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【著者インタビュー】清水 潔『鉄路の果てに』/鉄道で75年前の父の足跡をたどる

亡父の「だまされた」というメモを端緒に、75年前に旧満州からシベリアへと送られた父の足跡を自ら辿ることを決意したジャーナリストの清水潔氏。現在のシベリア鉄道と一部重複するその「鉄路の果て」に、果たして、何を見たのでしょうか。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

「だまされた」――亡父のメモは何を意味するのか 気鋭のジャーナリストが鉄道で戦争史を辿る歴史紀行

『鉄路の果てに』

マガジンハウス
1500円+税
装丁/鈴木成一デザイン室

清水 潔

●しみず・きよし 1958年東京生まれ。新聞社、出版社にカメラマンとして勤務の後、新潮社『FOCUS』記者を経て、現在日本テレビ報道局記者・特別解説委員。『桶川ストーカー殺人事件―遺言』(編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞・JCJ大賞)や『殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』(新潮ドキュメント賞・日本推理作家協会賞)等、捜査当局顔負けの調査報道及び著作で知られる。近年は『文庫X』としてカバーが話題になった作品が実は『殺人犯は…』だったことでも話題に。165㌢、79㌔、A型。

知りたくない歴史上の事実も知った上で悔いるべきことは悔いておく必要がある

 端緒は亡父が遺した〈だまされた〉というメモ書きだった。一昨年の秋、母が施設に入り、実家の処分に追われていた清水潔氏。趣味人で旅や写真を愛した父親の思わぬ一言に触れ、75年前、旧満州からシベリアへと送られた父の足跡を自ら辿ることを決意する。
 父の本棚にあった抑留者の回顧録に貼られたそのメモには、〈私の軍隊生活〉〈昭和17年5月千葉津田沼鉄道第二聯隊〉〈11月旧朝鮮経由、満州牡丹江入〉〈20年8月、ソ連軍侵攻〉とあった。また表紙裏の地図には千葉~下関、釜山~京城~ハルビン~満州里~イルクーツク~タイシェトまでをペンでなぞった〈赤い導線〉が。
 現在のシベリア鉄道とも一部重複するその「鉄路の果て」に、〈知ろうとしないことは罪〉が信条のジャーナリストは果たして何を見、父は何に騙されたのか?

「私は結構な鉄ちゃんで、昔から『○○に面白い鉄道があるぞ』と言っては父とカメラ片手に出かけていました。実家に暗室があったくらい父も私も大の写真好きで、その結果、自分が報道の道に進んだこと、鉄道や戦争の歴史を、〈青木センセイ〉との珍道中の中に盛り込む書き方などを試みました。最終的には『我々は日本の近代史も周辺国との関係も意外に知らない』というところに着地することになりました」
 ちなみに青木センセイとは、小説『尖閣ゲーム』『潔白』等の著者、青木俊氏のこと。これまでも互いの取材旅行に同行しあってきた盟友がシベリア鉄道に憧れていたことを清水氏は思い出し、くだんの導線を辿る旅に青木氏を誘ったのだ。
「テレ東時代に香港や北京支局にいた彼は中国語が話せるし、ロシア語も多少できる。とにかく有難かったのは、中ソ国境で警備隊に目をつけられた時も作りかけのカップやきそば片手に抗議してくれるなど、緊迫した局面ほど和ませてくれました。センセイなしに本書は書けなかったと思うくらい、最高の相方でした」
 戦中と交通事情も異なる中、まずはソウルへと飛び、北朝鮮との国境・臨津江へ。そこに架かる鉄橋をかつて国際列車が駆け抜けた時代、朝鮮半島~中国~ロシアを結ぶ京義キヨンウイ線は〈欧亜の鉄路〉とも呼ばれ、大正2年には〈東京発パリ行き〉の切符も販売。〈一枚ノ切符デヨーロッパヘ〉〈日数約十四日〉などと謳われた夢の鉄路はしかしその後度々遮断され、今もって北緯38度線越えの復活は果たされていない。「鉄道は我々をワクワクさせ、旅情を誘う一方、当時の鉄道は国家的野心と密接に関係していた。道なき荒野に鉄路を敷いて有効化し、その利権が戦争で争われてきた構図など、暗い歴史をはらむのもまた事実なのです。例えばうちの親父がいた鉄道聯隊は、日清戦争後に編成された鉄道大隊に源流を持ちます。軌匡ききようという特殊レールを使った延伸や敷設を担う一方、戦局次第では破壊工作も行ったらしい。鉄橋をある時は壊せと言い、ある時は直せと命じるのが、戦争の身勝手さなんです。
 日清・日露・日中の3つの戦は、大陸進出の野心に駆られた日本の侵略戦争だと私は思っています。今回ハルビンを訪れた時に、『少し遠いけど731部隊の遺構がある』と聞いてセンセイと行ってみたんです。するとそこにも線路があり、『思えばこの先はアウシュビッツに繋がっているのか。当時日本とドイツは線路の端と端で酷い実験をしていたのか』と、1本の線で繋がった感じがしました。むしろ日露は日露、2・26は2・26と、出来事を単体で見るから見誤る気がして、事の前後左右や時空も跨ぎ、鉄路で1つに繋ぐ本が書けないかと思ったんです」

日本の歴史認識は信用されていない

 昭和20年8月9日未明、ソ連は満州に侵攻開始。聯隊の主力が帰国した後も満州に留まり、シベリア送りとなった父が舞鶴港に帰還したのは、昭和23年だった。
 だが清水氏は、あれだけ開拓民来れと煽っておいて、満州を〈壮大な燃え草〉とした国や軍部に怒りはしても、武器も持たずに逃げ惑う人々を凌辱し、父に苦渋を強いたソ連だけを責めることはしない。例えば731部隊の犠牲者にはロシア人もいたことなど、戦争そのものを憎むのである。
「日ソ中立条約を突然反故にしたソ連も酷いけど、日本もそれ以前に相当酷いことをしている。歴史には流れがあるのに、それをソ連だけが酷いとか、南京事件はなかったとか、戦争を悔いる時も被害者としての立場で悔いる論調が多いですよね。でも実際は日本だけが正義の戦争をしたわけもなく、その逆もないんです。
 親父は大正生まれなので、〈露助〉云々と敵国の悪口は言いつつも、戦争自体を憎む気持ちはそれ以上に強かった。たぶんわかっていたんです、日本人が欲をかき、大陸に進出した結果、シベリアや満州で仲間が大勢死に、自分も酷い目に遭ったのだと。私も海外へ行くと、日本は歴史認識の点で信用されていないと感じます。知りたくない事実も知った上で悔いるべきは悔いておかないと、75年前の二の舞を危惧するくらい、当時と今の情勢は似ているかもしれません」
 父の存在を入口に、より正確な近代史の理解を促したかったと清水氏は言い、
75年も前、、、、の出来事であっても、自分の家族の歴史と重なるのだと知れば、少し身近になるでしょ?」。
 そんな個人的な旅の果てにも戦争や歴史の非情さはまざまざと姿を現し、父を騙したその全てを、著者ならずとも憎みたくなった。

●構成/橋本紀子
●撮影/横田紋子

(週刊ポスト 2020年6.26号より)

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