『いちまき ある家老の娘の物語』
ポスト・ブック・レビュー【この人に訊け!】
平山周吉【雑文家】
いちまき
ある家老の娘の物語
中野翠著
新潮社
1400円+税
装丁・装画/南 伸坊
自分のルーツは「幕臣一族」、親族には一葉のグルーピー!
二重橋を間近に見る、今は観光スポットの皇居前広場になってしまっている土地で曾祖母は生まれていた! そこは関宿藩五万八千石の上屋敷だった。殿様は井伊大老のために老中職を追われた久世大和守。時は桜田門外で井伊直弼が暗殺されるわずか半年前。関宿藩の家老の娘だった曾祖母の回想録が父の遺品から出て来て、著者の中野翠は「思わず、血がザワッとなった」。
わずか三代さかのぼるだけで、幕末維新の動乱の真っ只中だったことに気づく。幼い曾祖母は一家離散の逃避行へ。「敗者」であった幕臣一族の苦難の近代史を、遺伝子を頼りにして辿っていったのが本書『いちまき』である。
「操られている」という不思議な感覚を、ルーツ探しの旅で何度も味わわされる。ご先祖さまの足跡と、自分自身の過去と現在の住まいが偶然にも重なっていることを発見する。一族を調べていくと、不思議な出会いがある。曾祖母の弟は夭折した文学青年なのだが、その親友は樋口一葉のグルーピーだった平田禿木とわかる。一葉は著者の愛する作家だ。著者の愛読書である伊藤整『日本文壇史』には禿木と曾祖母の弟・山田秋潮の交流が描かれていた。あんな大著を何となく読み進めたのは、このくだりに出会うためだったのか。遥かな昔が、ぐいぐいと近づいてくるのだった。
曾祖母のことを一度書いたら、思わぬ人から連絡が入る。曾祖母の妹の曾孫からの手紙だ。その人は「狐」というペンネームの書評家だった。自分と「感受性の質というか方向」が似ていると思っていたその人が一族とは。肺ガンで早逝する「狐」との別れのシーンは、現世から歴史の中へと一足先に去っていく「とおーい親類」を夕景の中に描く。「照れ笑いを浮かべながら握手し合って、別れた」。
著者はコラムニストとして、時代観察者に徹してきた。その視線を身近な親族に向け直して、過去と「交信」した。その軽やかな悲哀の味が、好もしい。これが人の世の遠景なのか。
(週刊ポスト2015年11月13日号より)

この記事が気に入ったら
「いいね」をしよう!
P+D MAGAZINEの最新記事をお知らせします。
あわせて読みたい記事
-
今日の一冊
平野貞夫『衆議院事務局 国会の深奥部に隠された最強機関』/欲望とエゴが渦巻く権力闘争の舞台・・・
国権の最高機関「国会」において、政治家たちの暴走を止める大きな役割を担っているのが衆議院事務局。そこで30年以上勤務した経験をもつ著者が、さまざまな政治スキャンダルの裏を明かす一冊を紹介します。
-
今日の一冊
守屋克彦『守柔 現代の護民官を志して』は元裁判官によるリアルな回想録
裁判官として司法の独立に心を傾け、刑事・少年司法に専念。護民官を目指し続ける著者が語る、裁判所の真実。ノンフィクション作家の岩瀬達哉が解説します。
-
今日の一冊
『検証 日本の「失われた20年」日本はなぜ停滞から抜け出せなかったのか』
-
今日の一冊
太田順一著『遺された家─家族の記憶』が映し出す家族の温もり。
社会問題化しているとも言われる、全国で増え続ける空き家。そこには、懐かしい家族の記憶が。人物は写っていないのに、写真の向こうには家族の温もりが感じられます。鈴木洋史が解説。
-
今日の一冊
小谷野 敦『歌舞伎に女優がいた時代』/これまでの歌舞伎観を一新する、通好みの読み物
歌舞伎の舞台に上がるのは男性だけ、というしきたりがありますが、それは昭和に入ってからの話。かつては女性も舞台に立っており、その育成をあとおししようという動きさえあったのです。
-
今日の一冊
【著者インタビュー】斎藤恭一『大学教授が、「研究だけ」していると思ったら、大間違いだ! 「・・・
「教授はただの研究者ではなく、“勤め人で”あり“教育者”である」を信条とし、東大で12年、千葉大で25年の教鞭を執っていた斎藤恭一氏。不人気学科に“イイ学生”を集めるべく、斎藤氏が自ら動き、奮闘した記録を紹介!
-
今日の一冊
【著者インタビュー】清水 潔『鉄路の果てに』/鉄道で75年前の父の足跡をたどる
亡父の「だまされた」というメモを端緒に、75年前に旧満州からシベリアへと送られた父の足跡を自ら辿ることを決意したジャーナリストの清水潔氏。現在のシベリア鉄道と一部重複するその「鉄路の果て」に、果たして、何を見たのでしょうか。
-
今日の一冊
逆境から這いあがったJR九州の奮戦記『新鉄客商売 本気になって何が悪い』
厳しい赤字経営状況から、九州新幹線全線開通をはたし、大評判の「ななつ星」を作り上げたJR九州。快進撃をつづける経営者の信念が伝わる一冊を紹介します。
-
今日の一冊
戦争文学の名作を残した青年『吉田満 戦艦大和 学徒兵の五十六年』
戦争文学の不朽の名作と名高い『戦艦大和ノ最期』。その著者である、吉田満の無念に満ちた伝記を紹介します。
-
今日の一冊
『江ノ島西浦写真館』
-
今日の一冊
東浩紀『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』/批評家から年商三億円の中小企業経営者になるま・・・
東大生時代に批評家デビューし、二十代で現代思想のスターとなって、三十代にして「ゲンロン」という小さな会社を起業した東浩紀氏。その東氏がある種の成功をつかむまでの道のりを綴った、真率さ溢れる記録を紹介します。
-
今日の一冊
中野翠『あのころ、早稲田で』は鋭い観察眼でキャンパス界隈を見た回想録
中野翠の書き下ろしが刊行。昭和40年代の早稲田大学キャンパスを、鋭い観察眼で回想し、青春を振り返る自伝。評論家の坪内祐三が解説します。
-
今日の一冊
【著者インタビュー】山口ミルコ『似合わない服』
エース編集者として出版社で活躍し、退社直後に乳癌が発覚。仕事も毛髪も、何もかもを失いながらもがき、綴った手記の背景を著者にインタビュー。
-
今日の一冊
『これで駄目なら』
-
今日の一冊
【著者インタビュー】赤松利市『純子』/圧倒的な熱量で描かれる、美少女とうんこの物語
心を病んだ母が古井戸に身を投げるシーンから始まる、下肥汲みの家の“美少女”と“うんこ”の物語! 冒頭から爽快なラストまで、一筋縄ではいかない衝撃作です。
-
今日の一冊
【2018年の潮流を予感させる本】『最愛の子ども』
性の柔軟な描き方が特徴的。女子3人の輪の中で繰り広げられるドラマを巧みな語りで描き出した傑作長編。 鴻巣友季子が解説します。
-
今日の一冊
『音楽の未来を作曲する』
-
今日の一冊
『6月31日の同窓会』
-
今日の一冊
夢枕獏著『ヤマンタカ大菩薩峠血風録』で鮮やかに蘇る未完の大作。著者にインタビュー!
未完の大作『大菩薩峠』が、夢枕獏によって平成の今蘇る。理屈では到底割り切れない人間の欲望や本能を巡る光景を、鮮やかに描ききった作品の、創作の背景を著者にインタビュー!
-
今日の一冊
【著者インタビュー】山本美希『かしこくて勇気ある子ども』/子どもを持つという選択の前で立ち・・・
生まれてくる子供が賢くて勇気ある子に育ってほしいと、薔薇色の未来を思い描いていた夫婦。ある日、パキスタンの賢くて勇気ある子供が危険な目にあった事件を知り、妻は不安を覚えますが……。意外な展開が待つ長編マンガ!