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春見朔子著『そういう生き物』が描く、生と性のままならなさ。著者にインタビュー!

第40回すばる文学賞受賞作。一番近くにいるのに、わかりあえそうでわかり合えない2人。でも寄り添い続ける2人。生と性のままならなさをみずみずしい表現で綴る繊細な一作の、創作背景を著者にインタビュー。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

「生」と「性」のままならなさを瑞々しく描くデビュー作!第40回すばる文学賞受賞作

『そういう生き物』 

そういう生き物_書影

集英社 1300円+税

装丁/鈴木久美

春見朔子

著者_春見朔子_01

●はるみ・さくこ 1983年北海道生まれ。北海道大学薬学部卒。薬剤師の傍ら、2015年より小説を執筆、昨年本作で第40回すばる文学賞を受賞。「中学の頃から渾名は〝さっこ〟で、字形も意味合いもいい朔を筆名に使いました。呼ばれても違和感が少ないし、いいかなって」。札幌在住。「北海道以外に住んだことがないので、知らない土地を書くのはまだ難しいですね。読むのはミステリーも好きですし、書けるのであれば何でも書きたいです」。167㌢、B型。

100%理解し合えなくても、好意や優しさがあれば寄り添うことはできる

片方は、〈千景〉。  

片方は、〈まゆ子〉。  

千景は薬剤師、まゆ子は叔母のスナックで時々働き、今は千景の部屋に居候する元高校の同級生。そんなぼんやりとした輪郭しかわからないまま、物語は進む。  

第40回すばる文学賞受賞作『そういう生き物』 。これが初著書となる春見朔子氏(33)は札幌在住の薬剤師で、2年前の春、「友達と食事をしていたら子供の頃の夢が小説家だったという話になって、 『でも小説って今からでも書けるよね』と言われたのがきっかけ」で小説を書き始めたという。

〈そばにいるのに、わかりあえない二人。わかりあえないのに、歩み寄る二人〉と帯にあるが、親友、恋人といったどんな名称も2人の間に流れる空気や温度を語り得ない、そんな関係だ。  

千景+まゆ子は、足してもそのまま千景とまゆ子でしかなく、それでいて何ら絶望を感じさせない、フラットで現代的な人間関係小説である。

〈どこかでこぷこぷと音を立てているものの正体に、私はまだたどりつけずにいる〉  

本書の書き出しである。  

ある朝、目覚めた千景は〈おはよ、ちーちゃん〉と声をかけられ、音の正体が、まゆ子が寝袋共々持ちこみ、〈冷蔵庫の上の電子レンジの上〉に高く積まれたコーヒーメーカーだと気づく。

〈電化製品は、積み木ではないんですが〉、〈震度いくつまで大丈夫かな〉等々、延々続く不毛なやり取りに千景は〈この問答になにか意味はあるのだろうか〉と半ば呆れながらも、まゆ子の淹れたコーヒーを啜った。 〈一週間前に、彼女はこの部屋に来た〉〈言い出したのは確実に私で、口にした直後から、あれ、私なんでこんなこと言っちゃったんだろうと後悔したけど、まゆ子のあまりに嬉しそうな顔を見たら、もう撤回することもできなかった〉  

やがて2人が再会したのは叔母のスナックらしいこと。千景は大学時代の恩師である〈先生〉の家で今も〈線虫〉の観察をしていること。一方のまゆ子は、〈先生〉の孫であり、千景の家に2匹の〈カタツムリ〉を預けに来た少年央佑おうすけになつかれること。千景とまゆ子の高校時代に何か秘密があることなどが、だんだんにわかってくる。 「子供の頃、『体は男で心は女』という言葉をテレビなどで聞いて、『心が女ってどういうことだろう?』と、不思議に思ったんです。心に性別なんてあるの?って。私は自分を女だと思っているし、そのことに違和感はないけど、心それ自体に性別を感じたことは特にないんです。でも、他の人はそうではないんだろうかと、ずっと不思議で。それがこの小説の原点です」  

言葉を使いながら言葉に頼らず、社会通念や定義を一つ一つ、現象に立ち返って確かめるような小説である。例えば央佑に千景は親友なのかと問われ、〈あたしにはちーちゃんしかいなかった。親友になりたかったし、恋人になりたかったけど、まあ、どっちにもなれなかったんだよ〉と答えるまゆ子が、千景をかけがえなく思った原風景がいい。心と体に違和感を抱え、〈透明人間になりたい〉と思いつめるまゆ子に、千景は〈透明になっても、見えなくはならないよ〉と言って、透明な体から卵や内臓が透けて見えるグロテスクな蛙〈グラスフロッグ〉の写真を見せてくれたのだ。 〈透明になるということは見えなくなることではなく、中まで見えるようになることだった〉〈それはあたしにとって大きな発見で、ひとつの事件だった〉〈目に見えるって、それだけで暴力的で、いやらしい〉 「透明人間になりたいと、漠然と考える人は多いでしょうけど、千景はそれが現実としてどういうことなのか、きちんとわかりたい人なんですね。  

そんな千景も、昔はまゆ子との関係を、一般的に呼ばれるような間柄に無意識におさめようとしていたのかもしれません。それが普通のことだから。  

でもお互いが納得していて、周囲に迷惑をかけていないなら、関係性を表す言葉は本当は必要ないはず。彼女たちや、先生や央佑との関係にしても、“そういうもの”でしかないと思います」

性の問題は実はとても社会的

〈死んでも抱き合いたくないと思う相手〉は男に多いのに、結局は〈別にしなくてもよかったセックス〉を男としてしまう千景には、その無意識下の刷り込みが〈呪い〉にも思えた。

「千景は女に生まれたから女を生きている人で、特に28歳にもなるとセックスしない方が、とやかく言われる。そんなふうに一見個人的な性の問題も、実はとても社会的なものだったりします。体はともかく、心の性別に関しては、人目とか社会的装置の影響も大きいかもしれないですね」  

その点、雌雄同体な生物として登場するのが、カタツムリと線虫だ。実は著者自身、薬学部時代は線虫を研究対象にし、卒論の一部が本書にも引用されている。

「線虫は基本的に1匹で繁殖し、カタツムリは交尾をする。そこは同じ雌雄同体でも、違う生き物なんです。  

人間だって人それぞれで、100%理解し合うなんて無理ですよね。でも好意とか優しさがあるのなら、わかり合えないことを前提に、お互いを尊重して寄り添うことはできるんじゃないかと思います」  

相手に立ち入らず、他愛のない会話を続けながらも、千景とまゆ子は一緒にいた。本書ではそんな各々の思いがモノローグで交互に綴られ、大事なことは話さず、それでいて唯一無二の関係が、やがて繊細な情景描写の行間に静かな像を結ぶ。  

ちなみに舞台が札幌らしいことは、央佑とカタツムリの育て方を調べに行った図書館の、〈二十一条〉というバス停が唯一匂わすだけ。まゆ子が淹れるコーヒーや日々の食事も、どこにでもありそうな生活感に満ち、どこにもない2人の関係をより愛おしく思わせるのだ。

「自分では札幌のつもりで書いていましたが、意識して舞台にしたわけではないんです。読んでくださった方それぞれに、身近な物語として感じていただけたなら嬉しいですね」

独自でありながら普遍的な物語は、心と体を巡る幾多の「?」を呑み込み、1冊の小説として胸を打つ。〈また今日も、あたしはあたしの生理現象をぶら下げて生きていくのだ〉と呟くまゆ子の諦観含みの覚悟は、ままならない性や生を生きる、誰のものでもあるのだから。

●構成/橋本紀子

●撮影/国府田利光

(週刊ポスト2017.3.3号より)

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