フランス文学者が描く絶品の「肖像」『こないだ』
フランス文学のジャンル「肖像(ポルトレ)」の名手が、過去に同じ時間を過ごした人びとについて書き綴った名作。評論家の坪内祐三が解説します。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
坪内祐三【評論家】
こないだ
山田 稔 著
編集工房ノア
2000円+税
装丁/森本良成
同人誌の仲間や年来の友たちを描く、絶品の「肖像」
大隠は市に隠る(本当の隠者は町の中にいる)という言葉がある。
そして、かつて、もう四十年以上前、西の富士正晴、東の花田清輝と言われたことがある。それをもじって言えば、今や、西の山田稔、東の小沢信男である。
もっとも、富士と花田はかなりのクセ球で知られたが(私のようなファンにはそのクセ球がこたえられなかった)、山田と小沢は抜群のコントロールをほこる投手と言える。
フランス文学のジャンルに肖像(私はこの言葉を桑原武夫から教えられた)がある。桑原同様京大系の優れたフランス文学者である山田稔はポルトレの名手だ。
描かれるのは同人誌「VIKING」の人びとや「日本小説を読む会」の仲間たち。
まさに絶品と言えるのは「年来の友杉本秀太郎」を追悼した「『どくだみの花』のことなど」。
杉本のエッセイ「どくだみの花」を話題にしながら山田稔はこう書く。「杉本の文章にしてはめずらしく飾り、とくに比喩がほとんどない。私がこの一篇をとくに好むのは、その簡潔さゆえでもある」。
「年来の友」だからこその少し辛口の名文だと思う。
個人的に印象に残ったのは多田謡子のことを語った「ある祝電」だ。多田謡子は山田稔と親しかった仏文学者多田道太郎の一人娘で、人権派の弁護士として活躍したが、働きすぎと不幸な結婚生活によって夭折した。
彼女が結婚式をあげた時、山田稔はパリにいた。その時に打電した電報のメモが見つかった。それにはこうあった。「人生はいつもバラ色ではないけれど、それでもやはり美しく、おもしろい。おめでとう」。不幸な結婚生活を知った後で、「人生はいつもバラ色ではないけれど」というフレーズが気になった。山田稔はこう書く。「いつもバラ色ではなかったけれど、楽しいこともたくさんあった、バラ色のこともあったのだと信じたい。二十九年の短い生涯であったればこそ、生の美しさもまたいちだんと鮮烈であった。そう思うことで自らを慰めるより仕方がない」。
(週刊ポスト 2018年7.6号より)

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