旧大日本帝国は、なぜ開戦したのか?『経済学者たちの日米開戦――秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』
日本の国力は、とうていアメリカにはおよばない。経済学者たちも、軍も、それを知りながら、なぜ旧大日本帝国は開戦へと突き進んでいったのか? その謎に迫る刺激的な一冊を紹介します。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
井上章一【国際日本文化研究センター教授】
経済学者たちの日米開戦――秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く
牧野邦昭 著
新潮社 1300円+税
装丁/新潮社装幀室
国力がおよばないと知りつつ戦端をひらいた過程を分析
旧大日本帝国は、一九四一年の一二月八日に、対米戦争をはじめている。今、ふりかえれば、勝つ見込みのない無謀な決断だったなと、誰しも思うだろう。いや、じつは当時の陸海軍首脳部だって、そのぐらいのことなら見きわめていた。勝利はおろか、戦線の維持さえ困難になることを、たたかう前から了解していたのである。
アメリカとやりあって、日本は勝てるのか。そんな検討は、開戦前から、いろいろこころみられている。そして、多くの報告は、それがむずかしいことを、軍部の中枢につたえていた。この本がとりあげたいわゆる秋丸機関のレポートも、否定的な見解をしめしている。いくつもの経済指標を例示して、敵のほうがはるかに強大であることをうったえていた。
そんな秋丸機関の報告書を、軍はにぎりつぶしたとする通説がある。これは、日本の不利をあきらかにして、軍の足をひっぱる報告である。世の表へだすわけにはいかない。そうみなし、闇から闇へほうむったと、しばしば語られる。そして、さしたる根拠もなく、後世はこの通説を、さもありなんとうけいれてきた。
だが、秋丸機関につどった経済学者たちも、沈黙をしいられたわけではない。日本の国力が圧倒的におとることを、何度となく当時の総合雑誌でのべている。機関の報告書に書いたようなことを、公表してもいた。また、軍もそれを、とくにとがめてはいない。
その点に気づいた著者は、軍による焚書という通説をうたがいだす。そして、つきとめた。秋丸機関の研究者には、弾圧をこうむった者もいる。しかし、それも我彼の経済格差をあばきたてたからではない。左翼的な前歴が一部であやしまれ、軍としても対処せざるをえなかったせいだ、と。
日本の国力は、とうていアメリカにおよばない。軍はそれを知悉し、また有識者の多くも気づいていることを知りつつ、戦端をひらいていた。いわば窮鼠が猫をかんだのだが、その過程も分析されており、読後感はたいへんせつない。
(週刊ポスト 2018年8.10号より)

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