戦争文学の名作を残した青年『吉田満 戦艦大和 学徒兵の五十六年』
戦争文学の不朽の名作と名高い『戦艦大和ノ最期』。その著者である、吉田満の無念に満ちた伝記を紹介します。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
平山周吉【雑文家】
吉田満 戦艦大和 学徒兵の五十六年
渡辺 浩平 著
白水社
2400円+税
装丁/唐仁原教久
発売禁止となった『戦艦大和ノ最期』にはなかった「主語」
無名の一青年を、吉川英治と小林秀雄という二文豪が励まして出来た『戦艦大和ノ最期』は戦争文学の名著である。青年は日銀のエリート行員となり、敬虔なクリスチャンとして生きた。本格的な文筆活動を再開するも、わずか数年の時間しか残されていなかった。本書はその「無名の一青年」吉田満の無念に満ちた伝記である。
戦後七十年以上が経過して、「戦中派」はもはや絶滅寸前である。その肉声を親しく聞くことはほとんど不可能になった。吉田の著作を読み、生涯を知ることは「戦中派」をもっともよく知る手がかりであろう。著者の渡辺浩平は、吉田の人柄を偲び、遺された著作を徹底的に読み込むことで、「戦中派」の遺言を聴き取ろうとしている。「戦中派」では漠然としている。吉田満の言葉に従えば、「散華の世代」「死者の身代りの世代」である。粛然とならざるを得ない。
『戦艦大和ノ最期』は占領軍の検閲で発売禁止となったためもあって、八種類のバージョンがある。渡辺は発売禁止の版と独立回復直後の版を慎重に読み比べて、吉田の思いを探っていく。本書の読みどころのひとつだ。吉田の執筆再開のきっかけを作った評論家・江藤淳の説も参照しながら、寡黙な文語体の背後を想像する。
戦艦大和は米軍の攻撃を左側に集中して受け、浸水する。回復には数百人の機械科員を犠牲にする「注水」の措置が必要である。注水指示が能村次郎副長から出る。指示の伝達は死刑執行に近い。躊躇する中で、一人が「急ゲ」と電話を督促した。最初の版では主語はない。後の版で「ワレ」と主語が加筆された。渡辺はこれに気づいて、沈没した大和から生還した吉田の再度の特攻志願、戦後の入信に思いを馳せる。二つの版の間には吉田の結婚があった。結婚によって、吉田は死者たちの「愛恋ノ焔」の加筆にも力を注いだのではとも、渡辺は思い至る。
吉田は大和と運命を共にした『提督伊藤整一の生涯』を書下ろした後、生き残った水兵たちの本を準備中だった。無念は深い。
(週刊ポスト 2018年6.22号より)

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