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【著者インタビュー】長嶋 有『俳句は入門できる』/日常があって俳句がある! 新しいかたちの入門書

季語や切れ字について教えてくれる入門書はあっても、『日常があって俳句がある』ということを教えてくれる本はなかなかない――。そこで書かれたという本書は、俳句をとりまく言葉や景色をより豊かにしてくれる、新しいかたちの入門書です。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

俳句界の独特な空気や素朴な疑問など句をとりまく私事、、を語る全く新しい「入門書」

『俳句は入門できる』

790円+税
朝日新書

長嶋 有

●ながしま・ゆう 1972年生まれ、北海道育ち。東洋大学第二部文学部卒。01年『サイドカーに犬』で文學界新人賞を受賞しデビュー。02年『猛スピードで母は』で芥川賞、07年『夕子ちゃんの近道』で大江健三郎賞、16年『三の隣は五号室』で谷崎潤一郎賞。94年に朝日ネット「第七句会」で句作を始め、95年「恒信風」同人。14年に句集『春のお辞儀』を発表し、同人「傍点」を主宰。19年度「NHK俳句」選者。175㌢、73㌔。

「それを作った人がいる」という情報はどの句にも付帯し技術の巧拙より雄弁だ

 長嶋有は小説家である。
 と同時に俳人や漫画評論家や、一生活者でもあり、
「修行僧みたいに俳句だけ詠んで漂泊する俳人は現代では皆無に近いですし、大抵は他に職業や家庭があって、俳句以外の実人生も絶対にあるはずなんです。ところが俳句の世界には季語や切れ字について教えてくれる入門書はあっても、この『日常があって俳句がある』ということを臨場感をもって語った文章ってなかなかない。だから僕が普段どう俳句と接し、何に悩んでいるかとか、私事をただ語る余談の言葉、、、、、にも結構意味があるんじゃないかなと思ったんです」。
 それこそ『俳句は入門できる』ばかりか、〈他人とできる〉〈行使できる〉等々、五七五の制約より可能性に目を向ける本書は、俳句を取り巻く言葉や景色をより豊かにするために書かれた。現在テレビ番組「NHK俳句」で選者も務める長嶋氏が、14年に俳句同人「傍点」を立ち上げ、SNSを有効活用してきたのも、現代に相応しい俳句シーンを模索するため。だが、〈この世に傍点をふるように〉と自ら命名した同会を彼は本書を機に去るという。遊び心や発見に事欠かなかった場を、一体なぜ?

〈俳句は打球、句会が野球〉が僕の持論で、1人でできる俳句は誰かとやる、、、、、ともっと楽しい。実際、俳句をツイッターに掲げて、トーナメントで点数を競う〈タイマン句会〉が想像以上に白熱したり、河原で〈ブーメラン句会〉をやったり、物凄く楽しかったんですよ。
 ただ、常に新しいことにトライし続けるには、同人の形だと統率がユルすぎて、モチベーションを保つのが難しいなと、やってみてこそわかりました。先人のトライがあって今がある以上、今後さらに先に進むにも、『辞めてみたらどうなるだろう』という挑戦です」
 何かで見た。知っている。それでいて気にも留めないような些末なモノやコトに、長嶋氏はおかしみや悲哀を見出す名手として知られる。本書でも俳句やそれを詠む人によくありがちな光景を軽やかに切り取り、自らの恥や失敗談も含めて笑ってみせたかと思うと、後半、俳句の本質や自身の創作にかける思いにまで筆は及び、思わず胸がつまるほどだ。
「そう。意外と感動できる実用書なんです!(笑い)」

俳句の世界に足りないのは「逸話」

 例えば〈俳句は「日本語」であって「和」のものではない〉。漫画家=ベレー帽、俳人=〈筆に短冊〉など、人はらしさ、、、を求めがちだが、大抵の句会ではボールペンを用い、服装も至って普通。筆に短冊はいわば海外映画の中の〈勘違い日本〉のようなもので、俳人側も常に苦笑してやり過ごしているというが、氏は綴る。〈でも、ナンカコー〉〈「言っていっていい!」と思った〉〈書かれた中身こそが俳句本体のはずだ〉と。
「文化って武装するところがあると思うんです。本書を俳号の話で始めたのも、本来は俳句に付随するものでしかないのに粋とか通とか、らしさ、、、ありきに逆転しがちだから。○○はこうあってほしいみたいな期待を僕は肯定も否定もしない。誤解は解きたいけれど風流の“コスプレ”も面白いし、どっち側の常識にも頑固になりたくないんですね。
 俳人の夏井いつきさんの和装くらい自然にされるのは別にいいんです。僕もラーメンはカフェオレボウルより、中華風の丼で食べたいわけで。問題は、その気分と本質を取り違えずに、いかに面白く、いかに内向きじゃない言葉で語るかでした」
 そんな俳句の本質を語る言葉の一つに、〈「ということを俳句にした人がいる」〉という表現がある。本書では「今日の一句」として、著者が好む高浜虚子や同人仲間の句が紹介され、自身の句もいくつか文中にあるが、〈サンダルで走るの大変夏の星〉〈水筒の麦茶を家で飲んでおり〉等々、その発見自体、著者のものとしかいいようがないのだ。
「例えば写真も、どんな一枚にもそれを撮った人がいる、、、、、、、、、、という情報が付帯していて、技術の巧拙なんかより、そっちの方がよほど雄弁で、かけがえがないかもしれない。よく句集を読んでると思うんですよ、あ、いるいる、人がいるって(笑い)」
〈俳句は数学ではないから、「正解」はない〉。そのくせイイ句とダメな句の違いは歴然で、一筋縄でゆかない俳句業界にあって、長嶋氏自身は正解し続けること、、、、、、、、を自らに課してもいる。
「『バランス良く』って言葉を僕は信じてないんです。例えば麻雀が本当に強い人って攻守の判断が実はアンバランスでね。守るべきときに過剰にガードして、攻めるべき時は大胆すぎるくらいになる、その『べき時』を正解し続ける人が一番強いわけです。麻雀も俳句も人生も。
 句集が商業的に〈ペイする〉か否かとか、普通はあまり言いたがらない正解もここには書きましたが、少しでも多くの人に俳句が読まれ、作る側も有機的かつ楽しんで研鑽し合える場を正解し続けないと、熱そのものが続いていかない。僕は常々俳句の世界に足りないのは〈逸話〉だと思うんです。ゴッホでもビートルズでも、当人たちの生々しいこぼれ話が作品をより豊饒にするように、生身の人間が悩んだりぶつかったりする現場の不格好でまとまりのない余談が、僕には今、最も必要で〈届く〉言葉に思えたのかもしれません」
 あくまで主語は「俳句の生まれる場」。飄々と見せて熱い著者が、今後も「人と詠む」を辞めることはない。

●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光

(週刊ポスト 2020年1.17/24号より)

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