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【著者インタビュー】松原 始『カラスは飼えるか』/カラス愛の世界に読者を誘うお茶目なエッセイ集

12年の話題作『カラスの教科書』以来、「カラス先生」として知られる松原始氏が、「カラスは飼えない」と早々に宣言した上で、より深遠な鳥&カラス愛の世界に読者を誘います!

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

悪賢いイメージなのにヘタレで弱気な面も! 読めば「ヤツら」が可愛く思える鳥エッセイ集

『カラスは飼えるか』

新潮社
1400円+税
装丁/新潮社装幀室 装画/祖敷大輔

松原 始

●まつばら・はじめ 1969年奈良県生まれ。京都大学理学部卒。同大学院理学研究科博士課程修了。専門は動物行動学(ハシブトガラス及びハシボソガラスの生態、行動、進化)。現在、東京大学総合研究博物館特任准教授。『カラスの教科書』『カラスの補習授業』『カラスと京都』『鳥類学者の目のツケドコロ』『カラス屋、カラスを食べる』等、一般書も多数。奈良に生まれ育ち、大学は京都に通ったため、〈直交していない街路は嫌い〉とか。173㌢、65㌔、AB型。

森林=自然、都市=不自然と二元論で捉える人間の自然観こそ不自然だと思う

 そういえば飲食店が軒並み休業に追い込まれる今、都会のカラスは一体どこでどうしているのだろう?
「たぶん大変だと思います。私も非常に見たいのですが、朝方にうろつくと職質されますし、そもそも“不要不急”案件ですよね(苦笑)」
 12年の話題作『カラスの教科書』以来、〈カラス先生〉としてお馴染の鳥類学者・松原始氏。最新刊『カラスは飼えるか』の書名は、ウェブでの連載中に最も反響が大きかったテーマに由来するものの、〈飼えない。以上。〉と早々に宣言。その上で、より深遠な鳥&カラス愛の世界に読者を誘う、鳥と人を巡る何ともお茶目なエッセイ集なのだ。
 松原氏は大真面目に書く。〈物理的に可能かどうかだけでなく、法的に、倫理的に、その動物を手元に置くことは許されるか〉〈動物と人間の関わり方をも、「飼う」というワードは問いかける〉と。

「実は日本ほど都会に普通にカラスがいる国も珍しく、身近な分、イメージが一人歩きしていると感じます。黒くて不吉な鳥だと勝手に毛嫌いされたり、かと思えば可愛がられたり。当のカラスは何も変わらないのに不思議ですよね」
 野生動物ならなおのこと、慎重さが求められる「飼う」という行為。だが、実際は人間の都合ばかりが優先される中、注目は著者のスタンスだ。〈野生動物とは彼らの流儀で生きている、独立国家のような存在だ〉〈他種の動物相手に「わかり合える」という発想がそもそも、緊密で大きな社会を持った、しかも全てを擬人化して物語を付与しがちなヒトという生物の思い込みにすぎない〉〈実際、どんなに動物が好きだろうが、それはこちらの事情にすぎない〉〈必要なのは「わかり合う」ではなく、まずはお互いの身体感覚で相手との間合いを把握する、つまり「渡り合う」ことであった〉
「例えば、紫外線も見えているカラスの色覚では、ヒトと見ている世界が違うはずです。その違いを素通りするかワクワクするかは、人それぞれですよね。ただ、物事は自分の物差しだけで測りすぎない方がいいですし、人知を超えた存在をありのままに面白がる方が、はるかに楽しく豊かな生き方だと思うのです。
 もちろんカラスの場合は現に農業被害も出ていて、“害鳥”ではあります。ですが彼らに悪気はないということは、農家さんもわかっています。むしろ危ないのは『動物は友達だ』みたいな考え方で、カラス側は別に人間のことを好きでも嫌いでもないことだけは、ハッキリ書いておきたかったのです」
 本書ではニワトリやその原種のキジ類、またカワセミ、インコといった人気の鳥やカラスの天敵のトビやタカまで、直接的、間接的に人と関わりをもつ鳥類全般を扱う。だが人気、、という言葉自体、人間本位以外の何物でもない。

「今が全て」が徹底しているのも魅力

「人の役に立つかどうかで価値を判断し、好き嫌いをイメージで語ること自体、人間の脳の仕業です。物語を作る能力がある分、目の前の事象に理屈をつけて納得したがることは、人間の生物学上の一大特徴です。
 カラスに関しても死体を漁る下賤な鳥とか、勝手な神話や物語が一人歩きしています。特に90年代に東京のカラスが狂暴化しているとマスコミが騒いでからは、カラス=人を襲うものという刷り込みが数々の冤罪、、を生みました。ただ、一見わざと頭の上に糞を落としたかに見える彼らには、そもそも糞は汚いという感覚さえないんです。人間に迷惑かけようが役に立とうがお構いなしなところも、〈だがそこがいい〉と思うんです」
 人間同様雑食で、〈「お前、それが餌に見えるの?」というものを持って行く時もある〉カラスは、固い殻を車に轢かせて割るほどには賢いが、その実、〈見えたものが全て〉の超リアリストでもあり、その徹底ぶりが〈ドジ〉に見える場合も。
「ある時、ハシボソガラスが川でナマズを捕まえ、雛に与えるために一口分の肉をくわえて巣に戻った。その間に、トビが飛んできて残りをさらっていきます。ところがそのトビの姿を目撃したにもかかわらず、トビと肉の消失を結びつけることなく、『トビがナマズを取ったところは見ていないから、まだナマズは近くにあるはずだ』と、ずっとキョロキョロ探し回っていて、何とも間抜けなんです(笑い)。予測も我慢もできるのに、今が全て、、、、なんですよね。
 こんな魅力的なカラスの評価が、人間側の偏見で乱高下し、その結果として彼らの生殺与奪にまで影響してしまうことを危惧しています。カラスは小鳥の天敵だから駆除しろとか、生活ゴミなどの人工物に依存するなんて不自然だと言う人がいますが、鳥側から見れば餌に人工も天然もなく、都市も森も外部環境の1つ、、、、、、、に過ぎません。森林=自然、都市=不自然と二元論で捉える人間の自然観こそ私には不自然に見えます。今後、山や森や河川をどう残し、都市環境をどうしていきたいかを決める責任が人間にあるからこそ、人間中心にならない姿勢が求められています」
 河川には河川のダイナミズムや〈破壊と再生を繰り返す〉日常があり、鳥類もその時々の条件下で進化を重ねてきた。〈むしろ心配なのは、所有権や産業構造や国境というバリアにがんじがらめにされた、人間の方〉とあるように、自らの生命財産を守りつつ、共生の道を託された人間に対しても、カラス先生の視線は等しく優しい。

●構成/橋本紀子
●撮影/横田紋子

(週刊ポスト 2020年5.22/29号より)

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