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【著者インタビュー】小山田浩子『庭』

澄んだ瞳で人や自然の営みをあるがままに見つめる、芥川賞作家・小山田浩子氏にインタビュー。全15編を時系列順に編んだ初の短編集『庭』について訊きました。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

不吉ささえ漂う繊細な描写で読者を非日常に連れ出す芥川賞作家、珠玉の短編集

『庭』
庭 書影
新潮社 1700円+税
装丁/新潮社装幀室

小山田浩子
著者_小山田浩子
●おやまだ・ひろこ 1983年広島生まれ。広島大学文学部卒。会社員や派遣社員を経て、24歳で結婚。夫の勧めで小説を書き始め、2010年「工場」で第42回新潮新人賞を受賞しデビュー。13年に単行本『工場』で第30回織田作之助賞、14年「穴」で第150回芥川賞。現在も広島市在住でカープファン。「今年は本棚に積んである『白鯨』とか『失われた時を求めて』とか、本を読む時間を取ろうと思って。やっぱり読まないと書けないので」。162㌢、B型。

どんな人の生き方も、どんな生き物の在り方も批判する気になれないんです

カメラマンがふと言った。
「ふだん水仕事もするけど、娘さんに触れるからかガサガサもしていない、むにょむにょした手の人でした」
筆者の印象は目だ。広島近郊の海や山に程近い町に住み、家事や子育ての傍ら執筆を続ける芥川賞作家・小山田浩子氏(34)は、その澄んだ瞳で人や自然の営みをあるがままに見つめる。
最新刊『庭』は、「妊娠中に書いた13年の『うらぎゅう』から、そのときの娘が4歳になる今年一月の『家グモ』まで」、全15編を時系列順に編んだ初の短編集。氏はクモや蟻、犬や苔といった身近な動植物の生態に目を凝らす。そしてそのまま視線を隣に移すと、人間たちは噂や迷信を信じたり、人を産む・産まないで分別してみたりしていた。人間とはつくづく面倒でおかしな生き物だ。
それでいて一方的な自然賛美とも一線を画す本書は、人の愚かさもまた多様性の一つに置くような、いのち全般、、、、、の肯定の書でもあった。

10年の初小説「工場」や芥川賞受賞作「穴」でも、その抽象画を思わせる筆力を高く評価された小山田氏。本書は特に短編集とあって、一作一作、より高い精度や凄味すら感じさせる。
「今回はこれまで書いた短編を全部収録する予定だったのですが、2編だけ、カープが出てくる話は熱量が他と違い過ぎると思い、見送りました(笑い)。
各話のテーマがまだらに似ていたりするので、話の並べ方もあえて初出順にしました。
私は書かないと考えられないタイプで、あの時見た虫や犬の話を書こうとか、一つ一つは具体的な経験、、、、、、を書くことが多いです。すると、あれ、犬の話を書いていたのに、夫の実家を訪れるという自分のそのときの体験まで出てきた、みたいなことになるんです」
離婚の報告をしに里帰りした主人公に、村人が〈シンジンは、心持ちぞ〉としきりに勧める「うらぎゅう」なる謎の単語や、別名〈シビトバナ〉の薬効に関する義祖母の昔語り(「彼岸花」)など、本書には多くの言い伝えも登場。それらも、氏は日常の隣に書き置き、、、、、その真偽はともかく、実際にあったこと、、、、、、、、として、日常と同列に扱う。
「彼岸花がお乳にいいとか、母乳を目薬にする話は祖母に聞いた気もするし、先日ある人からは『そういう話は壺井栄も書いていたと思う』とも言われたんです。それなら私も本で読んだかもしれないし、どこかで見聞きした話が記憶違いも含めて自分の一部になることも、私にとってはリアルなんです」
例えば第9話「名犬」だ。例年盆と正月は双方の実家で過ごす夫婦が、この夏は〈私〉が体調を崩したためせめて秋休みは夫の実家で三泊し、渓谷沿いの温泉に両親を誘おうと計画。が、農家を営む義父母は〈収穫せんならん〉と言い張り、やむなく夫と〈さるなし温泉〉を訪れた私は、先客の老女たちの話を聞くともなく聞いていた。〈タダシはどうしよるんな。まだできんかい〉〈できんなあ〉〈ほんでマリは〉〈マリか〉〈子ができとったんだろ〉〈産んだよ〉〈ノジリさんは実の子よりもマリのがかいらしいちゅうて朝に夕に連れて出よった〉〈ほれが父なしの仔犬産みょった。オスメス取り混ぜて六匹〉……。
老女二人の会話に〈ウマンテカ〉という姑の声を重ねて胸を痛めていた私は、それが犬の話だと知って唖然。何でも自慢の名犬を孕まされたノジリさんの鬼気迫る犯人探しは村中の噂らしく、老女たちは〈錠もしとったに孕んだだろ。山の猿でも入りこんで孕ましたんでないかちて〉〈ワイが子供の時分はそういう話も聞いたちてまたどこぞの年寄りが言い出したァん。手に毛のない五本指があるようなものが生まれて人の言葉を喋るぞ悪さをするぞちてえがい脅して〉と笑い合うのだ。
「さすがにこのサルの話は創作ですが、実際あってもおかしくない話ですよね。真偽の微妙な話をまた別の誰かが勘違いして伝えることはよくあるし、論理的な生き方をしようと思っていてもできないのが、人間だよな、とも思います。
私は昔から虫とか雑草をずっといじっているような子供でしたが、だからといって生態や分類を特に突き詰めたいとも思わないんです。むしろその草を食べてみて、げ、苦いと思ったりする経験の方が私には身近で、書きたいことなんです」

わかり合えないことの方が普通

いざ産まれてみればどれも〈かいらしい仔犬〉の血筋を問題にするのも人間なら、幼い娘が嘘をついて初めて、彼女もまた完全にはわかり得ない人間、、なのだと認識する母親もいた(「家グモ」)。
また、クラスの中で孤立する少女が、海を望む女子校に〈海岸線の碑〉を見つけ、用務員の女性から〈元々はここが海の境目〉と教えられる「蟹」も見事。女性は言う。〈思ったら不思議よね。埋めて固めてから、上に学校やら家やら道路やら作って誰のだ彼のだって切り分けて〉〈今も埋め立て工事しよるでしょう〉〈子供のころに大人になったら終わっとるんじゃろう思って、自分が子供産んだころはこの子が大人になったら終わっとるんじゃろう思って、でもまだまだみたいなね、むしろどんどん終わりが遠くなりよるみたいなね〉
道理でその海の跡地には小さな蟹が無数に押し寄せ、人知れず卵を産んだりしていた。そのささやかな営みに気づき、今まで見えていなかったものが視点や認識次第で姿を現わす瞬間は、裏を返せばいかに私たちが何も見ていないか、、、、、、、、を物語る。
「私も集団生活にはずっとなじめないほうでした。でも最初の会社を辞めた時に、なんだ、辞めても貧乏になるだけ、、なのか、と視界がパッと開けた気がしたんです。
人は人とわかり合えないし、虫や草ともわかり合えない、そのどこが不幸なんだろう、娘ともわかり合えない方が普通で、わかりすぎるよりイイことじゃないかって。
今は封建的な空気が部分的に残る過渡期の時代ですが、世代間の常識の違いなどの理由では、若い人たちには不幸になって欲しくないと思います。どんな生き方もあっていいし、どんな生き物の在り方も、批判する気になれないんです」
何気ない虫や草や人々の営みを書く行為自体、その存在を肯定しているともいえ、よくよく見れば豊かで滑稽でとりとめもない庭に自らしゃがみこむような、発見に事欠かない小説集だ。

●構成/橋本紀子
●撮影/三島正

(週刊ポスト 2018年4.20号より)

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