柄谷行人『世界史の実験』/哲学者が読み解く、柳田國男
哲学者であり、文学者でもある著者が繰り広げる柳田國男論。柳田の中に明確な「内的な体系」を見て、柳田学を世界史に対する「実験の史学」と評価しています。しかしこの本の選者・大塚英志が一番興味深いと語るのは……。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
大塚英志【まんが原作者】
世界史の実験
柄谷行人 著
岩波新書
780円+税
未完の運動への無念を語った柳田國男と著者の「憲法論」
柄谷行人と昔、一度だけ対談したことがある。その時、彼が昔書いた柳田論の話を僕が持ち出しても、さして関心がない様子で、当時、僕がやっていたプライベートな雑誌での復刻は好きにやっていいと許してくれた。しかし、数年前、その『柳田國男試論』を突然復刊、『遊動論―柳田國男と山人』、アンソロジー『「小さきもの」の思想』の編集、そして本書『世界史の実験』は、『世界史の構造』の続編の如きタイトルでありながら丸々一冊柳田國男論である。柄谷が中上健次以外で一体、これほど拘泥した「文学者」はいないのではないか。
吉本隆明が柳田を「無方法の方法」と呼び、柳田の学問への批判は方法論の欠如というのが定番だった。しかし柄谷は柳田の中に明確な「内的な体系」を見る。それは柳田の「理系の弟子」としての千葉徳爾を介して柳田の学問に触れてきた僕にとって、自明のことであったので、柄谷の主張に同意する。柳田学を世界史に対する「実験の史学」と柄谷は評価する。
しかし同時に僕が柄谷の柳田論にやや困惑するのは、「固有信仰」への柄谷の傾斜だ。僕と千葉の柳田論には、柳田の「固有信仰」に関する理解が不在だと批判されたことさえあるが、柳田という人は自身のロマン主義を唯物論的に起克しようとして迷走してきた人だ。それは、僕と、とうに故人の僕の師の共通の柳田論だ。「固有信仰」論は柳田の中で繰り返されるロマン主義的揺り戻しである。山人論も同様だ。しかし、そこから人類史を読みとってしまう柄谷はやはり「文学」の人だと思う。
僕は柳田の学問を主権者教育の社会運動(公民の民俗学)として評価するから、「固有信仰」論的思考は「文学」の問題でしかない。恐らく、柄谷は柳田の中から「運動」は読みとりたくないのだと思うが、憲法の「意識」化(いわば「固有信仰」化)を語る柄谷と、死の間際「憲法の芽をはやさねば」と呻くように未完の運動への無念を語った柳田の「憲法」論の違いが、本書とは別に今一番興味深くもある。
(週刊ポスト 2019年4.19号より)

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