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安部龍太郎著『半島をゆく』は海と陸の接点から日本史を捉え直す意欲作!著者にインタビュー!

直木賞作家・安部龍太郎と歴史学者の藤田達生が半島を歩き、海と陸の接点から、日本史を捉え直す意欲作。創刊27年の月刊誌『サライ』の大好評連載が単行本化。その創作の背景を著者にインタビュー!

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

直木賞作家と歴史学者が海と陸の接点を歩き日本史を捉え直す意欲作!

『半島をゆく』
半島をゆく_書影
小学館 1500円+税
歴史解説/藤田達生
装丁/B.C.(稲野清)

安部龍太郎


●あべ・りゅうたろう 1955年福岡県生まれ。国立久留米高専卒。大田区役所、図書館勤務を経て90年『血の日本史』でデビュー。2004年『天馬、翔ける』で中山義秀文学賞、13年『等伯』で第148回直木賞。著書に『関ヶ原連判状』『信長燃ゆ』『道誉と正成』『五峰の鷹』『姫神』『義貞の旗』等。現在も『サライ』で続く連載では地元の人だけが知るおいしいものの情報も満載。「地酒も魚も実にうまくてね。体重は当然増えました(笑い)」。164㌢、74㌔、O型。

小説家として長年取り組む最大の課題が日本古来の世界観の復元と復活なんです

三重県津市のとある居酒屋。名産の鰻で一杯やりながら、〈司馬(遼太郎)さんは偉大なお仕事をなされたけど、もうそろそろあの史観を越えないと〉と、あえて直木賞作家・安部龍太郎氏は〈大胆な口火〉を切った。
メンバーは安部氏と地元三重大学の藤田達生教授、そして西のぼる画伯の3人。09年の『下天を謀る』でも作者・時代考証・挿画担当を務めた彼らは、以来3月に1度、文字通り全国津々浦々、、、、を旅することになる。
表題は最年長・西氏から出た『半島をゆく』。むろん司馬の『街道をゆく』が念頭にあってのことだが、安部氏は書く。〈街道が本格的に整備されるのは江戸時代になってからで、それ以前は海運や水運が物流の中心だった〉〈その拠点となったのが半島である〉〈港には物があふれ、人々が集い、全国各地の情報が集積された。こうした場所から物事が動き出すのは歴史の常で、半島は多くの歴史的事件の舞台となった〉と。

「司馬さんが亡くなられたのが平成8年。その作品群は約30年前の歴史学に基づくわけで、その間にも多くのことがわかってきた以上、我々にはその果実を反映した新しい日本史像を構築する責任があろうと。
そもそも日本は海洋国ですからね。流通が陸路中心になるのは鉄道が敷かれた明治からで、水運の拠点を見直すことで、もうひとつの日本史が見えてくる。まあそんな流れで旅を始めました。取材では快晴率8割ですから、なかなか運も強いですね(笑い)」
一巻「信長と戦国興亡編」では、知多・薩摩・能登・沼隈・伊豆・志摩の6半島を収録。安部氏の紀行文と藤田氏の解説、西氏の挿画で構成された贅沢な1冊だ。
まず知多半島(愛知)へは鳥羽からフェリーで渡り、師崎港に上陸。船は案外に揺れたが、近いことは近い。
「かつて物や情報が集まった先進地は、今や陸路では行きにくい陸の孤島も多い。だからこそ歴史の宝庫だったりもします。便利か不便かという価値観は不変ではない。現地を歩けばこそ得られた実感の一つです」
知多水軍ゆかりの寺では大坂の陣の戦利品と伝わる「洛中洛外図屏風」に見入り、源頼朝が建てた父義朝の墓前では知多から海路で東上する道中に謀殺された義朝の無念に思いを馳せた。
その平安末期から焼かれていた常滑焼の壺のくだりも面白い。この直径1㍍もある武骨な壺を撫でながら、〈あらゆるものが保存できるようになったのですからね。まさに革命的ですよ〉と藤田氏が言うと、〈何だか珠洲焼すずやきに似ていますね〉と能登半島・珠洲出身の西氏。実際、この壺は日本各地で水や薬品類の保存に使われ、〈北の珠洲、南の常滑〉で焼かれたのも積出港に近いから。〈ところが江戸幕府が商業や流通業を不当に低く評価したために、こうした流通、海運に対する視点と史観が失われたのである〉
「常滑は太平洋側、珠洲は日本海側の中継拠点港で、航海中は生活用水を入れた壺を船の底荷〈バラスト〉にする一方、港々で商品にもしたらしい。我々は物が人々の動線を変え、地勢が生業を決める光景に興奮しきりでね。それこそ日本の戦国史が間違っているのは江戸の鎖国史観ゆえで、実際は大航海時代の海を通じた交易が、戦国の世をもたらすんです。
南蛮貿易開始以来、日本は高度経済成長を迎え、新たな市場開拓を常とする重商主義の行き着いた先が朝鮮出兵だった。その反省から江戸幕府は国を閉じ、平和こそ保ちますが、海や山と大らかに切り結ぶ歴史まで歪めてしまった。今回お世話になった郷土史家やガイドの方々の郷土愛にしても、自然を自分と感じ、自分も自然の一部だという日本古来の世界観が根底にあって、その復元と復活が、僕が小説家として長年取り組む、最大の課題なんです」

視点や史観次第で無尽に姿を変える

一方、歴史学者・藤田氏も熱い。白眉は沼隈半島のとも幕府〉だ。一般に室町幕府は15代将軍・足利義昭が京を追われた元亀4年に滅んだとされるが、〈どっこい、義昭は生きていた〉〈天正四年に毛利輝元の庇護を受けて鞆の浦に居を構えたのである〉
「自らを将軍、輝元を副将軍に瀬戸内海海運を掌握し、西国支配を狙った亡命政権説を、藤田先生は20年前から提唱されている。義昭敗走=室町滅亡は御都合主義的な歴史の嘘、、、、とも言えます。実際は足利と織田の両立体制が続いたと考えなければ、本能寺も見えてはこない」
同地に残る痕跡から義昭の野望を推理する藤田氏は、解説編でも義昭が本能寺の変にどう関わったのか、石谷家文書や長宗我部元親の書状等を紐解いて丹念に分析。ことに信長の〈四国政策の転換〉が光秀―元親ラインと秀吉―三好ラインに溝を生み、暗殺へと繋がる過程を熱く綴る。
「つまり本能寺の変は光秀の私怨などではなく、信長の四国政策が原因(四国説)で、裏で糸を引いた黒幕が鞆の義昭だった。最近では義昭が変の後、毛利に上洛戦を命じた御内書まで出てきたというから、驚きです。
僕もその新しい義昭像をぜひ書いてみたいと思ったし、歴史が視点や史観次第で無尽に姿を変える以上、我々小説家の仕事も決して尽きることはありません」
街道と半島、陸と海など、一方に偏りがちな歴史観を私たち日本人が乗り越えるために、よく歩き、よく呑み語らう彼らの珍道中は今後も続く。
「地の酒や食も大事な文化ですから。たとえ下戸でも呑むべし、ってね(笑い)」

●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光

(週刊ポスト2017年1.13/20号より)

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