鬱から回復する過程を綴る『知性は死なない 平成の鬱をこえて』
鬱病のため離職までした著者が、どのように病気に向き合い、その原因を解析し回復していったかが綴られた本。単なる闘病記にとどまらない、その深い内容とは……。大塚英志が解説します。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
大塚英志【まんが原作者】
知性は死なない 平成の鬱をこえて
與那覇 潤 著
文藝春秋
1500円+税
装丁/石崎健太郎
機能不全の大学や論壇の外で生きていくという決意宣言
鬱病からの回復の過程にある著者のリハビリテーションとして上梓された本書の、「評論」としての主旨の部分、つまり、能力の多様さを共存させ得る社会システムを設計する「共存主義」を現在の保守政治の対抗軸とする、という主張、あるいは、彼が「知性」と呼ぶ、考える能力の立て直しの訴えは理解できる。だが最後まで違和が拭えないのは、鬱になったトリガーとして著者がいた大学での「知性」のあり方に失望したという文脈が、それが「発病」の「原因」ではない、と断り書きしつつ、やはり、拭い去れないからだ。
本書は「大学」という「知性」が溶解した場所で、鬱という形で「知性」を喪失した著者が「知性」そのものの復興を語るもので、著者の病と「知性」の機能不全はやはり比喩的な関係にある。だから「知性」の復興の訴えは、どこまでいっても「わたくしごと」、彼個人の回復の術として響いてしまう。
例えば、著者は江藤淳の自死を「論壇に波紋」と記すが、文学者として死んだというのが当時のぼくの実感だ。些細なことだが、そういう細部に、「大学」や「論壇」への拘泥と私的な喪失感を感じる。今はその喪失に耐え、本書はなるほど、そういう場の外で生きていくという決意宣言なのだろう。しかし、その「外」はどこなのか?
著者は、在野の知として柳田國男が市井の人々を「探求の対象」とした、とこれも自明のように記す。だが柳田はこの国の人々全てが近代を生きるための考える能力を獲得し得るために生きた人で、つまり学ぶ術を「つくろう」とした人だ。研究対象にしたのではない。
厳しい言い方だが、著者の求める「知性」は「知性」的対話の担保され得る場が前提ではないか。
ぼくには「知性」の復興などは、あらゆるくだらない現場での「近代の立て直し」しかあり得ないと思う。だが、政治的主張としてはそう遠くない著者と、どこか具体的な場所ですれ違うことがこの先、あるのか。あればいい。そういう場所で作用する「知性」しか、ぼくは誰に対しても信じない。
(週刊ポスト 2018年6.15号より)

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