【2020年の潮流を予感させる本(13)】千葉雅也『デッドライン』/「性の境界線」を生きる人間を、しなやかな文章で描く
新時代を捉える【2020年の潮流を予感させる本】、ラストは、『勉強の哲学』でブレイクした気鋭の哲学者・千葉雅也氏の処女小説。雑文家の平山周吉が解説します。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
平山周吉【雑文家】
デッドライン
千葉雅也 著
新潮社
1450円+税
装丁/新潮社装幀部
「性の境界線」を生きる人間を描く私小説
「性の境界線」を生きる人間が、このまっとうな小説『デッドライン』には確実に描かれている。LGBTの政治的正義にも、イロモノ的消費にも還元されない切実な思考が、ぴちぴちと、しなやかな文章に詰まっているからだ。
『勉強の哲学』でブレイクした気鋭の哲学者(立命館大学准教授)千葉雅也の処女小説は、すぐに野間文芸新人賞を受賞したが、二〇二〇年には、さらに広く読まれるのではないだろうか。
小説の舞台は二十一世紀初頭の東京である。それが遠い時代なのか、近い過去なのかは読み手の年齢によって違うかもしれない。主人公の主な棲息地は、駒場の東大大学院、夜の新宿二丁目、高校までを過ごした地方都市である。両親が、友人が、先生がいて、それから「若い男」たちが蠢いている。
ドトールでジャーマンドックを食べながら読みふける本はフランス現代思想であり、「僕」にヒントをくれる先生が話すのは中国古代思想『荘子』のエピソードである。友人の自主製作映画には音楽で協力する。家賃十二万円の部屋は十五畳のワンルームだ。
「どう生きるか。という素朴な問いがのしかかる。それまでの僕に生き方の悩みがなかったわけではない。大学に入って一人暮らしを始め、実際に同性愛を生きるようになって、不安を感じるときには現代思想は助けになってくれた。世の中の『道徳』とは結局はマジョリティの価値観であり、マジョリティの支配を維持する装置である。マイノリティは道徳に抵抗する存在だ。抵抗してよいのだ、いや、すべきなのだ。そういう励ましが、フランス現代思想のそこかしこから聞こえてきたのだった。/だがその励ましは、男が好きだという欲望に対する外からの弁護みたいなものであって、僕は僕自身のありようを掘り下げて考えていたわけではなかった」
意外にも「私小説」の微かな伝統も踏まえながら、作者は「僕の欲望」を発展させていく。
(週刊ポスト 2020年1.3/10号より)

この記事が気に入ったら
「いいね」をしよう!
P+D MAGAZINEの最新記事をお知らせします。
あわせて読みたい記事
-
今日の一冊
地球は12種類の土から成り立っている!『土 地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて』
泥炭土、ポドゾル、黒土、永久凍土……。スコップ片手に、地球上に存在する12種類の土をたずねあるく著者。「100億人を養う土壌」を見つけ出すことはできるのか? 土の可能性を探る良書。
-
今日の一冊
平野貞夫『衆議院事務局 国会の深奥部に隠された最強機関』/欲望とエゴが渦巻く権力闘争の舞台・・・
国権の最高機関「国会」において、政治家たちの暴走を止める大きな役割を担っているのが衆議院事務局。そこで30年以上勤務した経験をもつ著者が、さまざまな政治スキャンダルの裏を明かす一冊を紹介します。
-
今日の一冊
平岡陽明著『ライオンズ、1958。』が描く男達の人情物語。著者にインタビュー!
終戦間もない博多の街を舞台に、男達の友情・人情にあふれた物語が展開されます。野球が戦後最大の娯楽だった時代の躍動感をそのままに、実在の選手を絡めながら、人々の思いを繋ぐ温かいストーリーに引き込まれる一作。創作の背景を、著者にインタビュー!
-
今日の一冊
坂井豊貴著『「決め方」の経済学「みんなの意見のまとめ方」を科学する』が検証する多数決の欠陥・・・
普段使い慣れている「多数決」は、実は最悪の決め方だった!?そのメリット、デメリットを徹底的に検証した一冊。精神科医の香山リカが解説します。
-
今日の一冊
世の中に潜む「悪」への感度を上げる『悪の正体 修羅場からのサバイバル護身論』
世界中の知識人と渡り合った経験をもつ元外交官である著者が、現代社会の「悪」から身を守る方法を伝える一冊。精神科医の香山リカが解説します。
-
今日の一冊
エミン・ユルマズ『エブリシング・バブルの崩壊』/現在バブル状態にある米国株が暴落したら、日・・・
現在、米国株価の売上倍率は3倍と適正の範囲を大きく超えており、バブル状態にあると主張する著者が、米国株価の崩壊後に上昇するのは日本株だと予言する書。資産運用をしている人は必読!
-
今日の一冊
文・澤宮優 イラスト・平野恵理子『イラストで見る 昭和の消えた仕事図鑑』 のココが面白い・・・
思わず誰かに話したくなるような、懐かしい昭和の仕事。どこか人間味があり、あたたかい気持ちになれる職業解説。ノンフィクションライターの鈴木洋史が解説します!
-
今日の一冊
加藤秀行著『キャピタル』著者インタビュー!
資本主義の憂鬱をリアルかつスタイリッシュな文体で描き、真実を突き詰める一作。創作の背景を、著者にインタビュー!
-
今日の一冊
上野 誠『万葉学者、墓をしまい母を送る』/だれもがいつか直面する「親の看取り」と「家の墓」・・・
今年60歳になる万葉学者が、「親を看取る」「家の墓をどうするか」という、誰もが身につまされる主題でえがいた家族の歴史。作家・関川夏央が解説します。
-
今日の一冊
モーシン・ハミッド 著、藤井 光 訳『西への出口』/パキスタン出身の米作家による“難民小説・・・
舞台は中東のどこか。広告代理店勤務の男性と、保険会社勤務の女性が夜間大学のクラスで出会い、惹かれ合う。市民の生活を脅かす内戦が勃発するなか、彼らは遠い場所へ瞬間移動できる謎の扉の存在を知る――。ディストピアやSFの要素を備えた注目作!
-
今日の一冊
『ドルフィン・ソングを救え!』
-
今日の一冊
インゲ・シュテファン 著、松永美穂 訳『才女の運命 男たちの名声の陰で』/才能に溢れながら・・・
マルクスやアインシュタインの妻たちは、実は子ども時代から将来を期待されていた才女でした。しかし、結婚後は自身の夢を追うことが許されず……。賢妻と呼ばれた彼女たちは、はたして幸せだったのでしょうか。
-
今日の一冊
【著者インタビュー】出久根達郎『漱石センセと私』
夏目漱石の下宿先の孫娘、久保より江の視点から、漱石や子規など、明治時代の名だたる文豪たちの交流を描く長編。人同士を本や言葉が繋いだ時代に、時間旅行をするような1冊です。
-
今日の一冊
【著者インタビュー】中村光博『「駅の子」の闘い 戦争孤児たちの埋もれてきた戦後史』/駅に住・・・
かつて全国に12万人もいたという戦争孤児。路上生活を強いられ、駅に住み着いた子どもたちの闘いの日々が綴られた本書は、戦争の残酷さを改めて炙り出します。
-
今日の一冊
文月悠光著『洗礼ダイアリー』は平成生まれの詩人による初エッセイ集。著者にインタビュー!
中原中也賞を18歳で受賞した、平成生まれの詩人が、「生きづらさ」を言葉で解き放つ。研ぎ澄まされた言葉で日常や身辺を綴る、記念すべき初エッセイ集。その創作の背景を、著者にインタビュー。
-
今日の一冊
伝説の一戦の真実を解析!『アリ対猪木 アメリカから見た世界格闘史の特異点』
14億人が目撃した総合格闘技の「原点」。歴史的一戦の裏側に迫る渾身のノンフィクションを、井上章一が解説します!
-
今日の一冊
牧久著『昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実』には重大証言と新資料が満載!
昭和の後半、国民の一大関心事であった「国鉄再建」。その事実を、重大な証言や新資料でつぶさに検証する一冊。創作の背景を著者にインタビュー。
-
今日の一冊
瀬木比呂志著『黒い巨塔 最高裁判所』が暴くリアルな最高裁の内幕。岩瀬達哉が解説!
最高裁判所の中枢を知る、元エリート裁判官が描く、リアルな司法の荒廃の内幕。ノンフィクション作家の岩瀬達哉が解説します。
-
今日の一冊
ベーシックインカムを本格的に読み解く/エノ・シュミット・山森亮・堅田香緒里・山口純 著『お・・・
新しいタイプの社会保障制度として注目されている「ベーシックインカム」は、私たちの社会に何をもたらすのでしょうか? 未来への指針となる一冊を紹介!
-
今日の一冊
人間のエゴのグロテスクさ『愛すること、理解すること、愛されること』
謎の自殺を遂げた後輩の妹に呼ばれ、北軽井沢の別荘を訪れた二組のカップル。スピード感と熱量のある彼らの会話から、それぞれの人生が浮き彫りになる……。肉体的暴力ではなく、心の凶暴性がこじれていく、実に怖い秀作。