ってこられると怖いじゃないですか。家族もその1つで、嫁という異分子に入りこまれた側の、舅と姑の立場の違いによっても疑念の形は違ってくる気がします」
 大正期に本家の次男坊・吉平が鎌倉に進出して以来、貞彦は4代目。父の代には駅前に自社ビルも建設し、3階では商売上手な東子が元ギタリストの夫〈辰也〉をお飾り店長に据えた生活雑貨の店を開くなど、テナント収入にも事欠かない。
 人間国宝の銘品から普段使いも利く1枚まで、幅広い品揃えは観光客にも好評で、貞彦はその賑わいを孫子の代にまで手渡そうと努める町の名士でもあった。
「首都圏に近く、なおかつ代々の商売を守る価値観が説得力を持つ設定を考える中で、鎌倉、焼物といった要素が固まっていきました。今の核家族的な価値観だと、夫の死後も妻が夫の実家に残り、同居すること自体、かなり不自然だと思うので。
 元々僕は器に何の興味もなく、白い皿を適当に買う程度でした。それが本を読んだり店を見に行ったりするうちに、器の味わい深さに惹かれて自分でもいくつか買いたくなった。そんな一目惚れの感覚が興味一つで生まれる面白さ、、、、、、、、、、、、はありましたね。それまで知らなかった世界が、自ら興味を持ち、調べることで日常に立ち現われ、視界が変わる新しい位相を読者とも共有したかった。
 基本は登場人物の仕事や生活にリアリティを持たせたいだけなんです。でも、自分の興味の芽をうまく使うことで、小説内の世界にもそれだけ現実味が宿せるんじゃないかなと思います」
 美形ながら万事控えめな想代子に、暁美はそもそも〈外面ばかり見せられているよう〉な違和感を抱いていた。そんな中、事件は奇しくも想代子の帰省中に起き、康平を自宅の前で待ち伏せて刺殺した隈本は、実は他の女性への傷害で執行猶予中の身だった。
 なぜそんな男と、と暁美は思うが、それを嫁に直接言わない程度の分別はあり、かたや貞彦には孫の存在と、想代子が傷心の妻に代わり店に出てくれるのが慰めだ。
 事件を忘れたように働く姿は暁美たちには不気味にすら映り、元文壇バーのホステスでエッセイストだった東子は想代子の涙を疑い、知人を介して週刊誌の記者に接触。すると隈本と康平は交際期間が重複しており、孫は誰の子かと、新たな疑念まで持ち込むのだ。

ありとあらゆるパターンを考える

「貞彦が信じて暁美が疑う設定とその逆ではどちらが物語的にスムーズかとか、表題の言葉は誰に言わせ、誰の情報なら暁美が素直に聞けるかとか、基本的にはありとあらゆるパターンを考えた上で、一番自然だと思えた設定を選んでいます。あくまで目的は身近でかつ斬新なサスペンスに仕上げることですから」
 よく腕に痣を作っていた想代子がDVを否定するほど怪しさは募り、最終章でも印象は五分五分。そのどちらとも取れるスリリングな展開こそが、まさに本作の読みどころだ。
「結末についても、彼女が潔白か否か、両方の展開を想定した上で今回の形を決めています。結末が決まれば物語の収束の仕方も自ずと見えてきますし、あとはそこに向けてどうサスペンスを盛りあげていくかです。怪しいと思わせたり、疑いすぎだろうと立ち止まらせたり、そこの手綱さばきが執筆の肝ですかね。
 読んでくれた人に聞くと、裁判から話が展開していく中、想代子をもっと鋭く追及しろと考える人がいる一方、疑いが嫁いびりになっていて何だか可哀想と同情する人もいて、人それぞれなんですよ。いずれにしろ途中をグレーのまま進める、そこが面白さだと思って書いた作品なので、僕はどちらに読んでもらっても構いませんし、嬉しいんですけどね(笑)」
 物語はさらに駅前の再開発や秘蔵の品の消失事件も絡み二転三転。が、問題が家庭外に及ぼうとも、人が信じたいものだけを信じ、疑いたいものを疑う構図は変わらず、その他人事とは思えない愚かさが読む者をゾッとさせるのだろうか。

●構成/橋本紀子

(週刊ポスト 2022年10.21号より)

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