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「政治少年死す」を収録『大江健三郎全小説3』

1961年に雑誌で発表されて以来、57年間一度も書籍化されていなかった『政治少年死す』を収録。大江健三郎の初期短篇集について、大塚英志が語ります。

【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
大塚英志【まんが原作者】

大江健三郎全小説3
大江健三郎全小説3 書影
大江健三郎 著
講談社
5000円+税
装丁/鈴木成一デザイン室

初出後57年の単行本収録でも「静か」なのは何故か

『政治少年死す』が収録されたにも拘わらず世間の本書への反応は静かだ。いわゆる「保守」論壇が大騒ぎするのかと思ったがほぼ黙殺に等しい。webで全文が海賊版で読める状態だったとはいえ『政治少年死す』が雑誌初出後、初めて単行本に収録されたにも拘わらず、である。何故なのか。その静けさは、改元を控えながら立案されたサマータイムが天皇の権能である時の管理権に手を出したように見えたり、膝を折って被災者に耳を傾けるふるまいも含め、安倍晋三は意図して天皇を装っていると、怒る旧派の右翼もいないことと重なり合う。『シン・ゴジラ』が皇居の前で凍結し、皇居に向けて世界中から核ミサイルを突きつけられて日本が生きていくという結末が物議を醸し出さなかったのも、そもそもあの映画の世界観が「天皇のいない日本」だからとどこかに書いた記憶がある。この無反応さはだから天皇の不在とまで行かなくても極端な希薄化の反映だ。『政治少年死す』の封印が解かれた時、そこにあるのはもはや天皇でなく、サッカーや外国人の日本スゴイでひどく単純に高揚される「日本」なのだから文学と軋轢を起こしようもない。そもそも大江を含め戦後文学が天皇を問題としたのはそれが差別のヒエラルキーの頂点と見なされもしたからだが、天皇が希薄化する替わりに、天皇ではなくヘイトによってこの国は根拠付けられている。
今思えば『セヴンティーン』とその続篇は、大江が右翼少年の感情に強引に共振しようとしていた。同時期に皇太子成婚の車列に投石した少年の姿に三島由紀夫は共鳴する一文を残し、実は天皇と一番縁遠かった石原慎太郎の前に投石少年が現われ、石原はたじろぎつつそのことばを書き留めた。そうやって「文学」がテロ少年たちの政治的対話を世間に仲介することも今やなく、考えてみればヘイトデモはあっても文学青年の代わりにヘイト青年がいて、何より「テロ少年」がこの国にはもういないのだ。逆説的に記すが、それはひどく不健全な社会ではないか。

(週刊ポスト 2018年11.2号より)

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