本との偶然の出会いをWEB上でも

『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください 井上達夫の法哲学入門』

【書闘倶楽部 この人が語るこの本】

リベラリズムの立場から護憲派を批判する法哲学者が語る

私が「憲法九条削除」「徴兵制導入」を主張する理由

法哲学者

井上達夫

INOUE Tatsuo

『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください

井上達夫の法哲学入門』

リベラル

井上達夫著

毎日新聞出版

本体1500円+税

井上達夫(いのうえ・たつお)

1954年大阪府生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科教授。著書に『共生の作法 会話としての正義』(創文社、サントリー学芸賞)、『法という企て』(東京大学出版会、和辻哲郎文化賞)など。

リベラリズムを標榜し、「安保法制」に反対しながら、独自かつ明快な論理で「護憲派」を厳しく批判して話題になっているのが本書。法哲学の第一人者である著者・井上達夫氏に、憲法問題を始め、護憲派、リベラル派が抱えるさまざまな欺瞞について聞いた。

(インタビュー・文 鈴木洋史)

――「護憲派」こそ憲法を蔑ろにしていると批判していますね。

井上 〈……陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない〉。この憲法第九条第2項を字句通りに解釈すれば、自衛隊も日米安保も明らかに違憲です。ところが、「専守防衛の範囲内なら違憲ではない」と主張する人たちがいる。国会で「安保法制」は違憲だと述べた憲法学者の長谷部恭男さんが象徴的存在で、私は彼らを「修正主義的護憲派」と呼んでいます。彼らの解釈は内閣法制局の旧来の解釈と同じで、すでにそれ自体、解釈改憲です。だから、自分たちと異なる解釈改憲を行った安倍政権を批判する資格はない。もっとひどいのは、九条を字句通りに解釈する「原理主義的護憲派」です。本来なら自衛隊と安保の廃棄を求めるべきなのに、違憲だ、違憲だと言うだけで事実上容認している。しかも認知せずに〝私生児〟扱いしているのに、両者が提供してくれる安全という便益は享受し、しかしその便益の享受を正当化する責任は果たそうとしない。許されざる欺瞞です。「修正主義的護憲派」が守ろうとしているのは憲法ではなく自分たちの古い解釈改憲だし、「原理主義的護憲派」は現状維持のために九条を戦略カードに使っているだけなんです。

――井上さんは九条を削除せよと主張しています。

井上 憲法の役割は、フェアな政治的競争のルールと、政治的競争に晒されると侵害されやすい被差別少数者の人権を保障するルールを定めること。一方、個々の政策は民主的討議によって決めるべき。社会保障しかり、税制しかり、安全保障しかりです。なのに、特定の安全保障政策を容易に改正できない憲法で規定するのはアンフェアです。しかも、国際情勢の変化は予測不可能なので、そのときどきの民主的討議によって決める方が合理的です。護憲派は九条という壁の前で思考停止している。自分たちで九条を死文化させているのに、亡骸を奉って平和主義者になったつもりでいるんですよ。

――九条を削除すれば、リアルに、具体的に安全保障政策はどうあるべきかを考えざるを得なくなる。

井上 しかし、護憲派とかリベラル派はエリート主義で、安全保障について国民に議論させたら危険な結論を出すという愚民観を持ち、だから我々に任せろと考えているんです。それは許されざるパターナリズム(父権的干渉主義)ですよ。ただ、民主的討議によって安易に戦争に突っ走ることもあり得る。そこで、九条を削除したら条件付け制約を憲法に取り込むべきです。そのなかでいちばん重要なのは「戦力を保有するなら、良心的兵役拒否を認める前提で徴兵制を導入する」というもの。政治家の子供も企業家の子供も無差別公平に徴兵することは、無用で無責任な好戦感情の高揚を抑制します。ベトナム戦争のときのアメリカがいい例で、徴兵制が大規模になり、アフリカ系や白人貧困層だけでなく、白人中間層も戦場に駆り出されるようになって初めて大規模な反戦運動が起こった。他にも「開戦の決定、戦力の行使には国会の事前承認を必要とする」という制約も必要です。今の憲法では、九条によって戦力が存在しない建前なので、戦力の行使について何ら規制がない。護憲派はそんな危険な憲法を守れと言っているんです。

――朝日新聞の従軍慰安婦報道やその検証についてどう考えますか。

井上 朝日新聞はふだん「言論の自由」の大切さを喧伝しているのに、自社に批判的な池上彰さんの原稿の掲載を拒否した。他者に要求する基準と自分に当てはめる基準が異なるダブルスタンダードが許されるはずがありません。

従軍慰安婦問題について言えば、リベラル派の過度の自己否定は間違っている。彼らは「ドイツは自分たちの戦争責任の追及を日本よりずっと誠実に行った」と言いますが、それは神話にすぎません。ドイツは、責任の主体をドイツ国民ではなくナチに、責任の対象を他国の侵略ではなくユダヤ人虐殺に限定しているんです。ワイツゼッカー大統領の有名な「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目になる」という言葉にも同様の限界がある。アメリカ政府が第二次世界大戦中に強制収容した日系人に謝罪したことも誠意ある行為とされますが、謝罪の対象はあくまでも自国民です。それらに比べると、他国民の元慰安婦に補償を行い、総理大臣の「お詫びと反省」の手紙まで送った日本の「アジア女性基金」は、その誠実さを誇るべきです。なのに、一部のリベラル派は「政府の法的責任を隠蔽するものだ」と批判した。それに対して国民の反発が起きるのは当然です。

――リベラル派の市民運動にも共感できないものがあります。

井上 古くは1970年代に起こった「杉並・江東ゴミ戦争」が代表例でしょう。江東区に他区のゴミまで処理するゴミ焼却場が集中していたため、都が杉並区に新たなゴミ焼却場を建設する計画を立てると、環境破壊だとして反対する市民運動が起きた。自分たちはクリーンな環境という便益を享受しながら、ゴミ処理のコストは他人に押しつける。「原理主義的護憲派」と同じ「ただ乗り」の典型です。日米安保の便益を享受しながら、基地負担を沖縄に押しつけるのも本土住民のエゴ。逗子市の池子の森に米軍住宅を作ることに反対する住民の運動などもそうです。こういう欺瞞は保守も含め日本人全般に見られますが、リベラルがそれに耽るのは自壊的です。「他者に対する公正さ」こそ真のリベラリズムの基礎ですから。

(SAPIO 2015年12月号より)

 

 

 

 

記事一覧
△ 『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください 井上達夫の法哲学入門』 | P+D MAGAZINE TOPへ