『私流に現在を生きる』
嵐山光三郎【作家】
「死」を内なる自然とし次の生命の始まりとする極意
私流に現在を生きる
堀 文子 著
中央公論新社
1200円+税
装丁/中央公論新社デザイン室
「慣れない、群れない、頼らない」ことが堀文子さんの生きかたである。97歳で「現在」を描き続ける日本画家をつき動かす力はどこから来るのか。自在なる生涯を語る自伝は、戦争、辺境への流浪、行くさきざきの国で出あった人々や事件とからみあい、読みだすと息もつかせず、さながら痛快冒険小説のような迫力がある。
これほど度胸がすわった麗人が日本にいる、という奇蹟。堀さんが23歳のとき、日本は真珠湾攻撃によって戦争に突入し、兄と弟をうしなった。東京大空襲で平河町の生家が焼失し、敗戦をむかえた。焼け野原に花の種をまいて咲かせた。以来、草花の命は堀さんが描くテーマになっていく。
パリで暮らし、ニューヨーク黒人街、ユカタン半島のマヤ遺跡で「逆上」して絵を描く。精神が「逆上」したときに描き、対象にのめりこみ、作品は堀さんの血肉や魂を奪っていく。描き終えてしまえば抜け殻となる。
八十二歳のとき、青い罌粟ブルーポピーを求めてヒマラヤへ旅した。カトマンズから北西二百四十キロのドルポ地区を基地として、五千メートル級の山へヘリコプターを飛ばし、渦まく雲のあいだをぬって、断崖のふちの小さな草原へ着地し、酸素マスクをつけて行進した。することが尋常でない。
そして、岩かげに咲く高さ20センチほどの青い花、ブルーポピーを発見して、スケッチした。命がけのスケッチである。写真は撮らない。生き物を拒絶する厳しい環境のなかで、人目を避けるように一株だけ咲いていた。
帰国後アトリエで制作したブルーポピーの絵は大評判となったが二度と描くことはできない。さらに堀さんを「逆上」させる原始の感性にのめりこんでいく。描くことが生きることになる。
97歳になると「死がわたくしの体の中に入ってきた」と感じた。死は同居人のようなもので、内にいる自然であるから、死と親しんで、死と道連れで生きる。「死は終わりでなく次の生命の始まり」とする極意に感服した。
(週刊ポスト2016年1・29号より)

この記事が気に入ったら
「いいね」をしよう!
P+D MAGAZINEの最新記事をお知らせします。
あわせて読みたい記事
-
今日の一冊
尾関高文『ザ・ギース尾関の「娘の絵を完コピ!」おえかきキャラ弁』/見れば笑いがこみあげる、・・・
「こんなお弁当を作って」と4歳の娘が描いたキャラクターを、お笑い芸人の父親が完全再現! 見ているだけで笑いがこみあげる、楽しいエッセイ付き写真集を紹介します!
-
今日の一冊
井上義和『未来の戦死に向き合うためのノート』/戦争体験者が総退場する時代の「戦争」に向かい・・・
目を瞑って祈ればいい、という戦後の「平和」観に疑問を投げかけ、新しい「戦争と平和」論を考えさせる一冊。
-
今日の一冊
『北園克衛モダン小説集 白昼のスカイスクレエパア』
-
今日の一冊
浅生ハルミン『江戸・ザ・マニア』/「おかんアート」美術家の著者が江戸趣味の世界を訪ねる
猫愛好家で「おかんアート」美術家の浅生ハルミン氏が、かわいいイラストレーションつきで江戸の名品を解説する愉快な一冊!
-
今日の一冊
昭和初期の銀座が見えてくる『銀座カフェー興亡史』
昭和初期に隆盛をきわめたカフェーを、銀座を中心に詳述する社会風俗史。当時の銀座を語るのに、必須の文献といえる、読みごたえのある労作です。
-
今日の一冊
『ネット私刑(リンチ)』
-
今日の一冊
加藤義彦『テレビ開放区 幻の『ぎんざNOW!』伝説』/関根勤らを輩出した文化レベルの高い番・・・
関根勤や小堺一機ら有名芸人を数多く輩出し、1970年代に絶大な人気を集めたTBSの生番組『ぎんざNOW!』の舞台裏がわかる一冊!
-
今日の一冊
人事の常識はどう変わるのか?森永卓郎が読む『人工知能×ビッグデータが「人事」を変える』
人工知能、ビックデータの活用によって、変わりゆく人事の常識。コンピュータがあらゆることを判定する時代は近いのか?経済アナリストの森永卓郎による解説を紹介します。
-
今日の一冊
吉田伸之『シリーズ三都 江戸巻』/さまざまな角度から江戸の発展を探る
今日まで江戸・東京の繁栄を支え続けてきた、品川と浅草。なかでも品川は、江戸の近郊地として行楽・遊興の場となった一方で、御仕置場などの負の側面を担う境界地域でもありました。江戸という都市の発展を、さまざまな角度から探る論集!
-
今日の一冊
『マルクス ある十九世紀人の生涯』上・下
-
今日の一冊
橋本 努『消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神』/資本主義の弊害が深刻化しているいま、・・・
コロナ禍で収入が減るなどして、すでに実践している人も多い“ミニマリズム”。このミニマリズムを徹底分析し、無理をして働き続ける暮らしを見直すための、さまざまな情報をまとめた本を紹介します。
-
今日の一冊
中村淳彦『新型コロナと貧困女子』/「夜の街」で働く女性たちのリアルな声
新型コロナウイルスにより、歌舞伎町や池袋などの「夜の街」で働く若い女性たちはどのような影響を受けているのでしょうか。恵まれた親世代が知らない、現在の大学生を取り巻く環境の変化とは? 生きるためにカラダを売る女性たちの困難に寄り添った一冊。
-
今日の一冊
『見果てぬ日本 司馬遼太郎・小津安二郎・小松左京の挑戦』
-
今日の一冊
『家族幻想ー「ひきこもり」から問う 』
-
今日の一冊
スズキナオ『「それから」の大阪』/それでも前を向き続ける――コロナ後の大阪を伝える一冊
コロナ後も、大阪という地にしっかりと足を付けて生きる人々の声を伝える貴重な記録。定型として語られる「コテコテの大阪」ではなく、そこに住む人が日々ふれている「平熱」の大阪が垣間見えます。
-
今日の一冊
関東人が知らないお笑い界事情『私説大阪テレビコメディ史 花登筐と芦屋雁之助』
昭和30年代からテレビ放送に携わり、「てなもんや三度笠」や「新婚さんいらっしゃい!」など数々のヒット作を手掛けた著者が、関西お笑い界の歴史をつまびらかにする一冊。
-
今日の一冊
古矢 旬『シリーズ アメリカ合衆国史(4) グローバル時代のアメリカ 冷戦時代から21世紀・・・
保守政治家の規範から外れたトランプと、連邦上院唯一のアフリカ系議員としてエリートのオバマ。二人のアウトサイダー大統領の共通点とは?
-
今日の一冊
文藝春秋の元編集者が俯瞰する、人気作家たちの全体像/斎藤 禎『文士たちのアメリカ留学 一九・・・
福田恆存、江藤淳、安岡章太郎、大岡昇平……。冷戦期のアメリカに留学した昭和の人気作家たちが、その地で見て、感じたことは何だったのでしょうか。彼らの文学に親しんでいた世代には特に心に響く、貴重な一冊です。
-
今日の一冊
【著者インタビュー】月村了衛『東京輪舞』
田中角栄邸を警備していた警察官・砂田は、やがてロッキード、地下鉄サリンなど、さまざまな事件に関与することになる……。昭和から平成の日本裏面史を壮大なスケールで描いた、月村了衛氏にインタビュー!
-
今日の一冊
マルク・デュガン 著、中島さおり 訳『透明性』/終盤に一度ならぬ“どんでん返し”が待つ、新・・・
舞台は2068年、環境破壊と気候変動により人類が生活できるのは北欧だけとなった世界。グーグルとその関連企業は強い権力をもち、もはや横断的国家のような存在となっていた……。フランス人作家による新たなディストピア小説!