【2022年「中国」を知るための1冊】呉明益 著、天野健太郎 訳『自転車泥棒』/中国と台湾の複雑な関係を浮き彫りにする大河小説
いま日本で最もビビッドな台湾作家が、主に中国語で創作する理由とは? 北京オリンピックの開催を控え、その動向がますます注目される隣国、中国を多角的に知るためのスペシャル書評! 翻訳家・鴻巣友季子が解説します。
【ポスト・ブック・レビュー この人に訊け! 拡大版スペシャル】
鴻巣友季子【翻訳家】
自転車泥棒
呉明益 著
天野健太郎 訳
文春文庫 1155円
装丁/関口聖司
台湾語ではなく中国語で書かざるを得ない理由
いま日本で最もビビッドな台湾作家といったら、呉明益の名を挙げなくてはならないだろう。太平洋戦争末期に少年工として神奈川県の海軍工廠に従事した父の記憶を探るデビュー作『眠りの航路』、ある日、台湾の東海岸に巨大な「ゴミの島」が衝突してくるという『複眼人』など、今年は立て続けに邦訳書が出た。
『自転車泥棒』は自転車が主人公の大河小説。舞台は現代の台湾だが、主人公「ぼく」の家族の物語は、一九〇五年、旅順でロシア軍が日本軍に投降した年に始まる。ある事情から、「ぼく」は父不在の過去とその痛みに向きあい、自転車探しの旅が始まる。
そのなかで、中国と台湾の複雑な関係も浮き彫りになる。「ぼく」はマレーシアで日本軍に徴兵され「銀輪部隊」に入った台湾人や原住民たちのことも初めて知ることになった。
呉明益は台湾語ではなく、主に中国語で創作している。以前、鼎談で会って話した際に、「国家と言語はイコールではない」という話が出た。台湾の諸民族の言語がもつ美しさ、豊かさを彼は滔々と語りながら、それでも「大きな言語」である中国語で書かざるをえない事情があるという。
台湾は中国語以外に、
「じてんしゃ」という言葉を表す単語一つとっても、「鐵馬」「孔明車」と言うなら台湾語が母語の人であり、「単車」「自行車」と言うなら中国南部からやってきた人、「自転車」と言うなら日本語教育を受けたことのある人、だろう。呉明益の小説世界とその語彙には、欧米とアジア、台湾と中国と日本の歴史と文化が複雑に入り混じり、その混交と軋轢が刻印されているのだ。
(週刊ポスト 2021年1.1/7号より)

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