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【著者インタビュー】あさのあつこ『末ながく、お幸せに』

舞台はある結婚式。出席者1人1人のスピーチや胸に秘めた思いを通して、やがて新郎新婦の人となりや、人間関係が浮き彫りになっていく――。感動の結婚式小説、その著者にインタビュー!

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

もらい泣き必至! 参列者たちのスピーチで紡ぐ感動の結婚式小説

『末ながく、お幸せに』

末ながく、お幸せに 書影
小学館 1200円+税
装丁/岡本歌織(next door design)
装画/高杉千明

あさのあつこ

著者_あさのあつこ
●あさの・あつこ 1954年岡山県生まれ。現在も美作在住。青山学院大学文学部卒。小学校講師を経て、91年『ほたる館物語』でデビュー。97年『バッテリー』で野間児童文芸賞、99年『バッテリーⅡ』で日本児童文学者協会賞、05年『バッテリー』全6巻で小学館児童出版文化賞、11年『たまゆら』で島清恋愛文学賞。2男1女は既に家庭も持ち、「今後はどう彼らと対等でいられるかが課題。でもこの歳になると母の気持ちもわかるようになって」。157㌢、A型。

母性を美化しがちな日本人は愛情という名のおぞましいものに自覚的になるべき

なるほど言われてみれば結婚式ほど、本音と建前が交錯する場も珍しい。新郎新婦の職場や学校での顔を、それぞれ断片的に知る人々が集い、人によっては祝辞まで披露するのだから。
「私も息子と娘が3人いますけど、特に娘の時は驚きましたね。へえ、この人、そういう人だったんだって。母親としては娘の知らない一面を発見するのが面白くもあり、虚しくもあって」
あさのあつこ氏の最新刊『末ながく、お幸せに』は出席者1人1人に光をあてた〈結婚式小説〉。食品会社勤務の〈萌恵〉と料理人の〈泰樹〉が結婚を機に小さなレストランを開くことも専ら祝辞によって語られ、本人たちは雛壇で微笑みを返すばかり。スピーチする人もしない人もそれぞれに思いを抱えてこの場に居り、その中には新婦の生みの母と育ての母の姿もあった。
そんな思いと思いが新郎新婦の人となりを浮き彫りにする物語は、まずは新婦友人〈三杉愛弥〉の、正直すぎる告白で幕を開ける。

後に映画化もされた大人気シリーズ『バッテリー』完結から12年。近年は時代小説や性愛小説にも新境地を拓くあさの氏は、「これをイイ結婚のイイ話にだけはしたくなかった」と言う。
「そもそも結婚式に正解なんかないし、厳粛なだけでも心温まるだけでもなく、もっと棘も含んだ生々しい結婚式が、実際は結構あるんじゃないかなって(笑い)。
今回は自分の娘の結婚直後だったこともあり美しいだけの話は書けなかったし、『結婚=幸せなの?』とか『母親に捨てられた子供は不幸なの?』とか、世間で当たり前とされていることを一度ゼロに戻して考えてみるのも、私は小説が持つ1つの意味だと思うので」
〈ごめんね、萌恵。お祝いの場でこんな話をして〉
高校時代の友人・愛弥はこう切り出した。卒業以来疎遠だった2人が偶然再会したあの日、社内でデザイナーを外された自分がどんな失意を抱え、〈わたしのためにウェディングドレス、作ってね〉と言ってくれた萌恵にどれほど救われたか。そんな健やかな萌恵を妬み、罵ったことさえあったのに、ピンチの時はなぜか彼女が目の前に現われたことなど、確かに祝辞とは言いがたい思い出を滔々と語るのだ。
中でも感謝するのは文化祭でのこと。クラスの出し物で〈理想の制服特集〉を企画した愛弥たちは、その場で署名集めをしたことを咎められ、校長室に呼び出された。要は伝統にケチをつけ、政治運動までするとは何事かという理屈だが、平謝りする親の姿を見て今は謝った方が楽になれると屈辱を押し殺した矢先、萌恵が言ったのだ。〈わたしたち、どうして怒られなくちゃいけないんですか〉と。
また、派閥抗争に敗れ、今は閑職にある萌恵の元上司〈橋辺〉は彼女と働いた日々がいかに充実していたかを心の中でスピーチ、、、、、、、、する。母の死後に育てあげた妹が妊娠し、動揺するウェディング・プランナー〈川村久里子〉にしても、萌恵の何気ない一言に背中を押され、次の一歩を踏み出してゆく。

対等でさえあれば人間関係は十分

「何が人を救い、傷つけもするかは理屈じゃないし、人と人の結びつきってつくづく奇妙で繊細だと思う。
特に萌恵の場合は地味で平凡だからこそ相手の本音を引き出すところがあって、それはやはり母親との関係を乗り越えてきたからだと思うんです。3歳で実の母親に捨てられ、その妹に育てられた萌恵を、世間は不幸だというでしょうけど、彼女が2人の母親、、、、、とどんな関係を築くかは、母親でも元娘でもある私自身、最も知りたかったことでした」
〈案外、泣けないものなんだな、人間って〉と、高校の友人〈真人〉と結婚後、別の男と恋に落ちて娘の萌恵を捨てた瑛子あきこは思う。だがその後真人と再婚し、萌恵を育ててきた妹〈良美〉も、萌恵との間に確執を抱え、同性だけに厄介なのが母と娘だった。
「私も自分が実は利己的で、子供たちを縛りつける存在だったんだって、今は思えるんですけどね。でもそんなこと言ってたら、子育てなんかできませんから!
私の亡くなった母も特に晩年は『娘に大事にされる幸福な自分』という図式を強いる人で、母性を美化しがちな日本人はもっと愛情という名のおぞましいものに自覚的になった方がいいと私自身思う。基本的には親子といえども個と個で、処方箋も痛み止めも結局は自分たちで考えるしかなく、萌恵や瑛子や良美がいかに自分たちを1対1の〈対等〉な関係に持ちこめるかを特に後半では描きたかった。たとえ大嫌いでも対等でさえあれば、私は人間関係としては十分だと思うので」
表題はいわゆる常套句ではあるが、そうとしか言いようのない祈りを、著者は感じてならないという。
「8人の語り手はそれぞれの人生の主役でもあって、そんな彼ら全員に幸あれと、祈るような思いでこのタイトルをつけました。幸せの定義自体、曖昧で、永遠に幸せなんてあり得ないからこそ、この常套句を美しいとすら思うんです。
たぶん最初にこの言葉を使った人は、万感の思いで相手を寿ことほいだと思う。でもそれがいつしか消費され、陳腐化したなら、元に戻すのも、小説の役割なので」
地方の平凡で小さな結婚式が唯一無二のドラマ性を孕むのも、彼らが目の前の当たり前、、、、に真摯に向き合うから。例えば母と子の関係を1対1に戻すと、純粋に〈大好き〉な人だったりし、結婚式とはそうした発見に事欠かない、あらゆる人のための再生の儀式でもあるのだ。

●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光

(週刊ポスト 2017年10.6号より)

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