忘れてはいけない「平成」の記憶(14)/浦田憲治『未完の平成文学史 文芸記者が見た文壇30年』
平成日本に生きた者として、忘れてはならない出来事を振り返る特別企画。
ラストは、評論家・坪内祐三が選ぶ、平成文学史にまつわる一冊を紹介します。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け! 新年スペシャル】
坪内祐三【評論家】
未完の平成文学史 文芸記者が見た文壇30年
浦田憲治 著
早川書房
2800円+税
【平成文学史】中上健次が谷崎賞を逃して決定的に変わった
私の頭の中で明治文学史は描ける。大正文学史も描ける。昭和文学史も……と言いたい所だが、描けるのは昭和五十五年(一九八〇年)まで。
それ以降となると混沌としてくる。
まして平成文学史は。
平成のすべてを私は同時代体験し、文筆業を始めて、まして最初の頃の肩書きは「文芸評論家」であったりしたのに。平成文学史をうまくつかみきれない。
一九八〇年以降とはポストモダンの時代だ。つまり価値相対化の時代。基本となる軸が消失してしまった時代。
平成がもう終わりつつあるのに、平成文学史は見当らない。
いや、実は一冊だけあるのだ。
浦田憲治の『未完の平成文学史』(早川書房)だ。「未完の」とあるのはこの本が刊行されたのが平成二十七年(二〇一五年)だからだが、この三年間で新しい文学の流れは生まれていない。
サブタイトルに「文芸記者が見た文壇30年」とあるように著者は日本経済新聞の元文芸記者だが、新聞記事をまとめたものではなく、取材メモを元に書き下ろされたものだ。
文章も読みやすく、すっと全体像がつかめる。
なるほどと思わせた考察が幾つもある。
例えば第三章「中上健次の死と文壇の崩壊」。
中上健次は生涯、谷崎潤一郎賞にこだわっていた。
それは単に賞がほしいといったレベルのものではなかった。著者はこう分析する。「中上は文壇の保守的な体質を批判しながらも、文壇を猛烈に愛した心底からの文壇人だったのである。だから文壇の勲章ともいえる谷崎賞を受賞できないことは屈辱だった」。
その谷崎賞を中上よりも若く、しかも非文壇的な村上春樹が『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で受賞する。その時、中上健次は、「ひどく気分を害していた」と著者は回想する。つまりこの時日本文学は決定的に変ったのだ。
(週刊ポスト 2019.1.4 年末年始スーパーゴージャス合併号より)

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