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【著者インタビュー】銀色夏生『こういう旅はもう二度としないだろう』

詩人・銀色夏生が、一般の団体ツアーで旅に出た! 赤の他人と一緒に回り、何かと煩わしいことの多い道程を、詩人ならではの感性で写真と共に綴る旅行記。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

世界の秘境を巡る旅路は振り返れば全てが愛おしい――写真と共に綴るエッセイ

『こういう旅はもう二度としないだろう』
こういう旅はもう二度としないだろう 書影
幻冬舎 1300円+税
装丁/銀色夏生

銀色夏生
著者_銀色夏生1
●ぎんいろ・なつを 宮崎県出身。詩人。85年に第一詩集『黄昏国』でデビュー。以来写真詩集やイラスト詩集を幅広く手がけ、エッセイ集も多数。また作詞に大澤誉志幸『そして僕は途方に暮れる』や、11年NHK全国学校音楽コンクール課題曲『僕が守る』など。最新刊は『まっすぐ前 そして遠くにあるもの』(幻冬舎文庫)。「旅仲間を見つけるのって本当に難しくて、娘とは一度行って懲りました(笑い)」。158㌢、O型。

旅は自分が何を感じ、何が生じたかが大事 好き嫌いはあっても良い悪いはないんです

詩人・銀色夏生が旅に出た。それも一般の団体ツアーに連続で、一人で参加したというから驚きである。
「私は習い事を11個同時に始めたこともあるくらい、思い立ったらとことんやる性分なんです。今回も、子供が手を離れたし旅でもしようかと思い、とりあえずは一年分、目につくツアーを片っ端から予約したのがそもそもの始まりでした」
『こういう旅はもう二度としないだろう』は、そんな旅の道程を綴ったエッセイ集。赤の他人と寝食を共にし、何かと煩わしいことも多いツアー旅を、氏は自ら〈そっけない書き方に驚きました〉とあとがきに書くほど淡々と綴る。良いことも悪いことも評価や是非を挟まず、丸ごと感じとるのが、詩人という人種らしい。

以下ツアー名を並べれば、「ベトナム『世界遺産の街ホイアンに4連泊』」「ニュージーランド『先住民のワイタハ族と火と水のセレモニーを体験するツアー』」「スリランカ『仏教美術をめぐる旅』」「インド『薄紅色に染まる聖域 春のラダックツアー』」など、比較的秘境系が多く、参加人数も5〜30名強と、まちまちだ。
まずは16年1月、〈準備運動的〉に行ったホイアンで、彼女は何かにつけて文句の多い〈酒おじさん〉の隣で〈この人は不平不満が言葉みたいな人だ〉などと思いながら、特に美味でもない食事を口にしたりする。
「最近のツアーは一人客も多いのですが、食事時は隣に座るのが不機嫌なおじさんでもお喋りなおばさんでも気を遣い、部屋に戻ると〈ひとりはいいなあ〉と思ったりしました(笑い)。
ただし食事が不味いこと自体は問題ではないというか、私はそれを不味いと感じた事実、、とか現象、、を書くので、極端な話、面白くなくてもいいんです、私の旅は」
だからこそ特に興味もない仏像巡りや歴史探訪にも参加。〈龍のお世話をするドラゴンケアーテイカー〉なる先住民族の長老を囲む、主宰者も参加者もスピリチュアル系(!)のツアーでも一切壁を作らない銀色氏は、繊細な事情を抱えた人々の感情を吸いこんでクタクタになりながらも、最後にはこんな境地に至る。〈どの人にも、他人とは思えない親しみを感じる〉〈嫌いだと思った人にも、好きだと思った人にも〉〈表面的な好き嫌いの感情は人の本質じゃない。本質は心のずっと奥にあって好き嫌いに左右されない〉〈二度と会うことがなくても、ずっとこの気持ちは変わらないだろう〉

存在しているというだけで素敵

そして〈旅は人生の縮図〉〈この小さなツアー世界にも曼荼羅のように人間関係が描かれていた。その絵はそこだけにしか咲き得ない花なのだ〉〈すべてに感謝〉と書く銀色氏は、ツアーはもうこりごりと言いつつ、次なるツアーにまたも足を向けてしまうのである。
「次はキャンセルしようと思いつつ、結局は行ってしまうんです。行っている渦中では楽しくなくても、後から振り返るといい旅に思えてくるのも不思議で、“文句おじさん”にもそうなった理由があるんだろうなと、つい想像してしまって。
私は昔からそうなんです。例えば普段はクラス内で敵対する同士が、いざクラス対抗の行事になると急に団結するのを見て、そうか、人間は大きな敵が外にできれば内部は味方にもなり、物事は視点一つで変わるんだなって、真理を発見した気分になりました。人間、好き嫌いはあっても良い悪いはないし、全ては状況次第。自分もどう変わるか分からない以上、批判はできないなと、そういう私の物の見方を書いたのがこの旅行記とも言えます」
そうしたゴタゴタに対し、行く先々の自然の素晴らしさは思わず見惚れてしまうほど。それもいわゆる名所旧跡よりは、その土地土地で違う植生や、スリランカの古代都市の〈サルのなる木〉、町で見かけた素朴な少女や土産物を氏のカメラは捉え、それらが本書内ではパッチワークさながらに旅の全容を編み上げる。
「サルのなる木は、木の上にサルが沢山いて、本当に実みたいに見えるんです。料理も写真で見るとみんな美味しそうだし、評価とは関係なく、そこに存在しているというだけで素敵です。
私は人が介在しない景色や珍しい動植物を見るのも好きだけど、好ましい体験だけを求めているわけでもありません。大事なのは自分が何を感じ、出会った人や景色との間に何が生じたかで、どんなに嫌でつまらない旅にも必ず価値があると思うんです。つまり興味があるから行くんじゃなく、行きたくなった先が目的地になる。そして、やっぱり嫌いなままだったり意外なものを好きになったりする点は、それこそ人生に近い。
ただ最近は幸福感が無くなってしまって。若い頃は容れ物、、、が小さいから感情が溢れるのも早かった。今は物事の好き嫌いが境目を失い、何があっても恬淡てんたんとしていられる分、100%嬉しいとか哀しいとかもない。ずっとそうなりたかったという意味では夢は叶いました。それなのに幸せでも不幸でもないなんて、何だか皮肉で淋しい話ですね」
美しいものもそうでないものも、全てはそこにあるという真実を詩人が丸ごと活写する時、私たち読者の見る景色までが音を立てて変わる。おそらく表題にはこんな旅は二度とできないし、誰にもできないという二重三重の意味が含まれ、旅路にあろうとなかろうと人生の一回性を享受するほかない生きとし生ける者への憐れみが、この風変わりな旅行記には横溢していた。

●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光

(週刊ポスト 2018年2.9号より)

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