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柳川悠二著『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』著者インタビュー!

PL学園野球部の「謎の休部」の真相を明らかにする一冊。野球部創設の経緯や、強さの背景には何があったのか?詳細に渡って真実に切り込んだ内容となっています。創作の背景を、著者・柳川悠二にインタビュー。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

名門野球部「謎の廃部」の真相に迫る――第23回小学館ノンフィクション大賞受賞作

『永遠のPL学園 六〇年目のゲームセット』
永遠のPL学園_書影
小学館 1500円+税
装丁/岡 孝治

柳川悠二
著者_柳川悠二
●やながわ・ゆうじ 1976年宮崎県生まれ。ノンフィクションライター。法政大学在学中からスポーツ取材を開始し、出版社勤務を経て独立。高校野球の取材を2005年から始めて以降、春夏の甲子園取材をライフワークとする。主にスポーツ総合誌、週刊誌に寄稿。著書に『最弱ナイン』(角川書店)。「PL学園の最後の部員たちにこの作品を読んでもらって、自分たちの描かれ方をどう思ったか聞いてみたいです」。162㌢、79㌔、O型。

「夢は甲子園」と言い続け努力を重ねた最後の12人の部員たちを見届けたかった

昨夏、高校野球の名門がその活動に幕を下ろした。桑田真澄や清原和博など数々の名選手を輩出してきた大阪のPL学園。輝かしい戦績を誇る野球部に一体、何が起きたのか。
その謎に正面から挑んだのがノンフィクションライターの柳川悠二氏だ。2年半に及んだ取材の一部始終を記した『永遠とわのPL学園 六〇年目のゲームセット』は昨秋、第23回小学館ノンフィクション大賞を受賞。
今週の「著者に訊け!」はジャーナリスト・森健氏が聞き手を務める。一昨年、稀代の名経営者が人知れず抱えていた葛藤を描いた『小倉昌男 祈りと経営』で同賞を受賞し話題を呼んだ森氏は、やはりメディアの注目を集めながらも謎だらけだった名門野球部の廃部の実態に迫った柳川氏の作品をどう読んだか―。

本書を手にとると、まずカバーに写る選手に驚く。名門PLの選手とは思えない華奢きゃしゃな体躯。彼らこそ、PL野球部62期生、最後の部員だ。柳川氏も14年8月、取材をはじめてすぐ、その異様な姿に気づいたという。
「背も小さいし、ひょろっとした体格。野球推薦で入る特待生がいなくなっていて、一般入学の高校生ばかりになっていたんです。超名門のPLに、実に不釣り合いな彼らをはじめて見たときには驚きました」
その取材時、柳川氏は監督に話を聞き、さらなる衝撃を覚える。監督に野球経験はなく、学園で長年国語の教員を務めた、PL学園の校長だった。疑問を覚えた柳川氏は、なぜ専門の監督を使わないのかと尋ねた。校長は野球とは異なる文脈で答えた。監督にも信仰心が求められるんですよ、と。
「そして、いきなり『教団』の内情を語ってくれたんです。そこでわかったのは、想像以上にPL野球部は教団の支援を受けていたということ。野球推薦の特待生が存在できたのは、教団が浄財(信者の寄付)を流してくれたからです。ところが、そのお金が教団から流れなくなった」
校長は、学園の母体である宗教団体「PL(パーフェクトリバティー)教団」の影響を口にした。野球部の異変はPL教団と関係があるのではないか―。
そんな疑問から柳川氏は教団と野球部の関係を追っていくことになった。
取材される側はいまだ慣れていなくて……と柳川氏は打ち明ける。最近もラジオで十数秒沈黙し、「放送事故とツイッターで書かれた」らしい。だが、そうした照れ屋で慎重な性格が、ガードの堅い人が多かったこの取材ではうまく働いた節がある。これまで口が重かったPLの重要人物が、柳川氏の取材には内情をあけすけに語っているのだ。
そもそもPL野球部と宗教団体のかかわりが取り上げられたことは多くない。
「PL野球部を扱うとき、大手紙も含め、信仰については触れてこなかった。でも、PLの試合をよく見てみれば、その存在は相当大きかったと言えるんです」
その一つが、打者がバッターボックスに入る直前にユニフォームの胸の部分を握りしめる所作だ。「おやしきり」という名の宗教儀式で、教祖である「おしえおや」に「しきる(祈る)」という意味をもっていた。
「信者の情報網を使って、各地の優秀な選手情報を集め、PLに迎え入れる。練習後は教団の教師が講話をして精神面の大切さを教える。そうした心技体を鍛えるシステムが機能した時期がありました。まさに桑田や清原が活躍した80年代半ばのことです」
その黄金期、PLは立浪和義(中日)や片岡篤史(阪神)、宮本慎也(ヤクルト)といった選手を次々と輩出していく。この時代を支えたのは中村順司という監督だ。
だが、中村氏が98年に退任すると、PLの歪みが露見していく。野球部内での暴力問題である。

教団にとっては暴力は「お荷物」

01年には上級生が下級生をパイプ椅子で殴打した事件が発覚。高野連から6か月の対外試合禁止処分が下された。その後も暴力事件は散発的に報じられ、次第にPLの病が根深いことが知られていく。
ただし、こうした暴力事件はPLだけが特別ではなかったと柳川氏はいう。
「暴力はどの野球部でも珍しくないし、実際いまでもある。暴力は言語道断ではあるんですが、先輩と後輩の関係性で全否定もしにくい部分もある。そういう趣旨のことはPLのOBも語っており、だからその後の連鎖も止められなかった」
この暴力事件の連鎖がPLをゆっくりと蝕んでいく。
「世界平和を謳っている教団としては、暴力事件を繰り返す野球部が“お荷物”となってしまったのかもしれません」
野球部ばかり注目される状況に反発する教団内部の空気もあった。
「カリスマ的な教祖が亡くなったのが83年。その直後にPL野球部に全盛期が来るのですが、徐々に教団と野球部に距離ができていく。一方、教団の信者が減っていく問題もありました。公称でも265万人という信者数が30年ほどで90万人と大幅に減少した。現在の信者の実数はさらに少ないでしょう。教団の財政も悪化するわけです」
PL教団の立教は終戦翌年の46年。野球部は55年の創部だ。その後の教団や野球部の隆盛と減退が日本の戦後の盛衰と一致しているのも興味深い。
そうした背景に深く踏み込みながら、柳川氏は16年夏、最後の地区大会の取材に足を運ぶ。「夢は甲子園」と言い続け、練習に励む選手たち。彼らを追う柳川氏の目線は温かい。
「保護者みたいな気分でもありました。最後の12人の部員は彼らなりに試行錯誤して勝とうとし、微々たる改善ながら努力を重ねていた。そんな彼らを本当に好きになったし、最後まで見届けたいと思いましたね」
彼らの描き方にエールが滲んでいたのは、柳川氏の思いゆえだったのだろう。
PL野球部の栄光と凋落は、日本が歩んできたそれともどこか符合する。柳川氏が描いたPLのストーリーに、読者一人ひとりは違った発見をするのでないか。

●構成/森 健
同じノンフィクションライターとして、森氏の質問は取材手法など細部にまで及んだ
(もり・けん 1968年東京都生まれ。ジャーナリスト。早稲田大学在学中よりライターとして活動。『「つなみ」の子どもたち』『つなみ 被災地のこども80人の作文集』で第43回大宅壮一ノンフィクション賞、『小倉昌男 祈りと経営』で第22回小学館ノンフィクション大賞受賞。)
●撮影/国府田利光

(週刊ポスト2017年4.7号より)

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