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【著者インタビュー】道尾秀介『雷神』/最後まで読んで初めて人の顔が見えてくるミステリー

1度目と2度目に読むのでは世界が全く変わり、誰目線で読むかでもまるで違う本になる……。読む者の万感を受け止める、鏡のような本作。その全容をぜひ体験してほしい、と著者は語ります。

【ポスト・ブック・レビュー 著者に訊け!】

ある一家の運命を変えた電話、手紙、そして雷……ミステリーの名手が放つ一気読み必至の傑作長編!!

『雷神』

新潮社
1870円
装丁/新潮社装幀室

道尾秀介

●みちお・しゅうすけ 1975年生まれ、東京都出身。04年『背の眼』でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞し、作家デビュー。07年『シャドウ』で本格ミステリ大賞、09年『カラスの親指』で日本推理作家協会賞、10年『龍神の雨』で大藪春彦賞、『光媒の花』で山本周五郎賞、11年『月と蟹』で直木賞。ミリオンセラーとなった『向日葵の咲かない夏』等話題作多数。昨年『スケルトン・キー』(18年刊)の作品世界を楽曲化した『HIDE AND SECRET』で歌手デビュー。170㌢、57.5㌔、O型。

殺人につながるかはいつだって紙一重だが殺意は大抵の人にとって身におぼえがある

〈お願いがあります。このことを、娘の耳に入れずに暮らさせてやることはできないでしょうか〉―。
 ベランダで遊ぶ幼子から目を離し、階下の妻に駆け寄った瞬間、〈小さな影〉が視界をよぎった。粉々に割れた〈アザミ〉の鉢、加速する軽自動車、そして宙に舞う妻〈悦子〉の姿を〈藤原幸人〉は今でも折りに触れて思い出す。そのベランダから落ちてきた鉢が老女に運転を誤らせ、妻を轢いた事実を、彼が娘〈夕見〉のためを思ってひた隠す冒頭からして、道尾秀介著『雷神』は、やりきれない。
 それから15年。父が遺した埼玉県内の和食店を継ぎ、大学で写真を学ぶ夕見共々何とか切り回す幸人のもとに1本の電話が。〈金を都合してもらいたくてね〉〈秘密を知ってるんだ〉……。
 皮肉にも親子や姉弟等々、人が人を思えばこそ悲劇もまた生まれ、全ては30年前、新潟〈羽田上村〉に落ちた〈冬の雷〉に遡るのである。

「自分の中では『龍神の雨』、『風神の手』に続く神三部作として必然性のある作品でした。日本海側に多く、夏以上に激しく危険な冬の雷。その現象についてや、そもそも神様って何なのかというあたりを、知識でも宗教でもなく、物語として描き切りたくて。
 今回は僕が理想とするミステリーの1つの完成形が書けた感触があって、これが自分以外の作品じゃなくて本当によかった(笑い)。本作では各人物の目に見えない憎悪や愛情のうねりがミステリー構造に直結していますし、それを小説にするには17年の作家生活と、自分を超えて降って来るものを確実に捕らえて文章化する技術が必要でした」
 そう。本書では感情面と謎解き上のうねりとがり合うようにして物語を推進。まさに「過去も含めた人物造形なしには仕掛けが成立せず、その仕掛け抜きには人物が像を結ばない、最後まで読んで初めて人の顔が見えてくるミステリー」だ。
 妻や父、さらに母を12歳の時に亡くしている幸人は、それでも夕見を姉〈亜沙実〉の協力もあって明るい娘に育て上げ、あの電話があるまで世界は平穏だった。
 が、その電話の主らしき男が店にきた日に彼は倒れ、娘や姉と休養も兼ねて故郷羽田上村を訪れることに。憧れの写真家〈八津川京子〉と同じ場所を撮りたいと夕見が言い出したのだが、半分は家族が一切語らない村に興味があったらしい。
 かねて石油と製鉄とキノコを主産業とし、油の黒澤、鉄の荒垣、キノコの篠林、病院を営む長門家の4家が〈しんしょもち〉として君臨してきた羽田上村では、毎年11月になると雷電神社の〈神鳴講〉で雷を祀り、裏の〈後家山〉のキノコで作った〈コケ汁〉を老いも若きも楽しみにしていた。
 30年前、姉弟はその祭りの最中に雷に撃たれ、特に亜沙実は昏睡を脱した後も全身に〈電紋〉が残った。さらに神社側が神に供える分を振る舞った〈雷電汁〉が元でしんしょもち4人が中毒を起こし、2人が死亡。奇しくもそれは、コケ汁作りに出たまま姿を消し、山中で発見された母の死から1年後のことで、父は報復を疑われたまま、追われるように村を出たのだった。
 その後、埼玉で再起を図る父と姉は口をきこうとせず、同居することなく独立。姉や父の心中を察しようもない幸人自身、実は落雷前後の記憶を一部消失しており、途切れた記憶の狭間に埋もれた真実を43歳にして知ることになるのだ。

拳銃はなくても毒キノコはある

「記憶ってそもそもが曖昧だとよく思うんです。自分自身が本当に経験したのか、何度も聞くうちに自分事として記憶されたのか、当人でも判断がつきかねる。僕も書きながら、そうか、これがわからないと誰も信用できないのかとハラハラしたし、記憶や知覚の危うさに犯罪が絡むと何が起きるのかを思い知りました」
 10年の連作集『光媒の花』を始め、道尾氏は動植物の生態や自然の理を、単なる情景描写を超えて作品化する名手でもある。本作でも冒頭に登場するアザミや、何者かが雷電汁に混入した猛毒のシロタマゴテングタケ、通称〈イチコロ〉など、毒にも薬にもなる動植物や、それらと隣り合って生きるしかない人間の性が哀しい。
「日本では植生に地域差が少なく、名前さえ覚えれば全国に友達がいるような感じがある(笑い)。そうかと思うと人を簡単に殺せる猛毒が日常のすぐ隣にあったりもして、それらを犯罪に使う小説、、、、、、、を書くこともできるんです。
 むろん悪意が全て犯罪化するわけじゃない。爆発を待つものに火が付くか否かは運一つで、殺意が殺人につながるかどうかも、いつだって紙一重なんです。そして殺意は、大抵の人にとって身におぼえがある」
 死者も含め、互いを思いつつもすれ違い、宙に浮いた思いがつらい小説だ。
「でも実際そうなんですよね、人生は。最近は『モノよりコト』と言われますが、本作は1度目と2度目に読むのでは世界が全く変わり、誰目線で読むかでもまるで違う本になる。そうしたコトによって、小説は人生を描ける。生死が紙一重だというリアルも読者に体感してもらえる。裏山に拳銃は転がってなくても毒キノコは生えているし、些細な食い違いから30年後に人が死んだりもする。その全容、、を、ぜひ体験してみて下さい」
 執筆中は方言辞典を読みあさり、「新潟弁ネイティブに成り切った」という。そうした細部あってこそ、〈見ることは、見ないことでもある〉といった箴言の数々も輝く、読む者の万感を受け止める、鏡のようなミステリーだ。

●構成/橋本紀子
●撮影/国府田利光

(週刊ポスト 2021年6.11号より)

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