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土田英生著『プログラム』ディストピア空間に透けて見える日本の今

安心安全を謳う夢のエネルギー「MG発電」の拠点でもある人工島で、様々な人物が繰り広げる群像劇。その創作の背景を著者にインタビュー。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

実力派劇作家が小説デビュー 人工島で起こる事態は日本の未来を暗示している!?

『プログラム』

プログラム_書影
河出書房新社
1500円+税
装丁/坂野公一+吉田友美(welle design)

土田英生
著者_土田英生_01
●つちだ・ひでお 1967年愛知県生まれ。立命館大学産業社会学部入学後、演劇活動を開始し、89年に劇団MONOの前身・B級プラクティスを結成。99年『その鉄塔に男たちはいるという』でOMS戯曲賞大賞、01年『崩れた石垣、のぼる鮭たち』(文学座)で芸術祭賞優秀賞等を受賞。03年、文化庁新進芸術家派遣研究員としてロンドンに留学し、映画『約三十の嘘』『初夜と蓮根』やドラマ『おかしなふたり』等、脚本作品も多数。京都在住。169㌢、72㌔、O型。

危険を避ける理性すら失った人間は無意識のうちに死の行進をしている

毎年春になれば桜が咲き、木々が芽吹いて、自然とはなんと律儀で健気なのかと、感心しきりの4月である。
〈翻って人間はどうか?〉
嘘や保身、見栄や嫉妬に汲々とし、〈本能というプログラム〉さえ壊れつつあると、先ごろ初小説『プログラム』を上梓した劇作家で演出家、土田英生氏は言う。
「“そこが面白くてカワイイ”と笑える段階を、今はもう、越えちゃってますね」
舞台は東京湾上に浮かぶ、〈日本らしさ〉がテーマの人工島〈日本村〉。純粋な日本人、、、、、、以外はバッジ装着が義務で、安心安全を謳う夢のエネルギー〈MG発電〉の拠点でもあるこの島で、日本村四番駅駅員〈高島啓治〉やバツイチの同僚女性〈戸村〉らが繰り広げる、“とある1日”の群像劇を描く。
その日。上空に〈赤い雲〉が浮かび、徐々に空全体を覆った。人々は永遠の眠りをもたらす奇妙な眠気に襲われるが、それでも無駄口を叩き妄想に走る。そんなありそうでなさそうなディストピア空間に、日本の今が透けて見える?

劇団MONO代表として関西の演劇シーンを牽引し、近年は映画やドラマ脚本も手がける土田氏は今年50歳。学生時代に演劇と出会ってから、早30年を数える。
「劇団を続けていくのって大変なんです。何とか脚本の仕事で凌いではきたけど、テレビ局側の人間は年下が増える一方だし、この先どうしようと焦っていた矢先に、今回の小説のお話をいただいたんです。
確かに昨年芥川賞を取られた本谷有希子さんとか、内面を描く劇作家は小説にも移行しやすいとは思う。ただ、僕の場合はモノローグよりダイアログというか、2人の人間がいたらその間の現象、、、、、、を書きたいんですね。例えば男女が別れ話をしていると、目の前の机をなぜか蜘蛛が通る。その違和感やマヌケさを含めた全体、、を描きたい時、芝居なら全体を見せられるけど、小説だとどうしても視点の問題が出てくるんです。すると全てを俯瞰できる神の視点を使う他なく、完成までは結局、2年がかりでした」
冒頭「燕のいる駅」から最終話「燕のいた、、駅」まで、カメラは日本村四番駅及び、島内の公園や〈カフェ「武蔵」〉、さらに〈葬儀屋〉御一行が葬式あるあるネタ、、、、、、、、の披露に興じる豪華客船へと飛び、どこにでもいそうな人々の、一見どこにでもありそうな1日が、曼陀羅さながらにコラージュされてゆく。
例えば高島や戸村の場合。男はもうこりごりと言いながら、戸村は高島の好物のカレーパンを毎朝せっせと買いに行き、高島は高島で彼女が毎日2つずつ買ってくるそれを、職務の合間に食べるのが楽しみだった。
そんな2人を彼の幼馴染でもある駅員〈ローレンコ三郎〉は微笑ましく見守りつつも、〈どうなってるの?〉と心配せずにいられない。しかし高島の興味は駅舎に巣を作った燕の方にあるらしく、毎日ヒナの成長を見守っては、好物のカレーパンを齧るのだ。
あるいは〈大和公園〉でお気に入りのモーツァルトを聴きながら、某人気文化人の著書『恋愛の正体』を読む〈中本和則〉の場合、園内でお喋りに耽る2人の女性が気になってならない。彼は童顔でグラマーな方に〈可憐おっぱい〉、美人だが冷たい感じの女に〈コールド女ギツネ〉と渾名をつけ妄想を逞しくするが、イヤホンを外した途端、聞こえてきた〈不倫でいいの〉という言葉に、印象は一転。2人を〈アバズレおっぱい〉〈テンダーフォックスちゃん〉に改称する彼だが、さらなる衝撃の事実に襲われるのだ(「妄想と現実」)。
「実は僕も女性をオッパイで見ちゃうところがあって。『この前紫の服を着てたよね』と話しかける時は、大抵、服じゃなくて紫色のオッパイを憶えている、という感じです(笑い)。
好きな女性の元カレのサイズ、、、が気になるあまり、彼女に〈小さいおチンチンが好き〉と言わせる「心変わり」にしても、エピソード1つ1つは喜劇。例えばチェーホフは『三人姉妹』や『ワーニャ伯父さん』を書く前、今のコントに似た寸劇を無数に書いている。でもその笑える話を幾つか並べて俯瞰すると、悲劇にすら思えてくるんです」

喜劇の体を装って人間の有様を描く

それもこれも、人より優位に立たなければ自分を保てない、人間の壊れた本能の仕業だと土田氏は言う。
「どうでもいいことを比べ合ったり、線を引いたりね。もちろんチェーホフの時代から人間はしょうもないんですけど、特にそういう傾向が日本で強くなったのは、GDPが中国に抜かれた頃からだと思うんですよ。
日本は経済大国だという足元がぐらつき、行き場を失くしたコンプレックスが異物排除に向かう。やたら日本を礼賛する番組が増えた頃からイヤな予感はしていましたが、ここまで保守化が、しかも世界規模で進むと、いつ戦争が起きてもおかしくないでしょ?
動物は天敵を嗅ぎ分けるだけだからいいけど、国籍や学歴や容姿といった関係ない尺度まで持ち込んで上下を決めたがる人間のくだらなさが、結局は愚かな差別を生む。築地市場移転問題や籠池問題もそうです。お互い事実はそっちのけで、相手を言い負かすことしか、興味がないんですから!」
するとどうなるか。聞きたい意見だけを聞き、見たいものだけを見る人々は、赤い雲に目もくれぬまま、〈絶滅〉の日を迎える。
本書は設定からして3・11後の世界を思わせるが、土田氏は現実と地続きにある閉じた空気、、、、、をこそ、可視化したかったと言う。
「現実をそのまま描くと、政治的な文脈などに絡め取られてしまい、読み手の立ち位置によって違う判断をされてしまう。それを避けるには、架空の設定にしながら、喜劇の体を装って石を投げるしかない。そうやって人間の愚かしさや有様を描いていたいんです。
本来、危険は避けてこそ動物でしょう? でも原発事故が起きた村は、事故後も植物が生え、普通の人里に見える。目に見えず察知もできない危険なものを、そもそも人類が扱ってはいけないという理性すら失った僕らは、ただただ無意識のうちに死の行進、、、、をしている気がしてならないんです」
その〈行列〉に連なり、戸村の思いにも気づこうとしなかった高島が、最後に少しだけ殻を破るのがせめてもの救いか。が、悲劇はその遅すぎた変化を待ってはくれない。おそらくは著者自身が、愚かでしょうもない人々の営みを心から愛し、笑っていたかった1人なのだろう。

●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光

(週刊ポスト2017年4.28号より)

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