『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』
山内昌之●東京大学名誉教授
テロとインテリジェンスの専門的な洞察力
イスラム国 テロリストが国家をつくる時
ロレッタ・ナポリオーニ著
村井章子訳 池上 彰解説
文藝春秋
1350円+税
装丁/城井文平
ナポリオーニの『イスラム国 テロリストが国家をつくる時』は、タリバンやアルカイダと異質なイスラム国の特異性を初めて明確にした先駆的な書物。その犯罪性を最初に見抜いたテロとインテリジェンスの専門的な洞察力は評価されてよい。グローバル化し多極化した世界を正確に理解し、米欧はもとよりロシアの限界も鋭く衝いている。イスラム国について後知恵めいた論評で触れる日本の類書と違って、多くの実証と推論を重ねながら分析するジャーナリズムの労作である。
『元国連事務次長法眼健作回顧録』(吉田書店)は、若い事務官時代の苦労話がめっぽう面白い。どのように基本訓練を受け、人格円満の上司やうるさ型の課長に仕えながら成長していくのか、という物語は現代の若者にとっても為になる。出向先の大蔵省の美風を素直に評価するあたりも、著者の飾らぬ人柄を偲ばせる。石油危機の時にイラン大使館に勤務して、やり手のイラン人の駆け引きに振り回される話は、現代イランの特質を知る上でも読者に参考になるだろう。
加藤貴校注『徳川制度(上・中・下)』(岩波文庫)は明治25年から26年にかけて『朝野新聞』に連載された記事をまとめた書物。
「制度」といえば、松平太郎の『江戸時代制度の研究』のように、幕府の職制や秩序を連想させるが、本書が扱う対象は、江戸城と武家社会、司法と市政といった官僚制や法・行政に関わる上からの視点だけではない。むしろ、被差別問題にも触れ、両替や髪結や魚市場や火事などの事象にも言及を忘れていない。虚無僧や大神楽はともかく、七坊主や四宿の食売女は耳慣れないだろう。小石川伝通院の托鉢坊主が暮れ六ツ半(午後七時頃)まで帰院せねばならず、始終駆け通しだったので七坊主(ななつぼうず)。後者は「めしもり」と読む女郎に他ならない。下巻には、幕末情勢や水戸藩事情や寛永寺の古今に触れて、江戸の記憶が薄らぐ明治人に歴史理解の基礎を与えようとした姿勢が好ましい。
(週刊ポスト2016年1.1/8号より)

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