村上春樹『一人称単数』/6年ぶりの短編集は、村上春樹“等身大”の新境地!
これまでの村上作品とは違う魅力を湛える、作者6年ぶりの短編集。エッセイのようなタッチで、淡く刹那的なふれあいの痛切さが描かれています。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け!】
鴻巣友季子【翻訳家】
一人称単数
村上春樹 著
文藝春秋
1500円+税
装丁/大久保明子
装画/豊田徹也
「虚構内虚構」の仕掛けと刹那的なふれあいの痛切さを描く
作者六年ぶりの短編集だ。
特徴の一つは、エッセイのようなタッチが顕著なことだ。これは『猫を棄てる』という自叙エッセイを発表したこととも関係があるだろう。同書には、長い父親との確執と、父の死について
そう思うと、『一人称単数』はこれまでの村上作品とは違う魅力を湛える。本書に共通するのは、一つは、村上がデビュー作で架空の米国作家を登場させたような、虚構内虚構の仕掛けだ。架空の、短歌集(「石のまくらに」)、リサイタルのプログラム(「クリーム」)、ヤクルト・スワローズに捧げる詩集などが出てくる。極めつきは、ビバップの雄チャーリー・パーカーがカルロス・ジョビンと組んだという(!)架空のボサノヴァ・アルバムだ。
もう一つ共通するのは、全ての編が、深く長い結びつきより、淡く刹那的なふれあいの痛切さを描いている、こと。むしろ後者の別れは取り返しのつかない決定的なものになる。LPレコードを抱いた少女との一瞬の出会い、恋人の兄と過ごした奇妙なひと時(「ウィズ・ザ・ビートルズ」)、シューマンを共に聴いた世にも醜い女性との短い付き合い(「謝肉祭」)、時々自分の名前を忘れる女性編集者のこと(「品川猿の告白」)。
表題作は怖い。「僕」がバーで飲んでいると、居合わせた女性に突然責められだす。『1Q84』などにもそういう場面はあるが、この女性は「僕」の根源的な罪をなじってくる。でも、その罪がなんだかわからない。ふふ、わからないこと自体が罪なのかもしれませんよ。
村上春樹の一人称の〝等身大”であり原風景にして、新境地。
(週刊ポスト 2020年8.14/21号より)

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