そのとき「最善の選択」をするために『医療現場の行動経済学 すれ違う医者と患者』
がん治療や延命治療などの場で、重要な決定を迫られたとき……あなたは「最善の選択」ができますか? 私たちの選択を縛る、合理的でないさまざまな〝考えのクセ〟を解説した、もしものときのためのガイドブック。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
香山リカ【精神科医】
医療現場の行動経済学 すれ違う医者と患者
大竹文雄・平井啓編著
東洋経済新報社
2400円+税
装丁/橋爪朋世
私たちの選択を縛る合理的ではない〝考えのクセ〟とは
タイトルから「病院経営の話かな」と思うかもしれないが、これは「行動経済学」という新しい学問を使いながら、私たちががん治療や延命治療など医療の場で重要な決定を迫られた際の意思決定について解説された良書である。
もちろん、誰もが「最善の選択」をしたいと思うはずだが、実際にはなかなかそうなっていない。医者である私も、診察室で「あなたはこういう病気で、クスリが必要です」と丁寧に説明をした後で、患者さんに「やっぱり通院はやめて霊能者に除霊してもらいます」などと言われ、「どうして?」と残念に思うことも実は少なくない。
行動経済学は、人間が意思決定をするときに、合理的ではない“クセ”が働くことを明らかにしてきた。たとえば、がんの末期の患者が「抗がん剤をやめて残された時間を大切にしませんか」と医者に言われても、「1%でも可能性があるなら続けてください」と主張する。これは、「ここまでの努力を捨てるのはイヤだ」というサンクコスト・バイアス、損失が大きくなっている局面では小さい確率に賭ける方向で振る舞いがちというリスク愛好行動などにより説明できる。ほかにも医療の場で私たちの選択を縛っているさまざまな“考えのクセ”が具体的なケースとともに解説されており、「もしも」のときのためのガイドブックになるだろう。
また、個人的に興味深かったのは、「女性医師に担当された方が男性医師より死亡率が低い」という研究が紹介されていたことだ。「女性医師の方がガイドラインに沿った治療を行い、より患者中心の医療を提供しているから」という行動特性がその理由としてあげられていたが、最近、日本では女子受験生差別の問題から女医をめぐる議論が活発となり、ある週刊誌は堂々と「女性医師の手術はいやだ」という見出しの特集を組んだ。しかし、実際には担当が女医だったときの方が、命が助かる可能性が上がるかもしれないのだ。
誰にとってもひとごとではない医療の話がいっぱいだ。
(週刊ポスト 2018年11.16号より)

この記事が気に入ったら
「いいね」をしよう!
P+D MAGAZINEの最新記事をお知らせします。
あわせて読みたい記事
-
今日の一冊
渡辺裕『感性文化論〈終わり〉と〈はじまり〉の戦後昭和史』斬新な視座で見つめ直す戦後昭和史
「やらせ」に違和感を抱く現代人の感受性は、いつどのように形成されたのか。人のものの見方や価値観について、感性の変容を解き明かします。井上章一が解説。
-
今日の一冊
【「2020年」が明らかにしたものとは何か】岡田暁生『音楽の危機 《第九》が歌えなくなった・・・
誰もが変化と向き合った激動の1年を振り返るスペシャル書評。第5作目は、コロナ禍によって多くの演奏の機会を奪われた「音楽」の価値を問い直す一冊。国際日本文化研究センター所長の井上章一が解説します。
-
今日の一冊
鷹木恵子著『チュニジア革命と民主化人類学的プロセス・ドキュメンテーションの試み』が届ける生・・・
「アラブの春」が始まった地であり、唯一民主化を成し遂げたチュニジア。しかし現在でも経済や治安面での課題を抱えています。ジャスミン革命から現在までの民主化移行へ向けた歩みを、文化人類学的手法を用いて捉えようとする一冊を、山内昌之が解説します。
-
今日の一冊
奇想天外な冒険小説『バベル九朔』は万城目学デビュー10周年を飾る新作!
10周年を迎え、さらなる磨きがかかる「万城目ワールド」!青春エンタメ小説として楽しめる一冊の魅力を著者に訊きました!
-
今日の一冊
大村大次郎著『最強の国家権力・国税庁あなたは監視されている』が明らかにする内幕!森永卓郎が・・・
最強の官庁といわれる国税庁。実際にはどういう組織なのか?OBの著者が、しがらみにとらわれず、その表と裏を描く一作。経済アナリストの森永卓郎が紹介します。
-
今日の一冊
中国で1500年以上にわたって書かれつづけた、シュールな怪異譚集/井波律子『中国奇想小説集・・・
冥土の役人に袖の下を渡すため「金の腕輪をつけてくれ」と遺体が起きあがる……。書生が若い女を口から吐き出し、さらにその女が若い愛人を吐き出す……。シュールで奇想天外な、中国古代の怪異譚集!
-
今日の一冊
伊藤慎吾『南方熊楠と日本文学』/この国の黎明期に南方はどう「日本文学」を言及していたのか
柳田國男や折口信夫など、日本の黎明期の民俗学者たちの活動領域は文学と重複していました。南方熊楠に関しては、文学と結び付けて論じられることは少なかったといいますが……。
-
今日の一冊
【著者インタビュー】中村理聖『若葉の宿』
京都の老舗旅館で新米の仲居として修行を積む、若葉。祖父母が細々と営む町家旅館にも時代の波が押し寄せて…。小説すばる新人賞受賞第一作の、創作の背景を著者にインタビュー!
-
今日の一冊
山田詠美『ファースト クラッシュ』/三姉妹をトリコにした「みなしご」の少年
裕福な高見澤家の三姉妹のもとに、突然あらわれた「みなしご」の少年。魔物のような魅力をもつ彼に、みな心を奪われていく――。三姉妹の自我と情熱と欠落が事件をまきおこす、ハードボイルド・ロマン。
-
今日の一冊
【著者インタビュー】桜木紫乃 『緋の河』/「女になりかけ」と綽名された少年の、美しい人生
昭和17年、昔気質な父と辛抱強い母の間に生まれたヒデ坊こと秀男は、無骨な兄よりも姉と遊ぶのが好きで、きれいな女の人になりたかった――カルーセル麻紀氏をモデルとして描く、壮麗なエンターテインメント小説!
-
今日の一冊
末井昭『結婚』が描く、「一番身近な他人」との関係
男と女の、「結婚」をめぐる生き方。それをありのままに、自身の体験をもとに語った一冊。その創作の背景を、著者にインタビューします。
-
今日の一冊
阿川佐和子著『強父論』で著者が振り返る父との日々。関川夏央が解説!
破天荒な生き方を全うした父が、阿川佐和子を泣かせた34の言葉。怖くて強い父親ぶりが存分に描かれた一冊を、作家の関川夏央が解説します。
-
今日の一冊
新鮮な奇想づくしの短篇集/正岡容『月夜に傘をさした話 正岡容単行本未収録作品集』
大衆芸能に通じ、江戸・開花期明治をモダニズムに結びつける作家・正岡容の単行本未収録小説・随筆を集めた一冊を紹介します。
-
今日の一冊
出久根達郎著『謎の女 幽蘭 古本屋「芳雅堂」の探索帳より 』を坪内祐三が読む!
謎の女・本荘幽蘭。それを調べる女子大生や資料を集める古本屋…。大きなスケールで描かれる作者得意の著作を、評論家・坪内祐三が紹介します!
-
今日の一冊
【著者インタビュー】鶴谷香央理『don’t like this』
ソーシャルゲームのキャラクターデザインをしている主人公は、筋金入りのインドア派女子。ふとしたきっかけではじめた釣りを通して、少しずつ日常が変わっていく……。優しく独特な魅力のある世界を描く、著者にインタビュー!
-
今日の一冊
【著者インタビュー】山崎ナオコーラ『偽姉妹』
叶姉妹と阿佐ヶ谷姉妹に着想を得て書かれた、明るく型破りなストーリー。まったく新しい、現代の家族の作り方を標榜する著者にインタビュー!
-
今日の一冊
【著者インタビュー】三砂ちづる『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』/献身できる人がいるの・・・
不倫から介護・看取りまで、さまざまなことを優しい言葉で綴る一冊。人に何かしてもらうのを期待するよりも、できることを人にやってあげる方が幸せになれると著者は語ります。
-
今日の一冊
江戸と明治の狭間を描く旅日記『福島の絹商人、文明開化と出会う 明治六年の旅日記』
明治6年、福島のひとりの商家の若旦那がお伊勢参りの旅に出ます。そこで目にしたものは、江戸時代の色を残しつつ、文明開化に賑わう江戸時代と明治時代の端境期にある日本の姿でした。
-
今日の一冊
忘れてはいけない「平成」の記憶(6)/東北学院大学 震災の記録プロジェクト 金菱清(ゼミナ・・・
平成日本に生きた者として、忘れてはならない出来事を振り返る特別企画。
未曽有の大震災のあと、幽霊を乗せて走ったというタクシー運転手の事例がいくつもありました。生者の思い込みだと否定することは容易ですが、死者の霊を信じ、いまも彼らと共にあろうとする遺族の思いは敬虔であると、川本三郎は説きます。 -
今日の一冊
内田洋子著『ボローニャの吐息』はイタリアの美を語る珠玉のエッセイ。川本三郎が解説!
イタリアの日常を彩る「美を」巡る15の物語。在イタリア30年あまりの著者が描く最新のエッセイ集を、川本三郎が解説します。