森鴎外の娘が綴るエッセイ『父と私 恋愛のようなもの』
「とにかくパッパ大好き」と書く、“父親っ子”だった森茉莉のエッセイ作品集。父親という異性から愛され、肯定されることは、娘にとってはその後の人生を生きていく“折れない杖”になるのです。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
香山リカ【精神科医】
父と私 恋愛のようなもの
森 茉莉著
ちくま文庫
800円+税
装丁/名久井直子
娘に〝折れない杖〟を贈ることができるのは父親だけ
娘を持つ男性にはとくに読んでもらいたい文庫が出た。著者は、作家や辛口エッセイストとして名高いが、それよりもここではやはり「森鷗外の娘」と言いたい。本書は、たいへんな“父親っ子”だった森茉莉の、父親への思慕をつづったエッセイを集めた作品集だ。どのページにも「とにかくパッパ(茉莉は父親をこう呼んでいた)大好き」としか書かれていない。また鷗外も茉莉を溺愛し、膝の上に乗せて「お茉莉は上等、上等」と言って聞かせて育てたようだ。
相思相愛ですごした父娘だが、茉莉は17歳になる頃に結婚して、夫のいるフランスに赴き、ハタチにもならぬうちに異国で父親の訃報を受け取る。その後、2度の離婚を経て、茉莉はもう父親のいない実家で母や妹たちと暮らすことになる。父への思慕はつのるばかり。そしてついには、「私にとって父親は、恋人以外の何ものでもない」と言い切るほどになったのだ。
私は「娘を持つ父親に読んでほしい」と言ったが、何も森鷗外のように娘にとっての唯一無二の恋人になるべき、という意味ではない。ただ、手放しで父親というおとなの異性から肯定されることが、娘にとってはその後の人生を生きていく“折れない杖”になると知ってほしいのだ。
いつだったかある評論家の文章で、「社会的に成功している女性には、多かれ少なかれ父親から愛された人が多い」と読んだことがある。これも同じで、厳しいビジネスの世界などで生きていく女性が心折れないためには、幼い頃、父親から「上等、上等」とほめられた経験が必要なのかもしれない。
「ああ、ウチの娘はもう大きくなってるから手遅れだ」と言わないでほしい。たまには食事にでも誘い、「キミは昔からお父さんの自慢の娘だったんだよ」と言ってみてはいかがだろう。娘は「やめてよ、キモい」と言いながらも、悪い気はしないはずだ。鷗外のようにカッコよく生きてなくても、だいじょうぶ。娘に“折れない杖”を贈ることができるのは、パッパであるあなただけなのだ。
(週刊ポスト 2018年7.13号より)

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