倉田善弘編『近代はやり唄集』にみる巧みな言葉のセンス。池内紀が解説!
明治・大正期の民衆の喜び、哀しみ、怒りの思いを表現して広く愛唱された「はやり唄」。街角の唄、寄席の唄、座敷の唄、壮士の唄、書生の唄、ヴァイオリン演歌、劇場の唄、映画の唄の8テーマに分類、127曲を精選して、注解を加えた1冊を、池内紀が解説します。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
池内 紀【ドイツ文学者・エッセイスト】
検閲を逃れるための言葉にみる並々ならぬ時代センス
近代はやり唄集
倉田喜弘 編
岩波文庫640円+税
明治から大正にかけて世に風靡した唄のアンソロジーである。街角や座敷で歌われたものから、芝居や映画の唄まで、全一二七曲。 それぞれの唄また歌詞に注釈がついていて、がぜんおもしろくなった。おなじみの「みやさん〱、御馬の前でチラヽヽするのはなんヂヤイナ」。日本近代化の始まりに歌われた「宮さん」(一八六八年)の囃し言葉はトコ・トン・ヤレ・トンヤレナと思いこんでいたが、それはまちがい。正しくは「トコトン、ヤレ、トンヤレナ」。徹底してやれ、やっつけろ。「にしきの御旗」を手にした連中の勇み立ちぶりが見てとれる。作者は長州人品川弥二郎。「なんヂヤイナ」などとヘンな歌詞だが、長州弁ではふつうの言い方。「官軍」の唄がいかに地方色をおびていたかがわかるのだ。 「西郷隆盛や枕が入らぬ/入らぬ筈だよ首が無い」(一八七七年) 昨日の英雄は今日の賊臣。自決のあと西郷の首は屍のそばに埋められ「微く頭髪を露す」状態だったらしい。西郷の身近にいた誰かが官軍に知らせたのだ。歴史の裏面がまざまざと見えてくる。 明治期最大のヒット歌謡は川上音二郎自作自演の「オツペケペーぶし」(一八八九年)。「権利幸福きらいな人に/自由湯をば飲ませたい」。高らかに自由を訴えたが検閲を免れたのは、弾圧といった言葉を使わず、「きらい」と平易につつみこんだせいという。明治のシンガーソングライターの並々ならぬ時代センスがのぞいている。そして先に新聞で見つけていた「オツペケペ、ペツポツポー」をちゃっかりと採用した。 明治一代、息せき切った近代化の所産を、明治末年の唄がみごとに要約している。添田 啞蟬坊作「あゝ金の世や金の世や/地獄の沙汰も金次第/笑ふも金よ泣くも○/一も二も金三も金」。近代バラードの傑作ながら、歌詞の三番以後は禁止され、印本は差し押さえられた。まさしく「唄は世につれ」である。はやり唄を通してこの日本という国の時代相が、あきれるほど克明に見えてくる。
(週刊ポスト2016年11.18号より)

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