人は誰でも「物語」を持っている『こころ傷んでたえがたき日に』
コラム・ノンフィクション作家、上原隆が八年半にわたって月刊誌に連載していた無名人インタビューのなかから、二十二本を厳選して収録。それぞれの人生の物語を詰めこんだ、感動の一冊です。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
関川夏央【作家】
こころ傷んでたえがたき日に
上原 隆 著
幻冬舎 1600円+税
装丁/鈴木成一デザイン室
装画/亀田伊都子
老いがもたらす「情けない物語の説得力」と「静かな悲しみ」
初秋の井の頭公園の午後遅く、ベンチに五十代の女性が一人で座っている。「懐かしくて三十年ぶりに来た」のだという。
遠い昔、公園の木蔭でテナーサックスを練習する五歳上の青年と知りあった。一年弱つきあって、別れた。彼女は大学の同級生と結婚した。しかし連れ合いは去年がんで亡くなった。娘が二人。
「大丈夫、寂しくないの。友だちもいるし」
桜の葉が散る。池で鯉がはねる。
今日はこれからジャズ・コンサートに行く、と彼女はいった。
誰のコンサート? 尋ねるとチケットを見せてくれた。「本多俊之と吹奏楽団コンサート」
え? と聞き手は思う。昔つきあった彼って……?
「彼女はにこっと笑って、首を横に振った」
――人は誰でも「物語」を持っている。
上原隆は月刊誌に八年半で百回、無名人インタビューを連載した。そのうち二十二本を選んだ。
物語ってくれる相手をどうやって探すか。二十年以上前、『友がみな我よりえらく見える日は』という本を出した。同趣旨の名著だ。その本の末尾にメールアドレスを掲げた。いまでもそこに見知らぬ人が連絡してくる。
ほかにも手立てはあるが、どうしても見つからないときは、路上生活者のための炊き出しに行ったり、街で話しかけてみたりする。公園の女性もその一人だが、上原隆には、相手に警戒されない、なんとなく話してみたくなる、という人柄の才能がある。そうしてみなさん、結構多難かつ悲惨な人生の物語を、明るく語られる。
旧作と較べても迫ってくるのは、書き手の技術の向上だけではない。話す普通の人々も、聞く著者も、みなやむを得ず加齢したということだ。そのあらがいがたい事実が、このインタビューに「情けない物語の説得力」と「静かな悲しみ」を加える。橋の下を多くの水が流れ去った。橋の上にたたずむ私たちは、日暮れの鐘を聞きながら日々に老いてゆく。
(週刊ポスト 2018年10.12/19号より)

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