山田稔『山田稔自選集I』/90歳を迎えるフランス文学者の上質な散文集
言葉や人の生と死などを淡々と語る随筆をあつめた一冊。その文章には、もうじき九十歳になるフランス文学者である著者の、老いの悠然枯淡があります。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
川本三郎【評論家】
山田稔自選集I
山田稔 著
編集工房ノア
2300円+税
装丁/森本良成
90歳を迎える仏文学者が綴る文章にある「老いの悠然枯淡」
随筆は若い人のものより、年長者のものがいい。落着きがあるし年季が入った知識がある。フランス文学者の著者は、昭和五年生まれ。もうじき九十歳になる。
老いの悠然枯淡がある。品のいい笑いがある。
何よりもまず本の話題が多いので読ませる。随筆の基本は読書にある。渋い作家が次々に登場するのが好ましい。
志賀直哉の弟子で、一人暮らしを続けながら地味な私小説を書き続けた網野菊。少女を愛した結城信一。さらに飄逸な作風がいまも愛されている木山
本を手がかりに、言葉について、人の生と死について淡々と語ってゆく。木山捷平を評して「(その作品には)現実相手にかくれんぼをしている詩人の、稚気にみちた色気とユーモアがただよう。彼にとってかくれんぼの相手は早くから『死』であった」とはうまい。
亡きフランス文学者の河盛好蔵は自らの文芸随筆を「コーズリー(文芸閑談)」と評した。評論のように堅苦しいものではない。軽妙に文学を語る。それには実は深い知識がなければならない。山田氏の文章も「コーズリー」の味。
詩人についての文章も多い。京都の笛師で詩人、福田泰彦の、癌で逝った奥さんを詠んだ詩「嘘」が紹介されている。
末期癌だったのに「もうすぐ良くなる」と嘘を言い続けた。いま「日に一度
いい随筆には必ずいい引用がある。氏は映画好き。往年の二枚目、岡田時彦を評して「ドラキュラ役にふさわしい」とは唸る。
氏はまた酒好きでもある。これについてもいい話がある。大学時代に英語を習った深瀬基寛は酒好きだった。七十歳で持病の肺結核が悪化した。その日の夕刻、ウイスキーをグラス一杯飲み、夜、眠るように逝ったという。
(週刊ポスト 2019年9.20/27号より)

この記事が気に入ったら
「いいね」をしよう!
P+D MAGAZINEの最新記事をお知らせします。
あわせて読みたい記事
-
今日の一冊
濵田研吾『俳優と戦争と活字と』/映画演劇の役者たちが経験した戦争の思い出
三船敏郎、高橋とよ、宮口精二など、昭和の役者たちが経験した戦争の思い出を蒐集した一冊。「反戦平和」を謳う口当たりのよい戦争体験本とは、一線を画す名著です。
-
今日の一冊
クリストフ・マルケ著『大津絵 民衆的諷刺の世界』が明らかにする魅力の全貌!池内紀が解説!
江戸時代に、東海道の土産物として流行した庶民の絵画、大津絵。奇想天外な世界を自由に描くその伝統は、いかに人気を博し、そして消えてしまったのか。ピカソをも魅了したその全貌がよみがえる一冊を、池内紀が解説します。
-
今日の一冊
【著者インタビュー】林 真理子『愉楽にて』
“素性正しい大金持ち”の生態と官能美を描き、今までにない大人の長篇恋愛小説を仕立てた林真理子氏。日経朝刊連載時から大きな話題を呼んだ本作で、男性読者も増えたそうです。
-
今日の一冊
【著者インタビュー】川村元気『百花』/大ヒット映画『君の名は。』のプロデューサーが贈る、認・・・
プロデューサーとして数々の大ヒット映画を世に送り出し、『世界から猫が消えたなら』など小説でも才能を発揮する川村元気氏。四作目にあたる長編小説『百花』について、お話を伺いました。
-
今日の一冊
山口謠司著の『日本語を作った男上田万年とその時代』が描いた国語の確立。
「坂の上の雲」言語編とも言える、言語という側面から日本の近代化の歴史を描いた一作を、ノンフィクションライター鈴木洋史が解説します。
-
今日の一冊
黄未来『TikTok 最強のSNSは中国から生まれる』/ミドル以上の世代が知るべき“いまど・・・
「機械にすすめられたものしか見ない」「個人情報は明け渡す」等々……。これまでの日本社会ではネガティブにとらえられるようなことが、ハイテク化の常識とされている中国の「いま」がわかる一冊!
-
今日の一冊
命の尊さをテーマにした7作を収録『手塚マンガで憲法九条を読む』
命の尊さをテーマにした手塚治虫のマンガ7編を収めた本。まんが原作者として活躍する大塚英志が、本書に関して持論を語ります。
-
今日の一冊
石田千『箸持てば』は食から浮かび上がる珠玉のエッセイ集。
「食」を通じて浮かび上がる、四十代の終わりちかいひとり暮らしの女の日常。些細なこともきちんととらえた、あたたかなエッセイ集。池内紀が解説します。
-
今日の一冊
川上弘美『わたしの好きな季語』/季語のとりこになっていく日々のエピソード
「妙な言葉のコレクション」が趣味だった著者が、俳句をつくるようになり、季語のとりことなっていく日々を綴るエッセイ。これから俳句をはじめたい人におすすめの一冊です。
-
今日の一冊
佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』はナチス体制下のドイツを舞台に描く音楽青春小説
ナチス政権下のドイツが舞台。享楽的な日々を送る少年が夢中になったのは敵性音楽のジャズだった……。そんな少年の目を通して、戦争の狂気をあぶり出す重厚な物語。与那原恵が解説します。
-
今日の一冊
波瀾万丈の一代記『野見山暁治 人はどこまでいけるか』
31歳で渡仏し、93歳で文化勲章を受章した画家・野見山暁治氏の一代記。窮地に立ってもあきらめない、自在なるその生き方は、読む人に勇気を与えてくれます。
-
今日の一冊
アンドレ・ヴィオリス 著、大橋尚泰 訳『1932年の大日本帝国 あるフランス人記者の記録』・・・
61歳のフランス人女性記者兼作家のヴィオリスが、昭和7年の日本で、軍人や政治家などたくさんの人々に出会った記録。読めば、まるでタイムマシンで「異国日本」を訪れたような気分を味わえる一冊を紹介します。
-
今日の一冊
【著者インタビュー】藤澤志穂子『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』/自然と人間、都市と地方と・・・
『釣りキチ三平』や『マタギ』などの名作を遺し、2020年秋に81歳で亡くなった人気漫画家・矢口高雄氏。その人生をふり返る評伝を紹介します。
-
今日の一冊
マツリとしての選挙の実相を描く『民俗選挙のゆくえ 津軽選挙vs甲州選挙』
悪名高き、かつての「津軽選挙」と「甲州選挙」を対比し、マツリのように熱狂的な民俗選挙の実相を描いた一冊。大塚英志が解説します。
-
今日の一冊
小山 騰『ロンドン日本人村を作った男 謎の興行師タナカー・ブヒクロサン 1839-94』ジ・・・
ロンドン日本人村を作ったタナカー・ブヒクロサン(1839~94)という興行師。本書はこの人物の波乱の人生を辿っている。時代の転換期に現れた風雲児に注目した一冊を、川本三郎が解説します。
-
今日の一冊
【著者インタビュー】姫野カオルコ『青春とは、』/恥の光景を呼びこむ昭和50年代の青春記!
南武線沿線のシェアハウスに住み、ジムのインストラクターをしている女性が、あることをきっかけに昔のことを鮮やかに思い出す――胸キュンな恋愛話も部活の熱い話も出てこない、ごくフツウな大人のための青春小説。
-
今日の一冊
マルク・デュガン 著、中島さおり 訳『透明性』/終盤に一度ならぬ“どんでん返し”が待つ、新・・・
舞台は2068年、環境破壊と気候変動により人類が生活できるのは北欧だけとなった世界。グーグルとその関連企業は強い権力をもち、もはや横断的国家のような存在となっていた……。フランス人作家による新たなディストピア小説!
-
今日の一冊
明治から現在までを見通す『大正知識人の思想風景 「自我」と「社会」の発見とそのゆくえ』
明治ナショナリズム解体時に現れた、大正知識人の思想について論じた本書。40年以上前に提出された博士論文ながら、現在の思想まで見通す力をいまも持ち続けています。
-
今日の一冊
『「超」情報革命が日本経済再生の切り札になる』
-
今日の一冊
君塚直隆『エリザベス女王 史上最長・最強のイギリス君主』/多くの難問に直面してきたクイーン・・・
1952年に在位して以来、68年ものあいだイギリスの君主であり、またイギリス連邦王国の女王陛下でありつづけるエリザベス女王。多くの難問に直面してきたその人生を、現代史とともにたどります。