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和田裕美著『ママの人生』に描かれた、人生で最も大切なこと。著者にインタビュー!

スナックで働くママは、いつも仕事と恋に忙しい。自由気ままな母の生き方に翻弄されながらも、主人公「わたし」は人生でもっとも大切なことを学んでいきます。実の母をモチーフに描く、半自伝的小説。著者にその創作の背景をインタビュー!

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

著作200万部突破の女性ビジネス書作家初めての小説

『ママの人生』

ママの人生_書影
ポプラ社 1400円+税
装丁/原健三(ハイフン)

和田裕美

著者_和田裕美_01
●わだ・ひろみ 京都府生まれ。京都光華女子大学英文学科卒。外資系教育会社でフルコミッション営業職として、成約率98%、世界142か国中第2位の好成績を収め、東京支社長等の要職に就くが、その後同社が撤退。03年『世界№2営業ウーマンの「売れる営業」に変わる本』でデビューし、『営業脳をつくる!』『人に好かれる話し方』『人生を好転させる「新・陽転思考」』等、累計部数は200万部超。京都光華女子大学キャリア形成学科客員教授。160㌢、A型。

同じ言葉でもビジネス書で読むよりも小説の台詞の方が心に響く部分もある

外資時代は契約成約率98%、ビジネス書の著書発行部数200万部超といった数字と、目の前のよく笑いよく話す女性が、どうも重ならない。
「私の場合、実績しか誇れるものがないので仕方ないんですけど、数字だけ見られると相当イヤな女だと思われるみたいで(笑い)」
 そんな和田裕美氏の人気の秘密を、初小説『ママの人生』に垣間見た気がした。
〈ママは、わたしが小学校二年生のときからわたしだけのママじゃなくなった〉とあるように、本書は生前、京都でスナックを営んでいた自身の母をモデルにした半自伝小説。茶髪にミニスカートがよく似合うママは主人公〈保美ほのみ〉と〈おねえちゃん〉、そして〈パパ〉がいながら常に恋をしては失敗することを繰り返し、それでいて間違っていない。
 一言で言えば〈自由〉なのだが、その孤独や責任も全部受け止めて、人は誰しも1人という事実をみんなと生きる、みんなのママ。そんな愛すべき遺伝子が、伝説の営業ウーマンにも確実に受け継がれている。

「皆さん、どうせビジネス書作家の小説だろうと期待値ゼロで入るのか、読んで頂いた方からは『思ったよりいい小説だった』って、よく言われます(笑い)。
なぜ小説かといえば、ある時、ビジネス書なんて全然好きじゃないのに私の担当にされちゃった女性編集者と企画の相談をしていて、『私の母はとにかく面白い人だった』という話になったんです。そうしたら『その話、ぜひ小説で読んでみたいです』って。彼女はそれこそビジネス書作家に小説を書かせるくらい、冒険する人だったんです」
1章「わたし、小学生」から終章「わたし、社会人」まで、保美の成長と家族の変遷を綴る本書では、借金まみれの〈宮田〉と出奔したり、妻子ある〈久万さん〉と恋に落ちたり、常に色恋沙汰の絶えないママの奔放さと人生教訓が印象的だ。
「実は私、自分で読むのは8割が小説で、宮本輝さんの『流転の海』なんて、熊吾や父親の『背中を押される言葉集』を書き出しているくらい好きなんです。同じ言葉でもビジネス書で読むより、小説の中の生きた台詞で読む方が、より心に響く部分もありますし」
〈春日駅〉に程近い商店街に昼は喫茶店、夜はスナックになるママの店はあった。洋服屋を経営するパパとは生活費を折半し、娘たちは〈ママのもの〉である米をパパが勝手に食べないように〈象のマークの炊飯器〉を隠したりもした。
夕食までを店で過ごし、姉が部活で遅い日はママが用意してくれたご飯を1人で食べる保美は、可哀相だなんて誰にも思われたくない。友達と遊んだ帰り、その母親が持たせたタッパーを捨てた保美は、たとえ冷たくてもママのご飯を食べることを選ぶ少女だった。
「母の献立には脈絡がなくて、なぜ焼魚にハンバーグ? とか、必ず一品、余計なんです(笑い)。でも今は、魚だけじゃなくお肉もあった方が喜ぶかなという、母なりの愛情だったとわかります。同情されたくないという台詞も、貴女は将来幸せになれるし、可哀相なんかじゃ全然ないよって、私が幼い私に言ってあげたかったのかもしれません」

今が幸せなら過去が悪いわけはない

娘たちが思春期になると、男を料理で釣るのは相手を甘やかすだけ、カネは男に払わせろなどと持論を教授し、〈ママは失敗したからいうてるんやで〉と言う。〈失敗して、すごすごと戻ってきて、かっこ悪いのみんなに見せてるやろ。ママに棚はないで。地べたにゴザ敷いて並べて、全部さらして生きてるんや〉
また、〈あんたが思うことが、あんたの正義やさかいな〉〈ママはママ、あんたはあんたや〉とも言い、親子でも人格は別、世間はもっと別とばかりに、人1人が自由に毅然と生きる心得を全身で体現するのだった。
「私の母も男と別れた時はつらい決断をしただろうし、先日も姉と話したら、母は世間的には相当酷い親だったし、私たちも可哀相な子供だったよねって。ただ死んだ人ってどうしても美化される部分があるし、悪い思い出はイイ思い出に上書きされてしまう。母が死んで20年、父が死んで2年が経ちますが、私が今幸せでいる以上、過去が悪いわけないんですよね。母と父といた時代を、書きながら浄化していく感覚でした」
ママが腸閉塞で倒れ、呆気なく死んだ時、保美は病院を訴えることも考えた。が、〈怒っているほうが、悲しんでいるより、人は動ける〉〈でも、それだとなんか心が固くなってしまう〉〈だったら、悲しみを怒りに変えるほうが楽かもしれないけれど、悲しいほうがいいじゃないか〉と思う。
そしてママの口癖、〈これでいいんだ〉を繰り返し、悲しみを丸ごと抱えて前に進む姿は、パパが〈おまえ、ママに似てきたわ〉と言うようにママそっくり。それこそ『新・陽転思考』等で和田氏が説く考えの端々にも、ママは生きていた。
「私も本書を書いて気づいたんですけどね。影響なんて言葉じゃ足りないくらい、今の自分を形作る全てが、母によって作られていた。
母は人の悪口を言わないし、とことん自由な人で、何があってもひたすら明るかった。そして人は悲しみを抱えながらでも生きていけるんだということも、私は母から教わったんです」
愛する母親をこんな形で弔うことができて、彼女はつくづく果報者だ。その自由で嘘のないみんなのママの人生は、読む者を魅了して離さないのだから。

●構成/橋本紀子
●撮影/内海裕之

(週刊ポスト2016年12.16号より)

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