金井美恵子『カストロの尻』幻想的イメージと饒舌な文体で描く愛の世界
野蛮な官能と恍惚が渾然一体となった「愛の世界」。甘美な11の物語。作家の嵐山光三郎が解説します。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
嵐山光三郎
カストロの尻
金井美恵子 著
新潮社
2000円+税
装丁/金井久美子
野蛮な官能と恍惚が渾然一体となった「愛の世界」
鮮やかなルージュの地に金色の活字で『カストロの尻』と刻印された謎めいたメロドラマ。二つのエッセイのあいだに短編小説が挟みこまれ、そのうちの六篇は一九五〇年代の岡上淑子のフォト・コラージュに揺曳されている。コラージュの小説化で、雑誌の写真を切り貼りしたコラージュ技法はブラックやピカソが創始した。
「読みはじめたらやめられない物語」や「小説を書いた者でなくてはわからない小説」などは「私には関係ありません」と言ってはばからない金井美恵子である。
棘のある言葉と幻想的イメージと、饒舌なる文体で構築していく。金井メロディともいうべき長い長い運河が細部の支流に入りこみ、コラージュ化されていく。
第一エッセイ「破船」は句点が三つしかない。「私」はダンス・ホールの換気口からもれてくる“ブルー・ムーン”のメロディを聞きながら、女の子と一緒に見る約束をした映画館へ入り、スクリーンの光と映像機から発する光線のうすぼんやりしたなかで女の子と目をあわせ、「ゴワゴワした紺のサージのひだスカートの脇のスナップを指で外してそっと手を差し込み、つるりとした丸いお尻の湾曲にてのひらをすべらせる」。
小説に挿絵があるように、年若い少女だった岡上淑子のフォト・コラージュが示され、その挿文として物語が触発される。
小説第二話「呼び声、もしくはサンザシ」では、句点がなくえんえんと四ページつづき、五ページ三行目にようやくマルがつく。
読む者が息をつくことを許されない、野蛮な官能と恍惚が渾然一体となった愛の世界。いま流行のライトノベルの対極にある小説である。小説とエッセイのコラージュでもある。
スタンダールの小説『カストロの尼』は、イタリアにあるカストロ修道院の尼エーレナの恋愛譚だが、それを『カストロの尻』と意図的に誤記する悪だくみが読みどころ。
さて「カストロの尻」の正体とは何であるのか。
(週刊ポスト2017.7.7号より)

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