留学中に母国が消えたらどうする?『地球にちりばめられて』
もしも外国へ留学中に、自分の国がなくなってしまったら……。不穏な予言の書でありながら、国籍や言語、民族の縛りから解き放たれる快さをもたらす一冊。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
鴻巣友季子【翻訳家】
地球にちりばめられて
多和田 葉子 著
講談社
1700円+税
装丁/佐々木 暁
母国が消えた後の、国籍や言語の縛りから解かれる快さ
ヨーロッパに留学中、母国がなくなってしまったら? 本書の主人公Hirukoはそうした事態に直面した。彼女の母国とは、紙芝居や寿司文化のある、セックスをほとんどしなくなったというアジアの国。すなわち日本だろう。国はそんなに簡単に消えない? いやいや、国外にいるうちに、母国が解体したり、体制が一変したりし、そのまま滞在先の国で作家になった人たちは少なくない。中国出身のハ・ジン然り、ボスニア出身のアレクサンダル・へモン然り。
本書は、故郷を離れてさまようディアスポラたちの、言語をめぐる物語だ。
Hirukoはスウェーデン、ノルウェー、デンマークと渡り歩き、オーデンセで紙芝居様式の「メルヘンの語り部」として生きている。国を移っても言葉に困らないのは、多言語話者だからではなく、「パンスカ」という人工の普遍語を独自に考案したからなのだ。これは「ピジン語」とは違う。昔の移民はひとつの国の言葉を簡略化して覚えればよかったが、いまの移民はどこに遣られるかわからない。
母国の人間を探すうち、彼女はコペンハーゲンの言語学科生クヌートや、インドから来た比較文化専攻でトランスジェンダーのアカッシュ、文化施設の職員ノラたちと出会う。そして、「ウマミ・フェスティバル」なる日本食の祭典や、テンゾなる寿司職人の存在を知り、引き寄せられていく。
さて、テンゾに寿司を教えたのが、フクイ出身のSusanooという人物。ヒルコとスサノオといえば、島から流された姉と神逐にあった弟である。
興味深いのが、パンスカを話すときのHirukoは活気のある声なのに、世界最強の共通語たる英語を話すときには限りなく頼りない小声になってしまうことだ。だれもが移民になりえるこれからの時代、いよいよマイナー言語の英語への逆襲が始まるのかもしれない。
不穏な予言の書であるのに、国籍や言語や民族の縛りから解かれる快さをもたらす。多和田葉子の小説ならではだ。
(週刊ポスト 2018年6.15号より)

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