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【著者インタビュー】藤澤志穂子『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』/自然と人間、都市と地方という普遍的なテーマを描き続けた漫画家

『釣りキチ三平』や『マタギ』などの名作を遺し、2020年秋に81歳で亡くなった人気漫画家・矢口高雄氏。その人生をふり返る評伝を紹介します。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

野山に囲まれて育った幼少期から近年の作品再評価の動きまで自然の豊かさと厳しさを描き続けた人気漫画家の人生をふり返る評伝

『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』

世界文化社
1600円+税 装丁/下舘洋子(bottom graphic)

藤澤志穂子

●ふじさわ・しほこ 1967年東京生まれ。学習院大学法学部卒。早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻修士課程中退後、産経新聞社に入社。社会部、経済部、コロンビア大学ビジネススクールフェロー、外信部等を経て、2016年より秋田支局長。19年4月に退社し、現在は県立広島大学で秘書広報担当課長を務める傍ら、ジャーナリストとしても活動。「私自身、地方の魅力や可能性に、矢口先生に出会ったことで気づいたんです」。著書は他に『出世と肩書』。160㌢、AB型。

矢口先生の思いはリアルなものや自然に対する飢えや憧れに直に訴える気がする

 名作とは、時代を軽々と超え、再発見の喜びを存分に湛えたものらしい。
 藤澤志穂子著『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』は、産経新聞秋田支局長時代、横手市増田まんが美術館に原画のほとんどを寄贈し、広く保存の必要性を訴える老漫画家の取組みを知った著者が、約5年にわたる取材成果をまとめた初の評伝。昨年秋、矢口は81歳で亡くなるが、代表作『釣りキチ三平』や、17年に復刻された『マタギ』を始め、その作品は自然と人間、都市と地方といった普遍的かつ今日的なテーマを内包していたという。
 それこそ80歳目前でツイッターを始め、〈僕はもう過去のマンガ家なんでしょうネ〉と漏らした矢口に、ある釣り好きらしき読者はこう返したという。〈過去、かもしれない。でも古くはない〉と。

 生まれも育ちも東京で、日夜最新の情報と格闘してきた海外志望の元経済記者にとって、秋田支局長への転出は当初、「飛ばされたとしか思えなかった」とか。
「地方創生とは言うけれど、その真価や可能性には気付いていなかったんですね。それがいざ赴任してみると、食事は美味しいし暮らしやすいし、文化的にも発見が多くて、そのひとつが町中で見る三平君の姿でした。
 秋田県雄勝郡西成瀬村、現在の横手市出身の先生は、長女をご病気で亡くされ、次女も嫁ぐ中、精魂込めた原画が浮世絵のように流出するのを恐れ、故郷の美術館でアーカイブス化に動いてらした。私はその新しさに驚き、日本が世界に誇る財産の保存が個人に託され、高い相続税が課せられて散逸を加速させかねない現状を、財務省の税務担当にも話を聞いて記事にしたんですね。その記事が霞が関で回覧されたり、約40年ぶりに復刻された『マタギ』をジビエ人気や獣害と絡めて紹介した時もその日に重版が決まったり、やはり先生は全然古くないというか、今に繋がる何かを持った方なんだろうと。
 私はその何かが知りたくて、自由が丘のご自宅にもしつこく押しかけてしまいました(苦笑)」
 矢口高雄、本名高橋高雄は、1939(昭和14)年、現・横手市増田町狙半内さるはんないの小作農家の長男に生まれる。〈朝に屁をすりゃ夜まで臭い〉と言われた村は県内有数の豪雪地帯で、百日咳にかかった弟を医者にも診せずに死なせた悔恨や人々の偏狭さ、決して美しいだけでない雪の厳しさ、酷さが、矢口が描き、守ろうとした自然には常に背中合わせにあったと藤澤氏は言う。
「その鬱屈や複雑さが反骨心にも繋がるんですけどね。
 例えば『三平』の57巻で〈雪はそんなにあまっちょろいもんじゃねえ〉〈つめたくってさむくってつらいもんだ〉と嘆いてみせた先生は、73年の『おらが村』では、出稼ぎにも〈光と闇〉があった高度成長期の実相を描いている。つまり企業誘致を急ぐ村長に、〈山も雪もねえ都会さ命の洗濯に行ぐ〉〈出稼ぎは悲劇じゃねえ…天国じゃあ〉と反対する村人の本音が、当時は悪書扱いすらされた漫画の中に記録されていたわけですね。
 手塚先生の志を継ぐように漫画の地位向上に努めた先生の作品は、それ自体、時代や農村風俗を記録した文化的価値があると増田まんが美術館の大石卓館長も言っていた。本人は純粋に好きで書いたんでしょうけど、私自身、先生のジャーナリスティックな姿勢には常に教えられ通しでした」

地方出身者特有の葛藤が与えた深み

 成績優秀だった矢口は、狙半内初の高校進学者にして銀行員。旧羽後銀行時代に地元の高校に通う勝美夫人に恋をし、結婚するが、入行以来、漫画を描くことは8年間封印していた。それが『月刊漫画ガロ』で白土三平の『カムイ伝』を読んで大きな衝撃を受ける。すぐに東京に行き、名編集者・長井勝一や水木しげる、池上遼一らに会い意見を仰ぎ、晴れて『長持唄考』が『ガロ』に掲載されたのを機に辞職と上京を決意する。矢口が29歳の時だった。
「ちなみに三平三平の姓は秋田出身で元大毎オリオンズの三平晴樹投手、名前は白土三平から取っていて、高橋高雄という本名の語感も意識されたそうです」
 藤澤氏は銀行の元同僚や下積み時代を知る友人らの証言と本人の言葉を組み合わせ、また生前に親交した同業者からも話を聞くなど、主観と客観とを総動員して、矢口や作品に関する「なぜ」を浮き彫りにしていく。
「元記者のさがですね。そのせいか丸5年もかかってしまい、最後にお会いした時、〈この本、本当に出るの?〉とおっしゃった先生に現物をお見せできなかったのが本当に申し訳なくて……。
 ただ、自然と人の繋がり、それが僕のテーマだとおっしゃっていた先生の思いは、器用な方ではないだけに、デジタル化やリモート化が進む昨今、リアルなものや自然の恵みに対する我々の飢えや憧れに直に訴える気もするんですよ。先生自身、東京であれだけ成功しても都会人にはなり切れないというか、故郷の自然は守りたい、でも発展もしてほしいという地方出身者特有の葛藤を抱え、その複雑さが単なる釣り漫画や少年漫画を超えた深みを作品に与えているのかもしれません」
 例えば釣堀と渓流釣りを比べ、上下を争う愚かさをサラッと諭しもした矢口は、『三平』の最終巻を全国の釣り好きが海や自然環境の保護を訴え、国会前に集う、デモの描写で締めている。
「先生はあのシーンが一番書きたかったらしくて」
 地方の話もそう。本物の豊かさや命の輝きに迫ったその作品に、たぶん時代の方がようやく追い付いたのだ。

●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光

(週刊ポスト 2021年2.5号より)

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