『日本精神史(上・下)』
池内 紀●ドイツ文学者、エッセイスト
時代はちょっとしたはずみで大きく転換する
日本精神史(上・下)
長谷川 宏 著
講談社
各2800円+税
装丁/帆足英里子
ヘーゲル哲学で知られる長谷川宏の『日本精神史』は、三内丸山遺跡から鶴屋南北『東海道四谷怪談』まで三十五の素材を通して、日本人のさまざまな「精神の連続と変化のさま」を跡づけようとしたもの、縄文時代から江戸末期までの美術と思想と文学の分野から、意志と心情と観念の歴史をつづっている。独行者はとてつもないアイデアを抱くもので、まがりなりにもそれを実現したところがスゴイのだ。
もっとも良質の日本的精神が語られている。それはおおむね、一つの時代が終末期にさしかかったときに登場した。人生と同じように時代もまた、ちょっとしたはずみで大きく転換する。ひとたび新しい流れができると、もう変更がきかず、引き返すこともできない。
中国文学者中野美代子『日本海ものがたり』(岩波書店)には「世界地図からの旅」とサブタイトルがついている。ヨーロッパの古い地図では、日本の本州の北に、ばかでかい「イエソの地」がひろがり、現・日本海は空白のままで名づけがされていなかった。要するに日本の中央政権は一千年にわたり、本州のすぐ北に見える北海道になんの関心も示さず、みずからの国土、周辺の土地について、「他者に向けて発信する情報」を、ほとんど持とうとしなかった。それは「鎖国」を国是とした暮藩体制だけにとどまらない。現在の政府の無惨なまでの外交力の貧弱からもあきらかだ。ケシつぶほどの島に目をふさがれているあいだに、日本海そのものが消え失せているかもしれないのだ。
野坂昭如『マスコミ漂流記』(幻戯書房)は、雑誌連載のまま、これまで本になっていなかった。一九五〇年代半ばからおよそ二〇年間のマスコミの動向を、その中に身を置き、もっともハデに活動した立場から語ったもの。マスメディアのなかの「漂流」ぶり、とともにそれがマスメディアの性格と体質そのものであることがよくわかる。すべてが半ば偶然に起こり、にもかかわらずひとめぐりして必然の帳尻を合わせてくる。
(週刊ポスト2016年1.1/8号より)

この記事が気に入ったら
「いいね」をしよう!
P+D MAGAZINEの最新記事をお知らせします。
あわせて読みたい記事
-
今日の一冊
文学のなかの「音」を楽しむ『世界でただ一つの読書』
四歳のときに視力を失い、音に敏感になった著者が、瑞々しい感性で綴った読書エッセイ。これを読めば、夏目漱石の「坊っちゃん」など、文学作品のなかにどれだけ多様な音が表現されていたかに気づくはず。
-
今日の一冊
【著者インタビュー】中野ジェームズ修一『中野ジェームズ修一×運動嫌い わかっちゃいるけど、・・・
コロナ流行後、テレワークやオンライン飲み会など、自宅を一歩も出なくてもいろいろなことができるようになりました。この状態はいわば「軽度の入院生活」のようなもの。運動不足がかつてなく叫ばれる今こそ読みたい、前代未聞な文字だらけのエクササイズ本!
-
今日の一冊
【2020年の潮流を予感させる本(13)】千葉雅也『デッドライン』/「性の境界線」を生きる・・・
新時代を捉える【2020年の潮流を予感させる本】、ラストは、『勉強の哲学』でブレイクした気鋭の哲学者・千葉雅也氏の処女小説。雑文家の平山周吉が解説します。
-
今日の一冊
河谷史夫著『本に遇うⅢ 持つべき友はみな、本の中で出会った』は出会った本をめぐるキレのい・・・
本との出会いで、人生を決定づけられることもある、といっても良いかもしれない。そんな、本との出会いを痛快に描いた人気エッセイ。多岐に渡り、本の魅力を解説しています。池内紀が紹介。
-
今日の一冊
『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』
-
今日の一冊
工藤美代子著の『後妻白書─幸せをさがす女たち─』をノンフィクションライター井上理津子が読む・・・
いくつになってもあきらめない。「後妻」、という生き方に見る女性の幸せとは。その赤裸々な本音に迫る、読み応えあるノンフィクションを、井上理津子が紹介します。
-
今日の一冊
【著者インタビュー】外山滋比古『老いの整理学』
220万部を突破した空前のロングセラー『思考の整理学』と、その老年版である『老いの整理学』の著者、外山滋比古氏にインタビュー。
-
今日の一冊
【著者インタビュー】寺地はるな『水を縫う』/姉のウエディングドレスを縫う男子高校生とその家・・・
刺繍や縫い物が好きな高校生<清澄>は、姉、母、祖母との四人暮らし。姉の結婚が決まり、ウエディングドレス作りを買って出たものの……。読み終えたとき、あたたかさがあふれ出してくる家族小説!
-
今日の一冊
原田隆之『痴漢外来――性犯罪と闘う科学』/性的依存症はどれほどキツいものなのか
「脳があたかも、セックスに乗っ取られてでもいたかのよう」になるという、性的依存症。満員電車での痴漢や盗撮など、巷にあふれる性犯罪を減らすためには、刑罰に加えてこの依存症の「治療」が必要だといいます。
-
今日の一冊
嶋田直哉『荷風と玉の井「ぬけられます」の修辞学』/永井荷風好きなら必読!
生誕百四十年、没後六十年を超えてもなお、根強い人気を誇る永井荷風作品。なかでも有名な『濹東綺譚』について新しい論を提示する、荷風好きには必読の一冊を紹介します。
-
今日の一冊
藤原智美著『スマホ断食 ネット時代に異議があります』が唱える、ネット社会に潜む問題点。
芥川賞作家・藤原智美による、ネット漬けの日々に警鐘を鳴らす一冊。片時もスマホが手放せない現代人に、スマホから離れて本来の自分を取り戻すため「スマホ断食」を提唱します。
-
今日の一冊
【著者インタビュー】川村元気『百花』/大ヒット映画『君の名は。』のプロデューサーが贈る、認・・・
プロデューサーとして数々の大ヒット映画を世に送り出し、『世界から猫が消えたなら』など小説でも才能を発揮する川村元気氏。四作目にあたる長編小説『百花』について、お話を伺いました。
-
今日の一冊
【著者インタビュー】川上和人『鳥肉以上、鳥学未満。HUMAN CHICKEN INTERF・・・
『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』などの著作で話題の、森林総合研究所主任研究員・川上和人氏が、モスチキンや世界の山ちゃんの手羽先を標本レベルにまでしゃぶりつくし、鳥類への思索を深め語り倒した一冊!
-
今日の一冊
高澤秀次『評伝 西部邁』/「大衆」が一人の思想家を殺した?
2018年1月に多摩川で自死を遂げた思想家・西部邁の初の評伝。著者は彼を殺したのが「集団になると嵩にかかって居丈高になる」「大衆人」であるとしますが……。まんが原作者・大塚英志が解説します。
-
今日の一冊
『労働法改革は現場に学べ!これからの雇用・労働法制』
-
今日の一冊
桃崎有一郎『室町の覇者 足利義満―朝廷と幕府はいかに統一されたか』/足利義満には玉位簒奪の・・・
中国の明から、天皇をさしおいて「日本国王」として扱われていた足利義満には、玉位簒奪の意図があったのではないか――そんな声に今の歴史研究者たちは否定的ですが、上皇位さえ狙っていた義満の野望は、けっしてあなどれないものだったといいます。
-
今日の一冊
佐藤卓己著『青年の主張 まなざしのメディア史』看板番組から見る戦後日本の心性史。井上章一が・・・
毎年「成人の日」に放送され、NHKの看板番組であった“青年の主張”。この番組がどのようにして生まれ、なぜ30年以上も続き、そしてなぜ忘れられていったのか。戦後メディアの歴史を映し出す名著を、井上章一が解説します。
-
今日の一冊
詩人たちとの交流の記録『遅れ時計の詩人 編集工房ノア著者追悼記』
詩人たちの本を数多く手がけてきた大阪の文芸出版社、編集工房ノア。小出版社だからこそ、きめ細かく著者と接してきた創業者が、鬼籍に入った著者たちとの出会いを回想し、追悼します。
-
今日の一冊
最近よく聞く“シェアリング”の問題とは?/市民セクター政策機構『社会運動 0円生活を楽しむ・・・
人々が、モノを共有して、助け合う……。最近よく耳にするようになった“シェアリング”という言葉は、政府周辺のビジネスに敏感な人と左派の間で、奇妙な共有のキーワードになっていると大塚英志氏は言います。
-
今日の一冊
髙山文彦著『生き抜け、その日のために 長崎の被差別部落とキリシタン』著者にその執筆の背景を・・・
長崎を舞台とするこの物語の創作の背景を、著者・髙山文彦にインタビュー!差別と闘い続けた3人の男の生涯を鮮烈に描くノンフィクションは読み応えあり!