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大竹昭子『間取りと妄想』が連想させる無数のドラマ。著者にインタビュー!

「間取り」好きの著者による、13の間取り図から広がる、妖しくも個性的な物語。その創作の背景を著者にインタビュー。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

間取り好きの著者による13の図面の中で妖しく立ちのぼる13の物語

『間取りと妄想』
間取りと妄想_書影
亜紀書房 1400円+税
装丁/名久井直子 装画原案/大竹昭子
図/たけなみゆうこ

大竹昭子
著者_大竹昭子_01
●おおたけ・あきこ
1950年東京都生まれ。上智大学文学部卒。NY滞在中の79年より写真と執筆を開始。小説家、エッセイスト、写真評論、映画評等幅広く活躍。07年よりトーク&朗読会「カタリココ」主催。東日本大震災直後からは「ことばのポトラック」も毎年開催。小説『随時見学可』『図鑑少年』『ソキョートーキョー』の他、『彼らが写真を手にした切実さを―《日本写真》の50年』『日和下駄とスニーカー』、写真集『ニューヨーク1980』等。161㌢、A型。

人と家が相互に関係し合うように物事の内と外の境界線上に立ち両方を眺めたい

1枚の間取り図がある。それは単純な線の向こうに無数のドラマを予感させ、単なる次元の違いを超えて妙味や可能性を孕む代物だ。
そんな想像力を刺激してやまない間取りが、大竹昭子著『間取りと妄想』には13も登場する。そして物語も13。つまりこれは間取りという平面と人々が生きる空間の、のっぴきならない関係性を巡る小説集なのだ。〈旗竿地はたざおち〉と呼ばれる変形地に建つ、「船の舳先にいるような」の三角の家。年頃の兄弟が個性を育む、何もかもが左右対称な「ふたごの家」。1人の男を女と猫が取り合う「どちらのドアが先?」の、居室よりバルコニーが広い賃貸の一室……。
少々クセのある家々は、そこに住む人々の精神性にすら影響し、果たして人が家を作るのか家が人を作るのか―。それが問題だ!

「元々のアイデアとしては、以前『間取りの手帖』(03年佐藤和歌子著)という本があったでしょ? あの蒐集ぶりに私は共感して、最初は既存の間取りを小説化しようかとも思ったんです。でもいざ探してみると意外とバリエーションがなかったり自分の妄想と一致しなかったりで、自分で一から線を引くことにしたんです。
私自身、間取りは子供のときから大好きで、人の家に呼ばれるのも大好き。集まりそのものや、インテリアへの興味は薄く、あくまで家目当て。どうやら私は家の躯体や骨格を愛でているらしいんです(笑い)」
〈子供のころ、大きくなったら何になりたい? と訊かれると「建築家!」と答えたものである〉〈近所の家の外観を観察しては、その家の中がどうなっているかを想像し、間取り図に描く〉〈三次元のものが二次元の紙に移し替えられていくのは、理屈としては風景を写生するのと同じだったが、そこから受け取る興奮には雲泥の差があった〉
と、最終話「夢に見ました」にある主人公の回想も「ほぼ、私の自伝」という。
「建築家は算数ができないとダメ、と母に言われ、早々に諦めましたけどね。建築はアートと違って実用品だから、トイレのない家を作ったりしたら大変だって。
ここに出てくる間取りも全部実際に建てられるようになっているし、マドリストの方も十分楽しめる本になっているはずです」
例えば6話「カウンターは偉大」の主人公は高校教師をやめ、世界一周の旅に出た〈ミツコ〉。しかし帰国すると実家に居場所はなく、やむなく家を探した彼女は、住居部分と今後開業予定の学習塾に振り分けられそうな、格好の物件と出会う。
生徒募集のチラシを配り、キッチンのカウンター越しに数学を教える自分を思い描く彼女の中では、仄暗い欲望もまた渦巻いていた。
〈十代の男の子を見ると彼女はいとおしくてたまらない。平静を装っていても、一皮むけば性欲さかんな生き物で〉〈エネルギーの溜まりを堰を切って放ってやったら、彼らの体はどんなにかすっきりと軽くなることだろうと、その作業に手を貸してやりたくなるのだ〉
現に教師時代は教え子の幼い欲望に身を任せたこともあったが、酒場の女たちを守るカウンターのように、ここではキッチンのそれが自分を邪な妄想から守ってくれるのだ。

家は身体の延長で脆いものでもある

また視点人物が動く度に移り変わる景色や動線、、の躍動感、、、、が読む者の五感や身体性に訴えかけるのも、写真も撮る著者ならではだ。
「元々私は物事の内と外、、、に興味があって、小説も書くけど評論も書くとか、境界線上に立って両方を眺めたいタイプです。人間の内面と外面は表皮のところで接していて、固定せずに常に揺らいでいる。人が家を作るか、家が人を作るか、たぶん両方ですよね。私は社宅育ちだけど、間取りは同じでも中の雰囲気が全然違うのをおもしろいなと思ったものだし、伊東豊雄さんの初期作品『中野本町の家』のように、夫と死別した姉一家が再起するための避難所として設計され、実際そういう効果を発揮した家もある。内と外は相互に関係し合っているんです。
自我が意識できるものだけが「自分」ではなく、状況が変われば未知の自分と出会うこともある。そういう意味で人間ってあやうい存在だし、そこに人の愛おしさもある。そうした人間の数値化できない不定形であいまいな側面に光を当てるのが文学や写真の仕事なのではないかと思います」
一方で家が人間の野性を刺激する場合もある。1階はデッキ続きのリビング、2階の寝室には三角や丸い窓が穿たれた「四角い窓はない」の家で男女が交わす愛の行為は、海に面した開放感がそうさせるのか、食事のシーンからして肉感的で官能的だ。
「家とはある種、身体の延長で、屋根や壁は人を風雨や寒さから守ってくれる。私たちが失ってしまった動物的な能力や感性を肩代わりしてくれているんでしょうね。だから、ときにはその防御を捨てて開放的な空間でセックスや食事をすると、刺激的なわけです。
でも家は脆いものであるのを、私たちは震災で知ってしまった。だからやっぱり一番頼るべきものは人間の身体なんです。五感を研ぎ澄まして、登場人物たちの体験をなぞりながら、内に眠る感覚を呼び覚ましていただけると嬉しいです」
小説も当然、二次元だが、本書の物語は明らかな空間、、を思わせ、そこに立ちのぼる匂いや音、肌と肌が触れる感触までも感じ取る贅沢な体験は、虚構でありながらおそらくリアルの上をゆく。

●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光

(週刊ポスト2017年7.7号より)

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