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呉勝浩著『白い衝動』が重厚な筆致で描く、他者を受け入れることの難しさ。著者にインタビュー!

「人に理解されない衝動は誰にもある」―。殺人衝動を抱える少年、犯罪加害者…多数の登場人物が織りなす人間模様。他人を受け入れるとはどういうことなのか。創作の背景を著者にインタビュー!

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

人間はどこまで「他人」を受け入れられるのか―重厚な書き下ろし長編

『白い衝動』 

白い衝動_書影

講談社 1600円+税

装丁/鈴成一デザイン室

呉勝浩

著者_呉勝浩_01

 ●ご・かつひろ 1981年青森県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒。「僕はD・フィンチャー監督の『セブン』や黒沢清作品みたいなエッジの効いた映画が好きで、現場の手伝いはしたものの、続ける意欲が持てなかった。それからはコールセンターのバイトや力仕事で食い繋ぎ、結局自分は物語が作りたいんだと思って小説を書き始めました」。15年『道徳の時間』で第61回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。他に大藪賞候補作『ロスト』等。173㌢、78㌔、A型。

醜く愚かな感情があると認めた上で、冷静かつ理性的に心のことを考えたい

祖父母がなぜ日本に渡り、大阪育ちの両親がなぜ青森にいたのか、「詳しい事情は何も聞いていないんです」。  

大阪芸大映像学科卒業後、大阪に残り、15年に江戸川乱歩賞受賞作『道徳の時間』でデビューした呉勝浩氏(35)は笑う。

「よく僕は社会派みたいなことを言われるんですが、正確には自分派、、、なんですね。自分が抱えてきた疎外感や世の中に対する違和感を、エンターテインメントの形で物語化したかった」  

最新長編『白い衝動』がつきつけるのも、犯罪者や異常性癖者に対する社会の受け入れの問題だ。ある時、私立〈天錠学園〉のスクールカウンセラー〈奥貫千早〉は、高等部1年〈野津秋成〉から驚くべき相談を受ける。賢く家族関係も良好な彼は、学内で飼う仔山羊が傷つけられた「ゲンジロウ事件」は自分の仕業だと告白した上で、〈人を殺してみたい〉と言うのである。〈先生にとって邪魔な人間はいませんか?〉〈ぼくに、その人を殺させてくれませんか?〉と。

*  

大学で社会心理学を学び、助手から臨床の現場に転じた千早の研究課題は、〈包摂と共生にいたる心理〉。包摂とは要するに私たち社会の側の受け入れ態勢のことだが、千早は〈特異なキャラクターの持ち主に一方的な努力を強いること〉に抵抗を覚える心理学者だった。 「つまり社会的異物の矯正に重きを置く考え方に対し、社会の側ももっと変われるはずだと千早は言う。でもそれは理解できない存在に恐怖を抱き、つい触れないでおこうと思ってしまう人々に〈自己否定〉を強いることにもなる。僕自身、いざとなったら彼らを受け入れられるのかという自問が、少年Aの自伝が出たりする中で執筆の原点でした」  

現に千早の住む町に刑期を終えた連続暴行魔入壱いりいち要〉が越してきた時、地元ラジオ局で報道番組に携わる夫〈紀文〉ですら、町の人と〈予防措置〉を講じた。 「ただそれも〈おれは野蛮な人間かな〉と紀文自身が問うように、理解不能な〈鬼畜〉から町を守るためには至極当たり前の行動なんです」

16年前、入壱は3人もの女子高生を両親の目の前で凌辱する。1人目は足の指を潰され、2人目は手の指を切断。3人目は目と鼓膜を潰された上に足首を切られ、この時は出血に驚いた入壱自身が救急車を呼んでいた。彼は逮捕後、〈女の子が死んでしまうと思った〉と供述し、殺意はなかったらしいが、そんな凶悪犯が町内に住む彼の伯父宅に転居したとあって、ゲンジロウの事件でも入壱を疑う声がある。そんな中、千早は秋成の告白を聞くのである。

〈ぼくは、人を殺す快感を知っているんです。その上で、それが自分の生きる途だと確信している〉と彼は言い、そのくせサッカー部の花形で中等部の弟〈冬弥〉には迷惑をかけたくないと事態を冷静に分析してもいた。それでも突き上げる衝動に、彼は病名を付けてほしいらしいが、千早はどんな病名も妥当とは思えないのだ。  

そもそも金や復讐を目的とした〈社会的殺人〉や、性的欲求と結びついた快楽殺人などの〈私的殺人〉と違って、秋成は歌手が歌を歌わずにいられないように人を殺したいのだと言う。その衝動を仮に〈純殺人〉と名付けたとして、そんな衝動が存在しうるだろうか―。  

一方、入壱を巡っては、紀文の番組に出演した犯罪被害者の会代表〈白石〉が入壱の住所を暴露する放送事故が起こる。実は白石は入壱事件の被害者の伯父でもあった。そして千早は〈殺すべき人間を殺したい〉と言っていた秋成が番組を聞き、それを見つけた、、、、、、、ことを知る。

人に理解されない衝動は誰にもある

「映画監督になりたかった僕の場合、バイトをクビになって、金も全然ない時に唯一手元にあったパソコンで衝動的に書き始めたのが小説。人に理解されない衝動って誰しもありますよね。  

特に秋成の場合はまだ罪を犯していないこと、、、、、、、、、、、、が重要でした。理屈で考えたら受け入れる社会の方が正しいんだけど、受け入れようよってしたり顔で言うのも嘘臭いしね。僕自身は包摂にはこんなリスクが伴う、そのリスクを知った上で、受け入れてみないか、くらいのスタンスなんです」  

その時、最も障壁となるのが感情だが、特に近年は理性で感情は超えられるという方向にばかり、歴史は動いてきたと呉氏は言う。

「感情はある、しかも醜くて愚かな感情が誰しもあると認めた上で、そろそろ冷静かつ理性的に心のことを考えようよと言いたい。千早や住民から入壱の診察を依頼された彼女の元恩師〈寺兼〉の意見にしても、私見、、であって正解ではなく、そこには立場や感情が微妙に絡んでくるはずです」  

寺兼は言う。〈我々にできるのは三つだけだ。排除、隔離、そして包摂〉〈包摂とは、すなわち洗脳なのだよ〉〈社会とアウトサイダーがどちらも最小限の忍耐で暮らしていけるよう、上手に洗脳してあげることだ〉  

そんな恩師と相容れずに研究室をやめた千早自身、幼少時代の苦い記憶、、、、や夫との溝を抱えている。秋成の突然の失踪や文化祭の最中に起きたゲンジロウ殺害事件など、その後も物語は転がり、衝撃の結末へと疾走していく。  

本書のキーワードは、全ての謎が解けた時、千早がある人物に抱く〈孤人〉という印象や、彼女と対立する妹が言う、〈お姉ちゃんも、いてもいい〉という言葉だろう。人は所詮1人、だからこそ理解しえない他者が、隣にいてもいいとも思えるのだ。 「例えば誰かと一緒にいたいというのも人間の原初的な衝動で、その寂しさから来る衝動がなければ包摂も何もないと思うんですよ。ただしその場合も独立した同士がお互いを許容しあう忍耐が必要で、自分ではない他者との適切な距離が、この『いてもいい』だった。  

今は孤独を嫌い過ぎというか、イイね文化とか既読圧力とか、なぜそんなに繋がりたいのかと思うし、みんなって怖くないですか。自分に差別意識がなくても相手が100人いたら絶対同調圧力に呑み込まれるし、少なくとも僕は隣にいてもいいと思う人が1人か2人いれば、それで十分です」  

教育の名を借りた洗脳や、個人を脅かす全体に抵抗を覚える呉氏は、だから自分派を貫くのだろう。100人なら100人の読者と考えたい問題をより面白い物語に描くエンタメ作家として。

●構成/橋本紀子

●撮影/国府田利光

(週刊ポスト10号3.17号より)

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